地表編 9話
魔法を学べば間違いなく自分がのめり込む事をカナリア自身理解しているし、それ以上に学ぶという事が失敗の連続であることも知っている。
魔法の失敗とは即ち、世界の崩壊にもなりえる事由。
世界云々以前に間違いなく即死だろう。
「魔法を間近で感じた時から、私の中にずっとある今の自分ではないなにかが”生きろ”と……訴えてやまない」
「お前さんは毎回毎回……ああぁ、めんどくさい!! 過去とかそんな事気にしても意味ないだろ!! いつカナの前の人格が戻ってくるのさね? え? いつ? どこで? なぜ? どのように?」
「そ、それは……」
苛立ちを隠せないキルケが椅子から立ち上がると、言葉を詰まらせるカナリアの心臓に人差し指を押し付けて捲し立てる。
「今を生きてるのは”ここに居るカナリア”なんだ! そして、だからあたしゃ言ってる、私を信じなさい!! 今のカナだけが知ってる私を!! 今のカナだけを知っている私を!! 私はお前さんが自立できるまでサポートすると言ったからそれまでは絶対に死なせるか!! 約束は絶対だ!!」
「えっと……その」
キルケからの優しく愛のある言葉に対し、カナリアはチカチカとする視界で言葉を詰まらせならが脳裏に映る″記憶にない記憶″がフラッシュバックする。
『信じろ、俺たちは敵じゃない』
森の中。知らない天使がそう言って近づいてきて、駆け寄ったら……私の顔目掛けて……
『ほら泣けよ!! お母さんたすけてくだちゃいって!! あはははは。 あの人も記憶を消して森に放置とか、面白い事をする!』
『おい、あんまり言うなよ! 腹が捩れて死んじまう!! 信じろって言えば直ぐに駆け寄ってくるなんて母親同様になんてバカなんだ!!』
――痛い、怖い、誰か。
助けてよ。
心からキルケの言葉に首を縦に振りたいのに、信頼、信用という言葉が鼓膜を舐めると、カナリアの心中に渦巻くどす黒い本質が前頭葉で囁く。
まだ他人を信じるか?
指を刺されて笑われる、なぜ生きてるんだと馬鹿にされる、裏切りを娯楽として消化される。
あれを、あれらを忘れたのかと。
防衛反応に似た知らない胸の痛みが動機を速くする。
自分ではない自分の声に襲われると思考が上手く纏めることができなくなり、カナリアはわからなくなってしまう。
信じたい。
信じたいのに信じるなと身に覚えのない感情が後ろ髪を引いてたった一言の返事が酷く詰まらせる。
『もう〇にたいよぉ』
幼い自分が脳内で蹲って泣きながら訴えかけてくる。
「違う。 違う違う違う違う」
無意識に襲われた恐怖に全身が震え上り、込み上げてきた吐き気に耐え切れずカナリアはその場で嘔吐する。
身に覚えのない拒絶反応は記憶を失っても尚彼女の体が覚えているトラウマ。
「大丈夫かい?」
身震いをして明らかに異常を来しているカナリアに、過去の経験則から天使という存在の本質を知っていたキルケは何も言わずに優しくカナリアを抱擁する。
「ごごごめんなさい。 ゆるして、いじめないで、殴らないで。 信じてたのに、なんで、おかぁさん」
「はやく、かえってきて、ちゃんと、いい子にするから」
その言葉を聞いた瞬間、キルケの胸が締め付けられる。
「謝るな。 大丈夫。 大丈夫だから。 カナは何も悪くない。」
カナリアが記憶を失い堕天した理由。 始めて触れた彼女の心の傷に、優しい声音で語り掛けるキルケは怯えるカナリアがその場で気を失うまで強く、強く抱きしめひとり呟く。
「そうか。 いま、漸く理解した。 どうやら私は、絶対に天使を許せないらしい」
それから更に一日。 漸く目を覚ましたカナリアは何が起こったのか思い出せずベッドの隣に目を向けるとそこにはキルケが手を握ったまま寝ていた。
「おはよう、おかあさん。 私一体――なにが」
いまだ激しい頭痛に襲われているカナリアは額に手を当てて顔をしかめていると、目を覚ましたキルケが欠伸をしてから目を覚ます。
「おはよう、カナリア。 調子はどうだい?」
「調子?」
その質問を聞いてふと我に返ったカナリアは約束を無碍にしようとした事実を思い出し、見捨てられるかもしれないと焦り、急いで弁明を図る。
「ごめんなさい! 違うの! キルケ!!」
「あとは任せなさい」
カナリアの言葉を遮ったキルケはただ優しく笑っていた。
表情をピクリとも動かす事なく感情に蓋をするように笑っていたのだ。
任せなさいと言って自分から離れて杖を携え始めたキルケが何をしようとしていたのか。
寝起きのカナリアには全く理解ができなかったが、不意に見えた彼女の横顔が今まで見た事のないほどに殺意に満ちていて、このままだとキルケが側から居なくなってしまう。
それだけは何となく本能的で理解できた。
「待って、行かないで……私、魔法学、勉強したい。 だから、まだ私の為にここに居て!! おかあさん!!」
ドアノブに手をかけていたキルケが動きを止めてカナリアを見つめると、カナリアはベットから横転して這いつくばりながら確かな自分の意思で初めての決断をした。
「そうだね。 きっとあんたが望むならその方がいいさね。 でも嫌ならやらなくっていい。 カナはきっとずっと苦しんでいたんだと思う。 だからこれ以上背負わなくってもいいと思うのさね」
「私は、わたしをまだ何も思いだせません。 でも、わたしにとってキルケはおかあさんなの。 初めて読んだ絵本に出てきたおかあさん。 わたしを大切にしてくれる存在、私を育ててくれた存在。 確かに血は繋がっていないけど大好きなの。 だから見捨てないで。 近くにいて……おねがいです」
跪くその小さな背中に、腹の底から煮え滾る憎しみと怒りの衝動を押し殺す。
「そうかい。 たく。 勘違いもここまでくると困りもんだね。 わかった。 このまま中途半端に投げ出すのも癪だし。 教えようか、私のすべてを。 さ、おいで」
少し上を向くキルケは決してカナリアのほうを振り返らず歩き出し、カナリアも言われるがまま自力で立ち上がってキルケの背中を追いかけた。




