地表編 4話
時は流れて六度目の春が訪れた。
キルケの努力は身を結び、カナリアは常識という点においては世間一般で恥をかくことのない程度の成長を遂げていた。
堕天して多くを失ったカナリアだが、良くも悪くも歪なりに破壊と再生を繰り返してきたことで強靭なメンタルへと至ったのだろう。
暴力罵倒は当たり前。普通の人間なら一か月足らずで逃げるか病むスパルタを、カナリアは全く堪えることなく全てを吸収してしまった。
「うん……合格だ。まさか六年で大陸事情に地政学、数学やこの大陸における言語を網羅するとは恐れ入ったよ」
「へへへ、お母さんの教え方が上手だからですよ」
「当然さ! 私もそうだと思ったんだよ。それなのにカウルや他の奴らは私の教え方が絶望的に下手だとか、絶対に人に教えるなとか――まったく酷いもんだ」
「カウルって暦になってるあの竜王ですか?」
「そうさ。二度目の転生の時に出会って、それからずっと生まれたら私を迎えに来てくれる変人さ。あいつは事あるごとに文句ばっかり言って、ほんと、困ったやつだったよ」
「え!なんかロマンチックですね」
「ロマンチックなもんか、気色悪い。カウルにはメルフィっていう囚われのお姫様がお空にいるらしいからね、あたしの出る幕はないよ」
「囚われの、お姫様?」
「あぁ、あたしがそう言ってるだけってのもあるが会う度にメルフィ、メルフィ!メルフィ〜って鬱陶しいくらい語るんだから会いたくって堪らないお姫様なんだろうさね」
肩を上げて、キルケは面倒くさそうに目を横に流す。
「それは。 なんか、ずっと会えないのは可愛そうですね」
「――まったくな」
呆れるキルケ、竜王と呼ばれるカウルに同情を覚えるカナリアは、ふと内心思った。
そんな何年もキルケの隣にいた人が、キルケに人に教えなという言うくらいだからよっぽど下手なんだろうと。
「ともかくだ、私の教育は完璧だった。 それだけの話しさ。次会ったら――自慢してやるとするか」
くくっと恨めしそうに笑うキルケに、カナリアも嬉しくなる。
「是非!良くなかったのは人を魔物であふれる樹海に置き去りにしたり、トイレのカギを設問に回答しないと開かない箱に入れたりするくらいですもんね」
「……もしかして根に持ってる?」
「いえ、全く?」
いつもこの調子で裏表のない笑顔で答えるカナリアだから、キルケは自分の心拍数が上がる罪を覚えたのかもしれない。
「そ、そうかい。どちらにせよだ。ここまでよく頑張ったね」
籠もりきりだった書斎で眼鏡を外し、キルケは一週間ぶりの背伸びをする。
「お前さんが六年前に学び始めた時は、生まれたての――それこそ一歳の子供が学ぶレベルだったんだ。 良かった。わたしが死ぬ前に外に出られる知識がついて、本当に良かった」
喜びのあまり、感涙に浸るキルケ。
そこへ誉め言葉を耳に挟んだカナリアが緩んだ顔で息抜きにと準備をしていた紅茶を持ってきた。
「えへへへ」
「本当に長かった……冗談じゃない。トイレの仕方から教えたときは、魔術を教える前に私が死んでしまうんじゃないかと思ったのに……やっとこれで魔術を学べるね……」
今までめげずに教え続けてきた成果の実感。自分の努力が報われたキルケは達成感に身を震わせた。
「それほどでも!」
「褒めてない! いや、褒めたけど褒められる状況じゃなかったからね? てか今の流れで喜ぶあたり、本当に図太いね」
「それはお互い様ですよ」
呆れ笑いを浮かべると同時に「え?根に持ってるじゃん?」と冷静になるキルケ。
笑ったカナリアはおぼんに並べたカップを机に置いて紅茶の準備を始める。
「……キルケは、また生まれ変わるんですよね?」
正面に座るキルケの増えたしわを横目に本音が零れる。
「……それは、ないかな」
「なんでですか?何度も生まれ変わってるんでしょ?」
同じ歩幅では生きていない。その事実に寂しさを覚えるカナリアは何処かやるせなく愛想笑いをした。
歩くことも減ったキルケ、心配だなんて言えばきっと怒られるだろう。
注ぐ紅茶の水面。そこに映った変わることのない自分の姿。
「はいどうぞ」暖かい時間のおすそ分け。 いっそこの命の半分をあなたにあげられるなら。
手渡した紅茶。 たったそれだけしかあげられないのに、「ありがと」なんて満足そうに受け取らないで。
カナリアは少し苦い顔で息を吐く。
「私はね。この人生の目的を今世で果たしたのさ。だから、悔いがない。 次死んだなら新しい私は新しい命になっているだろうさね」
「私のことも忘れちゃうって……ことですか?」
「――それが本来の死の在り方だ」
揺れる瞳、ゆっくりと閉じたキルケの瞼。 優しく語るその言葉が冗談にもならない覚悟だと、カナリアは直感した。
「そう、ですね。 死んだ時の事とか覚えてるの普通に嫌すぎますもんね」
ニコニコ笑うカナリアは相も変わらず他人行儀に鼻を鳴らす。
「そんなに笑顔で言われると、転生したとしては少し複雑だね」
「キルケは……きっと次は何も知らない、素敵で可愛いおばあちゃんになれますよ」
「はは、そりゃあ次の人生でも随分と長生きしなくちゃならないね」
「そうですよ?」
ひらりと落ちた花びらがガラス越しにカナリアの視界に入った。
「カナリア。 いずれ朽ちるのが世界の理さね、朽ちるから青葉は青葉でいられる、カナにとって経験のないものだから分からないかもしれないが――」
「何となく。 不思議と終わりが悲しいって気持ちはわかる気がします」
キルケの前で髪を耳にかけるカナリアは無意識に唇を強く結んで、苦しそうに木漏れ日が差し込む青葉の隙間から青空を見つめていた。
「一丁前に……なら来世じゃなくって今世も長生きしなきゃだな」
「えぇ、きっと、約束ですよ」
「――」
「そういえばおかあさん、もう一昨日あたりから桜が咲き始めたので見に行きませんか?」
辛気臭い空気に嫌気がさしたのか、カナリア手をパンと叩いてキルケに微笑んだ。
「桜か……もうそんな季節なんだね。カナの容姿がほとんど変わらないから、感覚がボケちまうよ」
紅茶を片手に、憎らしそうに思ってもないことを言うキルケは乾いた声で小さくため息を吐いた。
「それってどういう意味ですか?」
「どういう意味って……そのまんまの意味さね。お前さんが来てもう六年も経ってるってのに、老いるのは私だけ。カナの肌はピチピチで髪もサラサラ、ちょっとくらい嫉妬させておくれ」
「嫉妬だなんて柄でもない。 それに変わってないこともないですよ? ほら、髪が六年前より十センチも伸びてます。 なんか年取ったって感じがしますよ?」
「いやいや、六年で髪が十センチって……それは一年で伸びる長さだよ……?」
「気づけないなんて乙女心が分かってないなぁ」
「無茶だろ?前髪三センチ切った違いに気がつけと言ってるのと一緒だぞ!私も転生して女は長いが、それでも理解できないぞ!」
「理解ではありません。直感するんです!……って、やっぱり分かんないですよね」
「なめてるのかい?」
「自分に対して語る言葉は、口に出さず胸のうちで問いかけるものですよ?」
どうも聞き覚えのある理屈にキルケは頭を抱えて自然と口元が緩む。
「不思議だよ……お前さんといるとアンリユと話してるみたいで泣いちゃいそうに待っちまう」
「アンリユとの旅……ですか? そういえばおかあさんが時々私とそのアンリユ?を重ねて話しますよね?」
「聞きたいか? アンリユはお前さんの……」




