地表編 13話
遥か昔。 いまだ魔術というものが世界に普及する古代。
『ここは?』
文明レベルはキルケから学んだ現代とそう差異はない営み。
しかし服装や言語から、映し出された情景が過去であることは容易に読み取れる。
――これは私の、私が天使殺しへと至る記憶。 そして、カナに最後に授ける私からのプレゼントだ。
死んだはずのキルケの声が頭の中で響く。
二度と聞けないと思っていた声に言葉を失うカナリアは、それでもこれが彼女の残した記憶投影魔術なのだと瞬時に理解して込み上げた感動を喉の奥へと押し込んだ。
――ここは貧困により、人々が今を生きることすら困難な土地、アルサイラ大陸南部さね。
キルケの声が案内をするように語れば、視界はカナリアの意思に関係なく目の前にある小屋の中へと吸い込まれる。
「アルファ!! 今日はパンをとれたぜ!!」
映し出された少年がパンを片手に上ずった声で家の入口に現れた。
此処は貧民街の更に外れ。 トタン屋根が特徴的な扉すらない家が軒を連ねる廃屋の一角。
「キルケまた盗んできたの? 大天使スパルダエス様に怒られますよ?」
呆れた顔をしてパンを持っている少年に声をかけたのは丁度同い年くらいの同居人だった。
「んだよアルファ。 そこはありがとう!だろ?」
キルケと呼ばれる少年は家の中で自分よりも貧相なアルファに少し嫌な顔をしてから腐ったパンの綺麗な方をちぎって渡した。
「ありがと……これも天使様や神様の恵あってこそ」
「だから俺が取ってきたんだよ! どんな頭したらそんな考えになんだよ?」
「キルケも信仰をすればわかるよ」
「へ! 何だよ信仰って。 馬鹿らしい。 そのスパルダエス様は私たちに何かしてくれたのかよ?」
「それは言い過ぎだ。 スパルダエス様は天界でも数人しかいないと言われる神に使える贖罪の大天使だよ? 僕たちじゃ想像も出来ない事をしてるに違いないさ」
「目に見えることをしてくれなきゃ分かんねぇつーの!」
「本当に……キルケは」
神のように一年に一度現れては搾取をする天使と、それを崇める街の人々。
誰もが今よりも良くなると願い、今を捧げた大地。
しかしどれだけ人々が天使に尽くそうと天使はこの土地を繁栄に導くことは決してしなかった。
だからキルケは嫌に口を曲げて、齧ったかびたパンを吐き捨てる。
「気持ち悪い」
それは幼いながらに街から高価なものを平然と奪う天使を見て育ったキルケなりの天使に対する印象だった。
「なぁアルファ。 俺は、奪う天使も、それをよしとするこの町の人間もどうにも好きになれないよ」
晴天を眺める痩せこけたキルケは、食べ物よりも優先して貴族が捨てた本を黙読する親友のアルファに今日も呆れた視線を向ける。
「キルケが気にすることはないさ。 天使だろうがなんだろうが馬鹿な大人が天使をあやして持ち上げて、気分良くなってる内は危害は加えてこないだろうし、俺たちは俺たちのことだけ考えてればいいさ」
「信仰しろって言ったり、大人をバカって言ったり……アルファはやっぱり俺とは違うな。 イカれてる」
「はは、盗みで右手の指全部飛ばされた君が言うのか」
日にひに痩せこけていくアルファにキルケは頬を膨らませ、その自分よりも知識の詰まっている頭を指のない手で殴る。
「痛っ!! 何すんだよキルケ!!」
「この手も案外便利だな」
「やめろよ、そんな皮肉は君からは聞きたくない」
「お前が話を振って置いてよく言うぜ? そもそも俺たちの事を考えるって言うならお前は少しは生きる事を考えろよな」
「考えてるさ、だからこうして天使を信仰して、今日もありがとうって思ってるんじゃないか」
「は! 意味わかんねぇ。 てかさ、アルファは毎日勉強してるけど、その無駄なことは止めたらどうだ? 今を生きることだけでやっとだってのに……ほら!ん!」
呆れたキルケはアルファにパンを半分譲り渡し、アルファも申し訳なさそうに「ありがとう」と呟いてその手から今日の食事を取る。
「わかってるさ。 だけど俺は体も貧弱だし、キルケみたいにまともに飯にもありつけない。 でも、だから、俺は生き延びた先の俺に投資する。 大魔法使いになってずっと裕福な暮らしをして、キルケだって養ってやる!」
頬のこけた子供の戯言。
物心ついた時からずっと知っているアルファは、今日もキルケの目の前で目を細め、希望に満ちた笑顔で絵空事に胸を張る。
「お前の言う通り。俺よりも雑魚で泣き虫で、俺がいなきゃ今にも餓死してしまいそうなほどにクソだ」
「そんなに言わなくっても……」
「だが、俺はそんなお前が好きだ」
そんなの無理だと一笑に付すことは容易いだろう。
しかし、キルケはそんなアルファの未来を見つめる眼差しに憧れを抱いていた。
だから生きたいと思えた。
「アルファが大魔法使いになるってんなら、俺はアルファを養えるほどの大賢者にでもなってやるか」
「――なんで真似するんだよ?」
「ライバルがいた方が面白いだろ? それに、お前とは対等な方が俺は気が楽でいいんだよ。今と一緒でな」
「なんだよ、それ」
貧しかった。 お互い家族と呼べる存在もいなかった。 でも満足していた。
あの日。数十年に一度と言われる最悪の大飢饉が起こるまでは。




