28話
東屋に入り突然作動した転移魔法。
背後に差し迫る天使から目を逸らすように、光の中で何も知らない姉弟は瞼を閉じて身を寄せ合う。
ぎゅっと瞼を閉じた数分間。 廃楽園の端にあった小さな小屋がなんなのかをカナリアは知らない。
だけど。ただ、ひとつ。 目を閉じていても分かったこともある。
肌に刺さるほど廃楽園でやたらと強く吹きすさんでいた北風、それがぴたりと止まったのだ。
まぶたの裏でもわかる周囲の明るさがゆっくり落ち着けば、足裏の地面がすっと、途端に無くなる。
暗い世界で数センチ落ちる浮遊感。
バランスを崩して、尻もちをついたカナリアが反射的に地面に手を付けると、なぜか指先に感じた柔らかな土の感触。
「いってて……何がどうなって……」
「お姉ちゃん! 成功したんだ! メルフィの言った通り帰れる! 転移したんだよ!」
わけが分からず座り込むカナリアとは対照的に、上擦った声のインバードがカナリアの腕をすり抜けて駆け出す。
「インバード! 待って!!」
急いで弟の方へと手を伸ばすカナリア、視界の先を覆い尽くすのは濃い緑の大森林。
何が起こっているのかわけが分からず立ち竦むカナリアの前で、インバードは肩を落として首を振る。
「違う……なんで……」
あまりにも切ない声、顔は見えずともインバードのその背中は声がかけられないほどに小さくなっていた。
「――ここは」
自分たちは確かに廃楽園にいた……それなのに……ここはまるで――
「ケレナ大森林?」
「え? ここって僕たちの家がある場所なの? 僕、この場所知らないけど……他の森じゃない?」
「ほかの森は多分ないかな。 天界ではほとんど植物は育たないから、森はケレナしかないって昔マリアが言ってたし」
見渡す限りの木々を呆然と眺めるカナリア。
オレンジ色の斜陽を映す木漏れ日、鼻孔に焦げた匂いとツンと刺す新緑の匂いが混ざり合う。
インバードに言った手前だが、カナリア自身もこの場所がケレナ大森林なのか現状、半信半疑ではあった。
目を凝らせば少し奥の坂には獣道があり、背後には見覚えのある巨大な湖。
「それにここ――私が毎日水汲みに行っていた湖だ」
「お姉ちゃんが?」
「うん。 今はサムクルに水汲み行ってもらってる場所」
転移という概念を知らないカナリアは、自分たちの身に何が起きたのか理解が追いつかず上の空で湖に指をさす。
「そっか――なら、まずはイデルバさんを見つけて保護してもらうのが優先か」
唇に手を当てて悩むインバードの後ろで、カナリアは頭痛と眠気に頭を抱えながら近くの木に寄りかかる。
「間違いなく現実……だよね? でも何がどうなっているの? なんでメルフィは、此処が私たちの家だって知ってるの?」
「それは――確かに、そうだね。 メルフィはあの小屋に入ると神殿に転移するって言っていたし、何か、おかしいね」
「そういえばインバードは、なんでメルフィのことをそんなに信じられるの? 私が寝てる間に何かあったの?」
「? 何かあったというか、僕がメルフィを誤解してたんだよ。 ほら、昔メルフィが僕たちを天使の夫婦に預けられて――」
「何言ってるの? その言い方だとまるで私たちとメルフィが出会ったのが……初めてじゃ……ないみたいな」
廃楽園に入ってからずっと体調が悪く、カナリアは呼吸を乱しながらぼやける視界で息を呑む。
必死に働かせる思考回路。 メルフィについて考えた瞬間、頭の中で細い糸がプツリと焼き切れる音がした。
大量の汗。 突然、俯いていたカナリアが膝から崩れ落ちてその場で動かなくなる。
――メルフィと会うの、初めてなんかじゃない。
私――メルフィと昔、会ったことがある。
カナリアを襲った鉄の塔の副作用。
天使の忘れた“罪”の自覚。 ■■■■によって封印されていた記憶。 本来、決してありえない“夢”の終わり。
「お姉ちゃん? お姉ちゃん!! 大丈夫? 起きて、早く立って!!早く!!」
インバードは急いでカナリアに声を掛けるが、罪を自覚し始めたカナリアからはもう返事は返ってこない。
「どうすれば……もう一度転移してきたところに入ってメルフィのところに戻って保護してもらう? いや、あの天使たちの餌食になるのが目に見えてるし――やっぱりイデルバさんを探すしか……」
焦るインバード、考える猶予はない。
このまま悩んでいたら、東屋を通して天使がなだれ込んでくる可能性もある。
だったら、動くしか、ない。
「おねーちゃん!! ほら、もう少しで家だから、掴まって!!」
全身の力が抜けたカナリアを担いで、インバードは大粒の汗を流して家へと帰る選択を選ぶ。
インバードは分かっていて進んだ。
破壊され、存在するはずがない“思い出の家”を目指して。
「お姉ちゃんは僕が絶対守るから!」
何が起こったのかは分からない。 だけど弟の強い言葉が聞こえて、カナリアは不思議と安心していた。
「うん。ありがとう――だけど、インバード。 あなたは貴方のままでいい――んだよ?」
返事をしなくなった姉からの突然の反応に、インバードは急いで顔を覗き込む。
「大丈夫!?」
「――そうだね」
会話にならないカナリアはインバードを見つめない。
ずっと遠く。 ただ虚ろな瞳で、カナリアは悲しそうにずっと遠くを見ていた。
揺れる身体と一緒に朦朧とする意識が頭蓋に当たる。
さっきまで塞いでいた確かにあった過去が重い蓋の隙間から溢れ出す。
八年前だ。
私がマリアと出会ったのは十年前ではない。
あれは確か。 私がお墓を掘って泣いて、それで……メルフィは抱きしめてくれて……
『カナちゃんは悪くないから……』
でもお墓は結局使わなくて……それでも私は立てられなくて……
『――ルバ、なんで――アンリユは――だったらこの二人を神殿まで――』
『私の――だ。あぁ、約束しよう。私が責任を持って――』
イデルバが、メルフィと、お話して……それで、わたしとおとうとはイデルバに手を引かれて……
『カナリア、彼女は私の妻でマリアだ』
知らないおうち。ここはどこ? おかあさんに会えないの?
それはカナリアが初めてマリアと出会った八年前の記憶。
私とおとうとはメルフィからイデルバに預けられて、でもそれはメルフィから聞かされていた神殿とは違って普通のおうちで。
『やめて……くだちゃい……おうちにかえちて……』
現実と夢の狭間、確かにあった過去と現在がカナリアの中で混濁する。
薄っすらと認識できる視界。
カナリアは弟に引き摺られて進むケレナ大森林、の奥に一人の人影がいる事に気がつき指をさす。
「――れ」
「どうしたの、お姉ちゃん? あれは、人影?」
背丈の低い少女がこちらに歩いてきていることにインバードは気が付き、息を飲み込む。
「あなたは誰ですか? どこかで会ったことがあるような」
「おかえりなさい、カナリア、インバード」




