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地表編 14話


 飯にもありつけない日が、ずっと続いた。


――両手なんて安いもんだ。 足の爪が剝がされたって構わない。 入れ墨だって、子供ができない体になったって関係ない。 生きれば勝者、生きれば未来が待ってるんだ。


「アルファ!!遅くなった!!」


 最悪の飢饉なんてよく言ったものだ。


 人が人を食らう地獄絵図。


 そんな時代でもなんとか食料をくすねれたのは奇跡だろう。 偶然だった、偶然拷問を終えたキルケの目の前に食べれそうなものが落ちていた。


 本当はパンを盗む予定だったが、こんなご時世だ。 いつものように上手くはいかない。


 結果、数日家を空けることになったが、もう大丈夫だ。


「ほら、みろよ……って両手の指がなくちゃ食い物もあげれねぇか。 ちょっと待ってろ! 口で、こう! あげれば!」


 肩に掛かったショルダーバックのファスナーを口に添わせて、何とか開けようとするキルケ。


「ほら!! こんなにも食べ物があるんだ!生きられる!! 俺たちは!! みらいで笑えるんだ!!」


 その中に入っていたのは細く、長い、血が滴った五本の何かが転がっていた。


 大切な親友がお腹を空かせて待っている。 少し遅くなったぐらいでアルファは怒らない。


 だから自尊心だって捨てて、心の痛みにふたをして、キルケは大切な家族の待つ家へと帰って来た。


 それなのに……


「――な、なにやってんだよ」


 真っ暗な部屋の中で笑顔のアルファの影が見えて、ぽとんと、キルケの腕の中からショルダーバックが落ちた。


「どうしたのキルケ?」


――いつまでも一緒だと思っていた。


「お前……何やってるんだよ?」


 暗雲立ち込める空の下、落雷の光が差し込む室内。 玄関の手前で後退りするキルケ。


 その視界に入ったのは人肉を貪るアルファの姿。 


 もう何日もまともな食事をしてないのに、吐き気が込み上げてきて同時に涙がとめどなく溢れてきた。


「何って……あゝ。 キルケ、お前も喰いたいのか?」


 平然と笑顔のまま、人肉を差し出すアルファの姿。


 まるで人ではない、邪悪な化け物にでも憑かれたかの様な気味の悪いほほ笑み。


 家族の変わり果てた姿を目の当たりにしたキルケは、急いで藪の中へと逃げて胃液を吐き出した。


――何がアルファを狂わせた? なんで?


 疑問符ばかりが頭を埋め尽くしていると、キルケの背後から天使の笑い声が鼓膜を揺らす。


「マジかよ!! 最高じゃないか!!」


 キルケが睨みつけるように薮から背後に視線を向けと、飄々とした血色のいい男が手入れの行き届いた髪を靡かせてアルファへと語りかけていた。


「貴方はスパルダエス様?」


「あぁ、そうだ。 お前を導いたスパルダエスだ。 肉を食らい、人を捨て、それでも理性は捨てられない。 君はなんて哀れで美しいんだ。 少年は、いいな」


「僕、お腹すいてただけだよ?」


「そうだな、仕方ないよな」


「これ、キルケの分なんだけど……キルケはどこに? さっきまでそこで声が聞こえたんだけど」


「あぁ、あの子か。 あの子は、逃げたよ」


「え?」


 この街で崇められている天使の名前を自称する化け物は全てを知っていたかのように腹を抱えて笑った。



 笑って、笑い疲れて、飽きたように息を吐き捨てて、スパルダエスはアルファの方へと手を伸ばす。


「よし決めた少年、お前がその気なら天使にならないか?」


 一連の流れに怖気付いたキルケは、ただその藪の中に身を潜めて見ることしかできなかった。


「それってお腹すかないの?」


「あぁ、もちろんだ」


  抱えた人肉を悲しそうに見つめるアルファにスパルダエスは中腰で自分の天使の輪をアルファの頭上に乗せる。


「あぁ。もちろんだ。 この贖罪の大天使セブンナイトスパルダエスの名に誓おう」


「じゃあね、キルケも一緒がいいな。 キルケは寂しがり屋だから」


「……わかった。 しかしこればかりは断言はできない。この天使の輪の光で浄化し、罪なき魂ならば、その願いは叶うだろう」


「――ありがとうございます! 天使様」


 なぜこの土地を管轄する大天使がアルファの前に?


 そんな疑問がキルケの脳裏を過ぎった時には既にアルファを助けるため、キルケは反射的に手を伸ばしていた。


「違う。 アルファは……アルファは……やめろおおおおおおおお」


――動かそうとした足はうげた爪の痛みで上手く地面を捉えられない。


 必死に腕を伸ばしところで、指がなけりゃ空すら搔けない。


 この指が残っていたのなら、足の爪がうげてなければ。 お前に届いていたのだろうか? 助け、られたのだろうか?――


 止めに入ろうとしたキルケの絶叫がアルファに届くことはなかった。


「やはり少年には素質があった。 お前は晴れて今日から天使だ――そうだな。手始めに、あの劣等種を殺せ」 


 誇らしそうにアルファの頭を撫でたスパルダエスは優しい声でゆっくりとキルケに指をさす。


「うん。う、、、ん?」


 白い翼、アルファの左手の甲に浮かび上がった謎の紋様。


 神々しくも禍々しい、無表情で冷淡なその眼はキルケの知らないアルファだった。


「キルケ、一緒に天使になろ?」


 アルファは何の躊躇いもなく突然作り出した天使の弓矢を構え、軋ませたその弦から指を離した。


「上手い! 初めてで弓を使えるなんて、少年には天使としてのセンスがあるな」


 手を叩くスパルダエス。 攻撃を止めないアルファ。


――死ぬ――


 でも、まだ生きたい。


 だからキルケは無我夢中で抵抗をした。 暗転する視界の中、そこからは何も覚えていない。


 意識が戻った時には天使に変えられた親友アルファの首が大きく損傷し、そのまま地面に転がっていた。


「なんだよ、どうなってんだよ」


 隣で転がる唯一の家族。 自衛の為に反射的に行使した魔術はキルケの右手の甲に浮き上がっていた。


 見覚えがあるのは当然。 なぜならその魔術はアルファに教えてもらった――魔術だったから。


『皆に希望を共有できる。そんな魔術って、素敵じゃないかな?』


――希望の共有は感覚の共有、天使の死は――


 残酷にも”それ”だった。


 キルケと目が合う虚ろなアルファの死体。


 アルファはさっきまで確かに生きていた。ずっと同じ志を持ち、友として、家族として、何よりも大切な存在だった。


 それなのに――なんで。


 しとしとと降り始める雨は余りに遅かった。 今、アルファの開いたままの眼球から潤いを奪わないように降っているなら!!


「もっと早く大地を潤せよ!! もっと命を助けろよ!! いまさら……いまさらなんなんだよ」


 数か月ぶりの雨は様子を見計らったかのように強く大地を叩いた。


 望み通り恵みを与えに来たから喜べ――そう言わんばかりに雨音は強く。キルケの慟哭をかき消した。


「いやぁ、素晴らしい!! 泣けるじゃないか、軽く唆しただけで平気で親友を手に掛けようとするとは!!あぁ……なんて美しいんだ……」


 感涙に浸り、絶頂を迎えるスパルダエスは雨に打たれて白目をむく。


「唆し……た?」


「えぇ、軽くですよ? 助言とさして変わらない程度のものです……それをまさか――ふ、ふふ。はは」


 スパルダエスは飄々とした態度で足元で横たわっているアルファの死体を勢いよく蹴り飛ばす。


 親友を殺す為に魔術を肉体で行使した結果、神経が焼き切れを肉体を動かせないキルケはそれでも目を見開いてスパルダエスを睨みつける。


「ぶっ殺す」


 瞼を見開き、眼球をギロリと動かすキルケになんの脅威も感じていないスパルダエスはそのままキルケの頭を強く踏みつけて悦に浸る。


「そこで転がっている猿にこう囁いてやったんだ!! お前の親友はお前のいないところで腹一杯、人肉を食っていたぞ? だからお前も食え、これは天啓だ、とな」


――は?何を言ってるんだこいつは?


「そしたらまさか、本当に食らうなど!! 飢饉を起こした甲斐があると言うもの!!」


「飢饉を……起こした?」


「そうとも、人の心に従い、人を導くことを生業とする天使の原種それが俺。 ほら、食い物がなく泣き喚いた民の腹は今日、”満たされた″だろ?」


「人の心に従う? 人を導く? はは。だったら俺の心をくみ取れよスパルダエス。 アルファを……生き返らせろよ!!!!」


 涙声で訴えるキルケの発言がよっぽど意外だったのか、スパルダエスは少し呆気にとられた顔をした後にため息を吐く。


「お前が殺しておいて、生き返らせろって矛盾してるだろ。 頭の中はどうなってやがる?? それにな、お前はすでに俺に導かれているんだぞ」


「何を言って、、」


「お前は願った。 大賢者になることを。 そこの死体は願った。 腹を満たすことを。 そして俺は叶えた。 それだけだ。 おめでとう! 晴れてお前は天使を殺せる大賢者だ」


 手の甲に浮き上がったアルファの魔術回路が視界の端にちらつき、キルケは唇を噛みちぎる。


「違う、違う違う違う違う違う違う!! 俺はただ、、ただ!!!!」


「違わない!! お前だけが!! お前だけが未来を望んで、今!生き残った!! 他のやつは今を望んで過去に死んだ馬鹿ばっかだ!!」


 平然と自分がこの状況を作ったことを告白するスパルダエスに対し、それでもキルケは睨むことを止めなかった。


「殺せ……殺せ!! ただし、私は何度生まれ変わろうと、何度輪廻の環に記憶を消されようとお前たち天使へのこの憎悪を忘れることはない……絶対にだ!! 覚えておけ? 俺はキルケ、お前を殺す大賢者キルケ様だ」


「……へぇ、俺を殺す……ねぇ」


 スパルダエスは今まで向けられたことのない殺意という憎悪に体の芯から震え上がった。


 殺意。 それは純粋でありながら、無邪気からもっとも遠い感情。


 そんなものを初めて向けられたスパルダエスは頬を赤らめて、幸せそうに口元を緩ませた。


「生かそうと思っていたがやめだ。 お前みたいに媚びへつらわない奴は初めてだ」


「よっぽど頭お花畑で生きてきたんだな、このクソ天む――」


 皮肉まみれのキルケの口をスパルダエスは幸せそうに口づけで塞いで、愛ではなく所有する権利をキルケの魂に刻み付ける。


 親友の死体の隣で与えられた口づけに、キルケは堪えきれず胃液を吐き出した。


 その隣でスパルダエスはキルケの耳元にそっと口を添わせる。


「キルケと言ったか? いいだろう、ならばものは試しだ。 お前が無意識に行った天使を殺し、それを確立させるヒントを与えて、今世を全うさせてやろう」


 そこで知らされたのは人の身では決して得ることのできない世界の成り立ちと神、天使、人の真実。 天使が大罪を犯して得た延々の命、それを終わらせる唯一の方法。


「お前たちは……天に仕える使者などではない。 悪辣なまでに自己しか見えない獣……魔獣、いや悪魔だ」


「今更気づいたのか。遅いな。だからお前らは俺たち天使未満、地を這う劣等種なんだ」


「覚えていろ、スパルダエス……俺は……お前を絶対に、許さない。 何度生まれ変わろうともだ!!」


「あぁ、俺もだ。 これから先の未来。 おれは、お前だけを心から愛そう」


「――気色悪い」


 全てを壊された憎しみを抱き、その生涯を初めて終えた哀しき少年は長い歴史の中で幾度となく生まれ変わり、無限に続く時間の中でただひたすらに天使の殺戮という一点に人生の全てを注ぎ込んだ。


 そうした繰り返した輪廻転生。


 彼女は竜王カウルすらも同等と扱う大賢者と至り。人々を導き、大陸へと進行してきた大天使スパルダエス率いる天使の軍勢、凡そ数百万を自身が創設したダエーワ旅団のメンバーたった数人で殲滅した。


「終わった――終わったのに――これで、良かったのか? 私は、私利私欲の為に星の歴史に干渉して――あまりにも――」


 スパルダエスを討った彼女が空を仰ぐ姿が霞み。


 映像が途切れるとすっと意識が現実に戻ってくる。


 記憶複写魔術の記された魔法陣の下、末尾に文字が綴られている。


カナリアへ。

もしこの手紙を読んでいるなら、私はもうそばにはいないのでしょう。

私は長い輪廻をくぐり続けてきたけれど、これで最後になる気がしています。

それは恐ろしいことではないの。むしろ幸せなことなんだ。

お前に出会えたから、安心して眠れるのだから。


私が託す“天使殺し”は、ただの力ではない。

大切なものを守りたいと願った時にだけ、その意味がわかるはず。

どうかお前は、お前の選ぶものを守っておくれ。


生きてくれてありがとう。

輪廻を繰り返した俺を/私を、お母さんにしてくれてありがとう。


ずっと、伝えられなくってごめんね。


愛しているよ


 遺書はキルケらしさは全くない締め括りなのに、その思いの込められた文字は間違いなくキルケの言葉だった。


 彼女は幸せな人生だったのだろうか? 自分は彼女から与えられてばかりだった。


 もっと、もっと、もっと、、ちゃんと死と向き合えば、こんなにこの胸は苦しくなかったのだろうか。


 手紙を胸に抱き、崩れ落ちるようにその場で膝を着くカナリアは、ひとしきり涙を流した後グッと前を見て決意を固める。


「おかあさん……受け継ぐよ。 私は私のためにこの力を振るう」


 残された歪なナイフを手に取り、立ち上がろうとした矢先。 それは突然訪れた。


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