地表編 3話
朝露が滴る大樹の葉の下。机を挟んで座るキルケは、真剣な眼差しでカナリアに問う。
「お前は誰だ」
「カナリア!……です?」
「だから、疑問形はやめなされ」
人差し指を顎に当てて可愛らしく首を傾げるカナリアに、口を歪めたキルケが気持ち悪そうに持っていた杖で軽くカナリアの頭を叩く。
「いったいですよ!! キルケ、酷いです!」
「お前さんの反応の方が酷いさ。 なんだいその仕草?完全に“私は可愛い”って仕草さね。 うぇ。それじゃあ世の中、生きてはいけないよ?」
「え? かわいい? えへ、えへへへ。 キルケも可愛いですよ?」
頭に手を当てて照れながら笑うカナリア。
それが余計にキルケの癪に障ったのか、白けた目をカナリアに向けて無言で再度、頭をコツンと杖で叩く。
「もう! なんで二回も殴るんですか!! 鬼! 悪魔! 人でなし! キルケを褒めたのに!」
「褒められても嬉しくないわ!」
「女の子なら素直に喜ぶのが美徳ってものですよ!」
「私は女の子でも女でもない!! それに人でなしが人でなしなんて、冗談じゃない。……せめて“人”に言われたら説得力もあったろうに」
ふっとほくそ笑むキルケに頬を膨らませるカナリア。
「私は人です!! キルケは女です!! 一緒に水浴びしたから間違いないっもん!!」
「思い込むのは勝手さね。 ただ、あんたが天使じゃないなら人里に捨ててくるしかないかね? 私が面倒を見る約束をしたのは天使であるカナリアだから、ね?」
「――ん!!」
人ではない自分を揶揄され、その上必死の反論すら揚げ足を取られる始末。
カナリアは言い表せない感情にその場で立ち上がって、感情の発露が分からない子供のように地団太を踏む。
「さ、怒ってないで席に着きな。 勉強の続きだ。嫌なら別にいい。あたしゃあんたがどうなろうと知ったこっちゃないからね」
「――む!!」
肩を上げてほくそ笑むキルケが掛けた眼鏡の位置を直し、片手間で机に広げ居てた魔術研究の資料に視線を移してペンを握る。
自分の事などさして興味のない反応をするキルケ。 カナリアは不服そうな表情でもう一度席に座って座ってキルケの興味を自分に向けさせる。
「座りました!! 座ったよ、キルケ?」
「ったく。 本当にどうしようもない子だね?」
ため息交じりに再開した授業。 風に揺れた木漏れ日が机を照らす午前中。 鳥たちが番を見つけるために求愛をすれば森が少しだけ騒がしくなる。
向かい合って言葉を交わし、常識を照らし合う二人が出会って、随分と時は流れた。
魔術師キルケは不本意ながらも「拾った以上は責任がある」と結論を出して、目覚めたカナリアに条件付きで自立までのサポートを約束していた。
「このおバカ!! 何度も言っただろ!? 自己紹介は自分に自信を持って言わないとダメだって! そうしないと、街の関所で目をつけられっちまうんだぞ? 最悪、酷い目にあうんだぞ?」
「そんな強く言わなくってもいいじゃないですか! 私だって――私だって……」
「おいおい、泣くのかい? これだから女ってのは」
「泣かないもん。キルケの前で泣いちゃダメって約束。わかってる。だから、泣かない」
「泣いてくれたら追い出せるから、こっちとしては願ったり叶ったりなんだがね」
「本当に!! キルケってどうかと思うわ!!」
「約束は約束さね。 カナリアを保護する際に交わした条件のひとつが泣かないことだ。 それを守れないならあたしゃこの席を立たせてもらうよ」
ほくそ笑むキルケにカナリアはグッと涙を飲み込んで鼻を鳴らす。
「それにしても女の泣き声が耳障りって、キルケも女じゃない? 泣きたくって泣けないなんて生きるのが大変ね」
自分にまで誓約を課すその不憫さに、カナリアも負けじと眉を少しだけ顰めて呟く。
「だからあたしゃ女じゃないよ!! 生まれた身体が偶然女だっただけさ」
「なら女じゃない。 私にはキルケが何を言ってるのかさっぱりわからないわ?」
「だから!!」
「いいじゃない。 それはそれで、キルケはキルケよ? 私がキルケを女だって言って、私がキルケを否定してるわけじゃないんだから」
何かをいいかけたキルケだったが、カナリアが顰めた眉に誰かを重ねたのか小さく頬を引き攣らせた。
「その顔で言われると……いや、よそう。腑が煮え繰り返る」
「腑って内臓よね? 人間ってすごいけど大変そう……心配だわ。 そういう点では天使で良かったかも」
「……ああ!もう! それでいい!! それよりカナリア、他の条件はちゃんと覚えているんだろうね?」
純粋な同情をカナリアから向けられて面倒になったのか、キルケは肩で息を吐き捨ててから憑き物が落ちたような柔らかい表情で口を開いた。
優しく、本気のキルケの目。 カナリアは軽く咳払いをして右手の指を一つずつ立てて思い出す。
「確か二つ目が魔術の会得で、最後は私が自立した後にキルケの意思を継ぐ……だったかな?」
「よく覚えてるじゃないかい、偉いね」
「それほどでも!」
褒めてくれたキルケの言葉にカナリアは照れつつ、改めて条件を口にすると疑問が残る。
「うーん、だけど“キルケの意思を継ぐ”っていまいち分からないなぁ」
「そうかい? 別に私と暮らして、私の考えを理解してくれればいいって意味なんだが?」
「もう少し言葉にしてください! そもそも“意思”ってなん何ですか?」
「私の願いさ」
「その願いを私に託していいの? 私が同じ願いを持ったら取り合いっこになるのよ?」
「ならないさ――ならないから託すのさね」
カナリアの視線が自分に向けられているのを察したキルケは、少し空を見上げた。
「カナリア。 あんたには――私の代わりに力を継承してほしいんだよ」
「願いが力の継承になるの?」
「願った結果が力になったからね」
机に置いていたキセルが陽の光に当てられて黄色く輝き、やたらとキルケの目の端で主張をした。
だから、ただ場所を移動させようと。そんな気持ちでキルケはキセルを手に取って握りしめた。
生暖かい柄が妙に人肌で気持ち悪いと思った。
本来持ち合わせていなかった物がまるで体の一部になろうとしている。
そう錯覚する程にキセルが左手に馴染むものだから、キルケは手放すのが面倒になり受け入れるようにそのまま火種をつけ、深く煙を吸い込んで吐いた。
「な――煙たい!! それどうにかならないんですか?」
「老い先短い老人の楽しみを奪うものじゃないよ」
「老い先、短い?」
どこか疑うように目を細めるカナリアに、キルケは少しだけ煙で言葉を霞ませる。
「――そうだ。 あたしゃ天使殺しのキルケさ。言ってしまえば、この生涯、そのために多大な時間を費やしたと言っても過言じゃない。だが見ての通り、もう老い先短い身だ。だから、引き継いで欲しい……のかもしれない」
「えっと……あの」
「なんだい?」
言葉を濁すカナリアに、言いたいことがあるならはっきり言えと、鋭い視線をキルケは向ける。
「キルケは私のことを天使だってよく言うけど……それなら、どうして天使の私を殺さなかったの? どうして生かして、力を与えようとするの? 天使を憎んでいるんでしょ?」
「今の私が、天使を憎んでる。そう――思うかい?」
「じゃないとキルケには、天使殺しなんて似合わないもの」
世界の事情を何も知らないカナリアの言葉に、キルケは瞳孔を大きく広げてキセルを呆気なく手放した。
「私に、天使殺しが似合わないときたかい、ならカナリアにはあたしが一体なんなら似合うと言うんだい? えぇ?」
苛立つように少しだけ声を荒らげるキルケ。
「そうね、キルケに似合うのは――おばあちゃん!」
「……はい?」
カナリアからの想定外の答えに、キルケは理解が追いつかずパチクリと瞬きをした。
「キルケは結婚して、おばあちゃんが似合ってるわ! 殺しとかよりも、みんなの為にすごい賢者になって!それで――」
「もう、いい。 賢者も、すごい魔法使いも、私には過ぎた願いだ。 私には、綺麗すぎる」
「綺麗でいいじゃない。 世界はきっと綺麗だもの。 そうなるように創られてるに違いないわ!」
「そう、か。 カナリアがどう思おうが構わないさ。 ただ、それは私には――眩しすぎるさね」
ベランダにある机の正面に座ったキルケは顔を逸らして煙を吐き、とても柔らかな目で差し込む日の光を見つめた。
「あたしゃ、今も天使は嫌いさね。……でも、憎んでるかと言われると難しいな。様々な星を渡り、目的を果たした今、私がこの力を継がせたい理由は単純な後悔――思い残し、さね」
「後悔? 目的を果たしたのに?」
「ああ。……きっとカナ、お前がこれから辿る道の先で、私の後悔と巡り合うことがある。その時が来たら――お前に終わらせてほしい。傷つき、囚われた彼女の旅の果てを」
「旅の果て? 結局、何が言いたいのかさっぱり分からないわ」
「要するに、私のわがままを聞いてくれってことさね」
キルケは朗らかに微笑む。
何を思ってキセルを吹かしているのかは分からないが、少なくとも安易な気持ちでカナリアを育てようとしていないことだけは伝わってきた。
「んー。 ええ、その願い、その意思。約束したもの、私が引き継ぐわ!」
「……そうかい。期待はしてないけど、まぁ頑張っておくれ」
「なんで期待してないのよ!」
「そりゃあ……知識はあって会話もできるのに、生活能力は壊滅的。一歳児と同等。トイレの仕方とか、生活する上で最低限の能力が欠落してるんだ。まずはそこからだろうね」
額に手を当てて皮肉交じりの言葉を呟くキルケ。
しかしカナリアにはキルケの言葉の本質など、全くと言っていいほど理解はできず目をパチクリとして首を傾げる。
「? ありがとう」
「褒めてないよ……皮肉だって」
もう何を言っても無駄と肩を落としたキルケ。
こうして始まった共同生活。抜本的な部分から教える日々は、喧嘩もあれば談笑もある。
最初は理不尽に拗ねるカナリアに手を焼いていたキルケも、時が経つにつれ、その全てがどこか愛おしくなっていくのにそう時間はかからなかった。




