堕天編、終幕
「た。たの、しい?」
全くもって筋のない理由にマリアの中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
――この男は、また私から家族を奪うんだ。
ただ“面白いから”笑っているだけ。ただ味気ない日常の“娯楽”として消化しているだけ。
「アンリユ。ごめんなさい。私はあなたの母として、約束を守れなかった。カナリアとインバードを守ってあげられなかった。私は、孫すら助けられない」
地面に額を打ち付けるマリア。
日が昇るの少し前の空気は矢鱈と寒く、這い出たインバードは息を白くして姉の元へと向かう。
インバードの顔は腫れ上がり原型はない。全身は骨折していて、動くたびに頬を歪ませる。
苦しい。このまま薄れる意識に溺れたい。
体力などとうに底をついている。
それでも、インバードは最愛の家族の元に――体をうねらせ、土を噛み締めて向かう。
「がんばれがんばれ! おねーちゃんが待ってるぞ!!」
「こりゃ傑作だ!! イデルバは天才だな!!」
拍手喝采。笑いを堪えられない天使が指をさし、イデルバ同様に哄笑すれば活気に溢れる。
「おね……ちゃん……すぐ助けるから……待って……て」
潰れた声帯で姉を呼ぶインバードと、後ろで何が起こっているのか分からず、不思議そうに目の前の夜闇を見つめるカナリア。
「おねぇちゃん。やくそく、破ってごめんなさい。」
しどろもどろになりながらインバードは瞳を潤ませ、自分に見向きもしない姉に語りかける。
「ぼく、おねぇちゃん、死んだと、思って。生きてて、よかった」
姉の背中は手を伸ばせば届く距離。 差し込む朝日が、雲の隙間から一縷の光となってカナリアだけを照らす。
インバードは口元が緩んだ。
自分の声に反応して振り向いたカナリアが、あまりに綺麗だった。
暴力の痕跡はなく、綺麗な顔が優しい眼差しでそこにあった。 だから……インバードは安堵した。
「良かっ――」
「……貴方は……」
微笑むカナリア。 振り返ったその表情に、インバードは物言えぬ恐怖を感じた。
知ってる眉、知ってる笑顔、知ってる目。
姉の姿で、姉の声なのに、直感的にインバードは目の前のカナリアが姉じゃない、真っ黒な影に見えた。
「――え? お姉ちゃん、どうし――」
「だれ?」
「――え?」
「貴方は……誰?」
その眉が困っていた。 近い姉が、ずっと遠くに感じた。
インバードは姉の姿が綺麗なままである理由に――ビー玉のような瞳を瞼で潰した。
ゆっくりと、見たくない世界を閉じる様に。
「ごめんなさい……後ろの誰かさん。思い出せないの……なぜ周りがこんなにも嬉しそうに笑っているのか。 なぜ、こんなに辛いのかも……」
カナリアにとって、ただ、背後からか細くも聞こえる“男の子の声”が心を不思議と揺さぶったから声を返しただけ。
「え? な……なん……で。もしかして、言われたとおりに神殿行かなかったの、怒ってる? ごめんなさい。謝るから、そんな言い方、僕、辛いよ」
悪意のないカナリアからの、拒絶にも似た反応。
今まで優しかった姉の他人行儀な言葉に、インバードは動きを止めてその場で首を振り、涙を流す。
周囲の笑い声が絶頂を迎えようが、二人の耳にはその一切が届かない。
「あのね、分からないけどね。 それでも一つだけ、なんとなく、貴方に伝えなきゃいけないことがあると思うの」
ふわりと優しい風がカナリアの髪をなびかせる。
朝焼けが都門前の雲海に差し込み始め、光がインバードの金色の瞳を、ラメのように煌めかせる。
朦朧としていたインバードの意識が鮮明になる。 口の中に広がった鉄の味がじゃりっと砂の触感と混ざり合う。
斜めに滑った視界に暴力を受けた姉の顔が入った瞬間。
姉の言いつけを守るために押し殺していた憎しみが――臨界点を突破する。
「――」
後方で唯一“作り笑い”をしていたイデルバが、無言のインバードの瞳の異変に気がつき、急いでマスクを付けてからカナリアを堕天させるために姉弟の方へと走り出す――が、間に合わなかった。
「ねぇ君」
限界まで後ろを振り返るカナリアは不器用にほほ笑んだ。
「生きててくれてありがとう。愛してるわ」
「待っーー」
手を伸ばすインバードの隣で空気が揺れた。
勢いよく現れたイデルバがカナリアの背中を思い切り蹴り飛ばして観測所から突き落とす。
ゆっくりと、網膜に焼き付くように、インバードの日常が終わりを告げる。
目の前から初めて奪われた当たり前に呆然自失のインバード。 その横でイデルバは口をゆがめる。
「クッソが!! 小惑星帯の狭間で殺すつもりだったが――仕方ない。 くそ。いまさらどの面下げて来てるんですか? 神――ヴェルゼナァァァァァ!!」
空へと蹴り飛ばされたカナリアは、足場のない雲海へと堕ちる。
――なんでだろう。私、まだ、あの少年に――
何も分からず虚の瞳で堕天するカナリア。
少しずつ遠のく天上の故郷・アスタリアを見上げ、輪廻の輪から都門前に“落雷”が放たれたことを確認した後、その身は雲海へと呑まれる。
風を切る音。変わる情景。美しくも儚い“浮遊する”地表の夜明け。
背中のハリボテじゃ羽ばたくこともできないから、ただ身体の力を抜いて、重力に逆らうことなく身を任せて落ちる。
あぁ、もう――なんでもいいや……
現実から目を背けるように翼で身体を包み、天と地の狭間で涙を流す。
これは。 青き決別を余儀なくされた天使の堕天から始まる黙示録だ。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
新人賞に応募予定の作品、
『青き決別の堕天黙示録』第一巻・堕天編はここで一区切りとなります。
1話の後書きでも触れましたが、本作は一気読みを想定した構成で制作しており、今回投稿した堕天編を第一章として、今後は地表編、昇天編、再会編、天界編へと続く第一部構成を予定しています。
投稿という形ではありましたが、ここまでカナリアたちの物語を読んでくださった方、本当にありがとうございました。
至らない部分や読みにくい箇所も多々あったと思いますが、いただいた時間をこの作品に使っていただけたことを嬉しく思います。
第二部については、今回いただいた反応や自分自身の推敲を踏まえながら、完成稿として形にした上で、次回のファンタジア大賞応募前までに投稿できるよう進めていきたいと思います。
また機会がありましたら、その時はよろしくお願いいたします。




