地表編 10話
「キルケ! 見てみて! これはすごいわ新しい魔術よ! これが上手くいけば時間に干渉できるのよ!! 」
ドタドタと響きわたる賑やかな足音が廊下を叩き。 聞き覚えのある大声と同時にキルケの居る寝室の扉が勢いよく開く。
「相変わらずカナは何年経っても元気だね」
「もう、年寄りくさいこと言わないの! 私の魔術で若返ってるんだから見た目相応のこと言わなきゃ!」
「ならお前さんも年相応の言動をしてくれると助かるんだけどね? もうここに来て長いだろ? 十分、大人の女性じゃないか」
「そ、そんな!! かわいいだなんて照れるじゃないですか」
腰の高さまで伸びた髪の毛を触りながら照れるカナリアに、キルケは興味なさそうにカーテンの綺麗な縦皺を見る。
「……やっぱり、お互い見た目相応はちょっと無理があるな」
「失礼な!!」
ケラケラと寝室で横になって笑うキルケ。 カナリアの言った通り見た目だけなら少女だが身体は既に動く事すらままならない程に衰えており、その声に覇気は一切感じられなくなっていた。
元気を取り繕うカナリアはキルケの今にも消えそうに揺らめく瞳の燈火から目を逸らす。 もうキルケがこの世界に居られる時間は少ないだろう。
握りしめて持ってきた魔術式理論がしわくちゃで読めた物じゃないなと、カナリアは複雑そうに目を細めて、何も言わずにそっとキルケの隣に腰を掛ける。
「そもそもあたしゃ人の数倍以上の人生を歩んでるからね、これが私なんだよ」
「また冗談言って。 心配しなくっても大丈夫。 私が直ぐに若返りの魔術を完成させておかあさんを同い年にしてあげちゃうんですから!」
「頼んでないし望んでない。 それに時間は神の領分だ。 カナが至るべき場所じゃない」
「それはキルケがそう思うだけで! 私! 本当に時間の魔術式を!!」
「カナリア――もう。 あたしゃ疲れたんだよ。 十分だ。 だからそんな危険な研究はやめなさいな」
「嫌です! 危険かもしれませんが、後にも先にもおかあさん以外には使用するつもりはありません!!」
キルケは瞼を閉じ、これ以上の研究はやめるようにと諭すが、何度言っても話を聞かないカナリアはいつものように反発的な態度をとり、その意思を強行しようと必死に声を荒げる。
「何度も言ってるだろ? カナにその気がなくっても生み出された時点で悪用される危険がある。 そしてなにより、これから先の未来で、カナはそれを私以外に使う選択肢がきっとくる。 だから作ってはいけないんだ。そんな選択肢、あっちゃならないんだ」
「でも……!!」
「カナ、よく覚えておきな。 全てにおいてだ。 出来上がった時点でそれはもう自分の手の平から離れる事は決まっているものなんだ。 そこに作成者の意思は関係ないんだ」
「でも!! それは私が伝えなければ誰にも広まらない!! だから大丈夫なのよ?? ねぇ、おかあさんそんな寂しいこと言わないで。 お願いだから命を諦めないで」
必死にすがるカナリア。キルケは未だ瞼を閉じて言葉を続ける。
「これからの長い人生で、大切なものが沢山できるだろう。 それこそ私なんて霞むほどの愛おしい存在だって現れるに違いない。 今大丈夫だと言い切れても、いざその時が来たときに、カナは必ず完成した魔法で永遠に生かす選択をする。 そしてそれは人伝に広まり、責任の取れないものへとなる」
人の倍以上生きていると豪語するキルケの言葉は柔和でありながらも鉛のように重たく。 まるで自分がそうであったかの様に語るものだからカナリアはそれ以上、何も言い返せなかった。
「冗談にしちゃ長い、本当に長い人生だった、巡り巡る輪廻の環、強制的に押し付けられた自分で終わる事の許されない永遠という名の呪い。何度挫けそうになったか」
嘘が嫌いなキルケが語り出すあり得ない、絵空事のような話をカナリアはただ何も言わずに耳を傾けて優しく相槌をする。
「ねぇカナリア。 お前さんが来てもう随分と経つさね」
「そうですね。 魔術理論と魔法学を教えられて丁度十五年ですか。」
「なるほどな、てことはカナがここにきて――二十一年になるってことか。 私も老いる訳だ。 こんな最期も悪くない。 ボケなかっただけ御の字だ」
ベッドの上で横になるキルケの実年齢は凡そ二〇〇手前へと差し掛かり、見せかけの魔術では隠せ切れない程に老化は著しく、今では外に出る事すら儘ならなくなっていた。
「もう。 そんな辛気臭いこと言って……見た目だけじゃなくって、すぐに昔みたいに元気にさせて見せるからもう少し頑張ってくださいね」
「頭が硬い子だねぇ、本当に……。 見た目だけであたしゃ十分幸せなんだ。 これが人としての寿命なのはカナも知ってるだろ? 最近じゃ完全に寝たきりで、もう杖なしじゃまともに歩くこともできなくなっちまった」
「へへ、そんなこと言って毎日元気なくせに……」
「ここまで面倒を見てくれて、ありがとね」
同じ時代を生きているのに同じ時間が流れていないのは今更で、カナリアは窓の外をじっと眺めるキルケの手を握ってから見せかけの肌を指でなぞる。
「なにそれ、おかあさんらしくない」
シワひとつない手の甲。しかしその肉付きは余りに薄く、手首に触れれば脈拍は五十にも満たない程に低い。 血色も日に日に落ちていることから内臓や血管も限界に近いのだろう。
「それにしてもあれだけ魔法と魔術の会得を拒絶していたカナが、今じゃ私以上に効率的な魔術構築ができる様になるんだから才能と時の流れは恐ろしいことこの上ないな」
「そうですね。 本当に、時間の流れは恐ろしく残酷です……だから、だから! 早く魔術を完成させないと!!」
「あの時のカナときたら……くく、思い出すだけで腹が捩れるね。ほら窓から見えるあの桜並木の下で……」
話を戻そうとするカナリアの言葉を掻き消してキルケが更に過去を懐かしむものだから、カナリアは空いていた口を閉じて何処か遠い目で話を合わせる。
「いや、正直何も知らない人に魔法を見せたら誰だってああなりますからね? そもそも、おかあさんの常識って明らかに逸脱してると思うんですよ」
はにかんだ笑顔を浮かべるカナリアに対して、一切視線向けないキルケは窓の向こうに語りかけるように溌剌とした声で昔話に思いを馳せる。
「失礼だね。あたしゃ冒険者してた時はパーティーで一番の常識人だったんだよ」
「自分で常識人だと言い切れる事自体がそもそも可笑しいんです。なんと言いますか、聞けば聞くほどキルケの昔組んでいたパーティーが不思議でなりませんよ……地下にある虚数域に繋がる部屋だってそうです」
虚数域。 それは十五年前にキルケがカナリアを案内した開かずの扉の先に広がっていた空間。キルケ曰く実在しない数で作られた本来は認知できない反転した世界らしい。
らしいと言うのも何度か詳しく教えて欲しいと尋ねたのだがその度にはぐらかされていたので、カナリア自身が虚数域についてその程度しか理解ができていないのだ。
どうせ今日もいつもと同じ。
適当に濁されるのだろうと踏んでいたカナリアだったが、意外にもキルケは言い淀む事もなく当たり前の様に話し始めた。




