3話
ーーそうか。 彼女は本当に諦めてしまっているんだ。
そう悟った瞬間、カナリアの中で何かが途切れた。
期待や希望なんて綺麗事ではない、もっと汚い押し付けがましい感情。
深呼吸をしてから、カナリアはそっとマリアの両手に自分の手を重ねて距離をとる。
「……亡くなったんですか? 天使さんは」
「……天使さんはね……きっとまだ生きてると思う」
マリアのそれは、きっと期待から出た言葉。
いつもなら全てを断言して歯切れの悪い事は言わないマリアが言い詰まるならきっとそう。
カナリアは再度その広大で緑に覆われた地表を覗き込み思いを馳せる。
「神様は、そのことを?」
「――」
何も言わないマリアはそっと首を振る。 その反応にカナリアは瞳孔を広げると一度だけ瞬きをした。
「そう、ですか。 神様は……辛いでしょうね……知らなかったなら、ですけど」
堕天は罪を犯した天使の最も重い刑罰。
しかし今の天界に罪など、どこにも存在しない。
神に愛された天使は、ずっと神殿で暮らしていればこんなことにはならなかっただろうに。
連れ去られたのか。 はたまた不用意に神殿から出てしまったのか。
詳しい事は分からない。 だけど、わざわざ愛する人の為に対等ではない天使族全体と契約をした結末がこんなの。
それは余りにも……報われなさすぎる。
「マリアも神様も酷いです」
「――酷いのは私ら天使だ。 契約の神ヴェルゼナに対してわざわざ不利な契約をさせたんだ。 だから今も神様は神殿で家族を待ってる――きっと」
遣る瀬無いマリアの言葉には、自分の悲しみを度外視した神への思い遣りに溢れていた。
「マリア。 無理、しないで下さいね」
「やっぱりカナリアは私たちとは違って優しいね。 それにしてもアンタたちと出会ってもう”八年”か……そう思うとあの子を見続けた二十年は少し長かった気もするねぇ」
腕を組んでケラケラと愉快に笑うマリアはやはり無理をしている様で、何処となく哀感が漂っている。
「なぁカナリア。 私はね、アンタたちには幸せになって欲しいんだよ。 とても図々しくて最低で分不相応な願いだったとしても、普通に生きて普通に生涯を全うして欲しい……ってダメだね。 どうにも変に情が出ちまった」
普段堂々としているマリアの初めて見せた本音。 憧れ故に、カナリアにはどうも複雑だった。
「マリアさんは確かに母ではありません。 ですが母が行方不明になって”十年”、お世話をしてくださったのは間違いなくマリアさんです。 分不相応な願いだなんて言わないでください」
少し声を張り上げて精一杯の感謝を伝えるカナリア。
何かを言いかけたマリアは柔らかく微笑みを浮かべ、それ以上この話題に触れようとはしなかった。
「長話しすぎたね、そういえば! はい、カナリア!」
マリアが思い出したように両手を叩き、右腕にぶら下げていた布の掛かったブランケットをカナリアに押し付ける。
「今日もありがとうございます。 本来は皆様の嗜好品なのに……」
受け取ったバスケットの中には地表の人。いわゆる神格人種が神へと供えた飲食物が入っていた。
カナリアは仕事もできなかった負い目から目を伏せて、マリアに深々と感謝を伝えた。
「お礼なんて良いのよ。 私たちはこの服を着ている限り死にゃしないけどアンタらはまだ成長途中で食べないといけないんだし! それにお母さんがいなくなってからまだ弟の面倒とか大変なんだろ? 困った時はお互い様さ!」
「マリアさんにはそう言われてもう何年もお世話になりっぱなしですね」
愛想笑いを浮かべてみるが、幼さ故に隠しきれない感情が渡されたバスケットの手提げを鈍く軋ませる。
「大丈夫! いずれ助けてもらうから! 今は生きることだけ考えな。 さ、それよりも弟さんが家で待ってるんでしょ?早く帰ってやりな」
意気消沈しているカナリアの背中をマリアは揚々と叩き親指を立てる。
「でも――」
「ね、今日は私もカナリアも疲れてるんだよ」
哀れみにも似た眼差し。 遮られた会話に、カナリアは言葉を濁した。
「……はい。 では失礼します」
逞しくカラッと乾いた笑顔で手を振るマリアに再度深々と頭を下げ、薄暗い砂利道を小走りで駆け抜ける。
時刻は太陽が差し込み始めた午前五時、世界には色が差し込まれ寂寞の朝焼けが帰宅途中のカナリアの目を奪う。
「綺麗……」
毎日往復する歩き慣れた道でも、この色付く瞬間は生きていても良かったと思えるほどに何度見ても褪せることはない。
地表から天へと還る無数の魂。
それらは蒼き世界に差し込んだ明日が今日に変わる境界線上で、光を乱反射させながら天上の輪の内径へと吸い込まれて逝く。
ここは雲の上、神の管掌する領域都市アスタリア。
人の姿で鳥のような翼を持ち、純白の衣と紋様の様な輪を頭上に携えている創造種の栄える地。
地表に広がる生物の願いや祈りを神へと届け、徳を積んだ死後の魂を安楽輪廻へと届けることを生業としいる彼らは後にこう呼ばれた。
天使(純粋無垢の成れの果て)と。




