地表編 15話
それは直感と言うにはあまりにも明確すぎる程の体の淵から込み上げてくる根源的な”嫌悪感”だった。
全神経を抜き取られるような恐怖が本能を刺激して、全身がなんの前触れもなく震え出す。
カナリアは窓に目を向け、固まったままナイフを無意識に床に落とした。
瞬刻。
「何かが……来る」
咄嗟に両腕を窓に向けて防御陣を全速力で構築、展開、魔術を行使した十秒後。
樹海に鳴り響く爆音が衝撃波となってカナリアに襲いかかる。
「一体何が!?」
内方向へと破裂したガラス。 開放的になる窓の先でキルケが生前張り巡らせていた結界の破片が空から光を乱反射させて砕け散る。
舞い散るほこり。
目を守るように服の袖越しで外へと目を細めると、そこには翼の生えた人間のような何かが空中で弓矢を構えて待機してた。
「もしかして……あれが私と同じ天使?」
突然の事でカナリアは何が起こっているのか分からず、ただ呆然と息を飲み込む。
結界が壊れ、顕になった大樹。 逆光に舞い散る羽。 ガラス越しの声ではない、確かに鼓膜を震わす肉声。
「やぁ、カナリア」
「――貴方は?」
目の前で大きな羽を広げる三体の天使、その中でもやたらと飄々とした真ん中の男が若々しい口角を上げてカナリアを見下ろす。
「私は……そうか、覚えてないか! 改めて自己しょ――」
「いえ、改めなくっていいですよ?」
15センチほど背の高い男を前にして、カナリアはその口を左手で握り封じて可愛らしく首を傾げる。
目の前の天使と思われる生き物に対して感じる嫌悪感が、今も全身を震わせている元凶だとカナリアは直感していた。
本来なら逃げるはずの本能は、考える猶予もなく真っ先に前へと進んで反射的に天使を掴んでいた。
「――!!?!??」
「いえ、だから改めなくて結構? ですよ。とりあえず、人なら後で結界を、キルケの生きた数少ない証を壊した弁明を聞きます――だけど、天使なら、死んでキルケに詫びて来て」
笑ったカナリア、口元を塞がれて憤りを隠せない天使がカナリアに反撃を行おうとした瞬間、目の前で弾ける。
「うわぁ、汚い。 あんなに捻くれたキルケですら就寝中に使っても死ななかったのに……」
汚泥のような粘土のある赤黒い液体が顔に飛び散り、嫌そうに舌を出すカナリア。
弾けた天使の仲間が何も出来ずに立ち尽くし、ようやく我に返ったのか二歩下がって大声で喚く。
「お前……なにしてんだよ!?」
「何って……罪を自覚させる魔術、天使殺しですよ? あ、安心してください!人は死なない、実験済みです!」
顔に飛び散った肉片を服の袖で拭うカナリア。
目の前で同胞が死んだ天使達は取り乱して逃げ出そうとするが、既にカナリアに肩を掴まれており、そのまま容赦なく腕が吹き飛ぶ。
「あらら、やっぱり天使は、キルケの魔術で本当に死んじゃうんだ」
「――この化け物!!」
「化け物? 何言ってるんですか、さっきも言ったけどこれ、人に使っても死なないんですよ? なら、これで死ぬあなたたちの方がよっぽど――化け物――でしょ?」
目の前の天使が余計な信号でも送ったのだろう。
軍となった空の天使がカナリアの存在を察知して、一直線に大樹を目掛けて動き出しているのが窓越しに見えた。
「助けて欲しいって、空の仲間に伝えたの?」
「そんな余裕があるならとっくにやってる!! 見てわかんねぇえのか?? お前のせいで!俺たちは死にかけてるんだぞ!!」
「――そう」
「……そう?だと? カナリア風情が調子に乗るな!!」
「うるさい、殺すよ? まずは私の質問に答えて。 二十一年もの間干渉して来なかったのに、なぜ今になって私の前に姿を現したの?」
「知るかよ! ただ玉座が空いて、イデルバ様の元からお前の弟が……」
「弟?」
「そう、お前の弟! インバード! 覚えてるか?」
「いえ、全く?」
「かははは! おい、お前聞いたか? こいつ、やっぱり記憶ねぇんだ! それなのにこんなに惨めに生きて! 情けねぇなぁ?」
「聞いた聞いた! まさか最愛の弟がデカ鳥に連れ去られて行方不明になってるとも知らずに何処ぞのばばぁと家族ごっこして! これは過去一番のけっさ――」
アスタリアでの記憶が今のカナリアに存在しない以上、天使に関する記憶は当然皆無。
彼らがどのような行動原理で動くかなど知る由も、興味もないかった。
だけど、目の前で腕をなくした二人の天使が体の欠損よりも先に昔の自分を馬鹿にして笑ってる姿は余りに異様で。
カナリアには堪らなく彼らの存在が気持ち悪く見えた。
「もう、いいですよ?」
落ち着いた口調のカナリアは屈託のないほぼ笑みを浮かべて、そのままよく口が回る片方の天使を抹消する。
「お、おい! 平気で殺すなんて正気かよ?」
怯え始めた最後の天使が這いつくばって後ずさる。
カナリアが天使について知っているのはキルケから受け継いだ、人でなしという情報くらい。
「――」
何も言わず、そのまま手を伸ばすカナリアに命乞いは何一つ届かない。
「やめろ! 2人も殺して満足だろ!? 俺は見逃しても―――」
断末魔。カナリアしか居なくなった真っ赤で汚い室内。
「これが、私と同じ天使……か」
肩を落としたカナリアは、憂いに満ちた目を伏せて天使を忌み嫌っていたキルケの理由に同族として情けなくなる。
「意思を継ぐよ、キルケ」
落としたナイフが汚れる前に拾い上げ、木箱の中にそっと戻す。
本当に効くのか確かめようと考えるより先に、身体がそれを選んでいた。
歪なナイフが天使と関わりがあるのなら納得できてしまい、見たくもないから木箱の蓋をそっと閉じる。
「あとは、まかせて」
そう覚悟を決めたと同時に、カナリアは足元の肉片の感触で正気に戻り、同時に吐き気が足先から一気に喉元まで込み上がってくる。
「行かなきゃ」
同族を初めて目にして抱いた感情は嬉しさとは程遠い感情。 それ故に理解して行動した。
殺さなければならないと。
本気でそう思ったのに、今更になって躊躇うことなく私的な感情で命を奪った自分に吐き気がした。
もっと話す余地はあった、会話ができる以上平和的な解決も可能だったかもしれない。
後悔とともに錯乱する思考。
それでも周囲に散らかったガラス片を目の当たりしたら震える足は無意識に外へと歩きだしていた。
「……守らなきゃ」
カナリアは正気を失わないように自分自身に言い聞かせ、動く階段を駆け降りて玄関へと最短で向かう。
額から吹き出る汗を拭い、カナリアは目の奥を光らせる。
「……キルケの生きていた証を、これ以上は奪わせない」
遺品のローブを羽織り、壁に立て掛けていたキルケの杖を握りしめて扉を開ける。
同時に加速と浮遊の魔術を発動。
空を蹴り、真正面からの迎撃を開始。




