27話
「それでおねーちゃん。これからどうするの?」
「どうしよっか……」
家に帰れば天使たちが待ち構えているだろうし、頼れる人もこの都市にはマリアとイデルバぐらいしかいない。
困った――カナリアが頭を抱えていると、イデルバが仕事の帰りに言っていた言葉が脳裏に過った。
今日は森から出ないようにと言われていたのに、メルフィのところに来てしまった。
もしかしたら私が居なくなった心配しているかもしれない。
「帰ろうか」
「危ないよ!! まだ天使たちがいるかもしれないし、あの時はサムクルに運良く助けてもらえたけど、次また遭遇したら誰も助けてくれないよ!!」
「でもイデルバがスラム街で何があったのか報告しに来てくれるって言ってたし……」
「え、イデルバさんとそんな約束してたのに廃楽園に来ちゃったの!? イデルバさん、今も森で待ってるんじゃ。 約束を守らないのはだめだよ!!」
「いやいや、インバードの体調の方がずっと優先度は高いから。ちゃんと説明すればイデルバも理解してくれるはずよ」
「お姉ちゃん、僕は喜んでいいのか複雑だよ」
へへへと緩みきった顔で、さも当然のように即答するカナリア。
その様子にインバードは弟としては嬉しく思う反面、曖昧な心境に苦笑いを浮かべた。
「んー、でもそっか」
インバードはカナリアに、これから神殿へと転移できる東屋に向かっていることは伝えていない。
だからこそインバードは悩んだ。
カナリアにとって毎日話に出てくるイデルバとマリアはきっと唯一の心のよりどころ。
カナリアは割り切っているような言い方をするが、インバードにとってそれは優先順位がどうとかではなかった。
イデルバとマリアからの信頼の喪失は、失い続けた姉の個に関わる問題でもある。
「どうしようか。……メルフィは……いや。いっそ神殿についてからイデルバに説明すれば、その方が……」
顎に手を当ててぶつぶつと独り言をつぶやくインバードに、カナリアは首を傾げる。
「メルフィがどうしたの?」
「え!? い、いや! なんでもないよ!」
あからさまな動揺。
カナリアは半目でインバードの顔を覗き込んでから「ふーん」と睨みつけて、それ以上は深くは聞かなかった。
「それよりも、インバード。こっちって家の方角じゃないよね?」
少しづつ遠ざかる廃楽園。
背後に聳え立つ鉄の塔を確認し、自分たちがいる位置が家のある方角とは真逆の最西端であることに疑問を感じる。
インバードは目が見えないから方角を間違えたのか?
それとも私はまだ廃楽園から離れたくないのか?
胸に込み上げてくる謎の焦燥感に、カナリアは衝動的にインバードを軽く揺する。
「インバード?」
それでもインバードは小さく「そうだね」と乾いた生返事を返すばかりで、それ以上は立ち止まることも、会話を取り合うこともしなかった。
少しの沈黙。鉄の塔を出てからおよそ三十分程が経つ。
風の揺らぎで建造物を感知したインバードが建物に近づき、ちょうど五メートル程離れた位置で立ち止まる。
一息ついたインバード。 ようやくメルフィが指示した廃楽園の西の端、東屋へとカナリアと共に辿り着いた。
「もうそろそろ下ろすよ」
「ありがとう、それでここは?」
未だにおぼつかない足元で降りるカナリア。
それは“眠る”という行為が久しかったが故の反動だろう。
周囲に張り巡らされている錆びれた鉄格子にカナリアは手を這わせ、ゆっくりと建物へと近づき、中を覗く。
「……なんかすごく嫌な感じがするんだけど……」
「僕も詳しくは知らないんだけど、メルフィがこの中に入れば”帰れる”って言ってたよ!」
「これで家に?」
インバードに方角を指摘した時、気にしてない様子だったから、きっとこの建物に何かしら家に帰る方法が施されているのだろう。
今日が初対面のはずなのに不思議とメルフィは信用できるという謎の確信がカナリアにはあった。
だから疑うよりも先にその小さな謎の小屋に興味が湧き、カナリアは探るように周辺を確認してみた。
目視で届く範囲では特に目立った違和感はなく。どこからどう見ても庭に置かれている東屋そのもの。
「……? これは?」
建物の中に入ってみないと分からない。
そう思い先に進もうとした時、ふとカナリアの足元を覆う芝生に姉弟のものではないくぼみが廃楽園へと向かうように伸びているのに気がついた。
誰かが自分たちより先にこの場所に訪れた痕跡に、背筋が凍る。
もしインバードの言伝どおり家に繋がっていて、家からもこの廃楽園に向かうことが可能だったのなら、待ち伏せも有り得る。
さすがにイデルバがケレナ大森林に到着してたなら大丈夫だろうけど、そう出ないのなら使用するのは危険だ。
本当に今、帰っていいのか?
激しい頭痛がカナリアの脳内で緊急アラームのように鳴り響く。
それが直感なのかは分からない。
ただ、信じたくっても信じられないメルフィの言動に足踏みしてしまい、カナリアは建物を数分間凝視して立ち止まる。
「おねーちゃん何してるの?」
「いや、なんかこう……入ったらダメな気がするんだよね……わかんないけどさ」
「大丈夫だよ!! きっと大丈夫!! だから行こ!!」
無邪気に前を歩いて手を伸ばすインバードに、躊躇うカナリア。
笑う弟を信じようとカナリアが手を伸ばした瞬間。
インバードが何かを察知したのか突然後方に顔を向け、溌溂とした声音を一変させる。
「くそ。マジかよ」
突然眉を顰めて怒気の籠った雰囲気を醸し出すインバードの様子に、カナリアはキョトンとした顔で弟が見つめる後方へと視線を向けた。
そして、その言葉の意味を瞬時に理解する。
「なんで……ここまで……」
引き攣る頬、全身から溢れ出す汗。
遠方およそ三キロ先。
羽が毟られたかの如く原型を失った翼。
溶け落ちた肉体、姿かたちが朽ち果てようともなお、地を這い蠢く天使の群れ。
それらが自我もなく、カナリアたち目掛けて横一列で一斉に向かってきているのだ。
「っつ……おねーちゃん!! 行こう!!」
舌打ちをしたインバードは背に腹は代えられない様子で、何度も汚い言葉を吐き捨てて、一か八かの賭けでカナリアの手を引き、建物内部へと先に足を踏み入れる。
「メルフィを……信じよう!!」
「いや、多分大丈夫なんだろうけどって! うわっ!」
結果的にインバードに流される形で、カナリアは訳もわからずに東屋へと足を踏み込んだ。
もう後戻りはできない――とカナリアは高を括って目を瞑ると、瞼裏でも分かるほどに何かが足元で発光している事に気がつき、恐る恐る目を開く。
「なにこれ?」
先ほどまで何もなかった床に浮かび上がる、規則性を持った数字の羅列。
数字が芽吹く。 光は配線になり、配線は円になる。
それらが一つずつ繋がれば、陣となり青き光を放ち始め、中央の姉弟を包み込む。
「おねーちゃん!!!!!」
「インバード!!」
反射的にカナリアがインバードに覆い被さると、間もなく東屋から放たれる光。
それは天を貫き、神殿よりも遥か上、地表ですら見えるほどに眩い閃光となって青く輝く。
音はなく、空気も揺れない。 偶然そこに視線を向けた者だけが見つけられた大きくか弱い空のシグナル。
たったの数秒だった。
必死に色を保ちながら、最後まで輝き続けた淡い青――アンリユの残した天界の遺物は、今、確かに。
東の神殿で、愛するものをすべて失い、傀儡へと成り下がった神へ、確かに届く。
『なんだあれは?』
蒼き閃光。 懐かしき装置の起動。 神ヴェルゼナの虚ろだった瞳に光が宿る。
玉座はひび割れ、憤怒が天界を包み込む。
数十年ぶりの神の目覚め。
遠く離れた小惑星帯で魔女の墓穴を守護する七柱。 贖罪の大天使が始祖たる神の怒りを細胞レベルで直感し、瞬時に集う。
「いかがなさいましたか?」
半壊した神殿、空間が歪み宙を舞う柱を背に血走ったヴェルゼナは無言で立ち上がる。
今にも世界が破壊する程の威圧。 目の前にいる贖罪の大天使が息を飲む中でヴェルゼナは起伏のない声で目の前の天使を見下す。
『皆のもの。急ぎ廃楽園へと向かいメルフィから情報を収集するのだ。 あの光の元、それに連なる些細な情報も聞き逃すな……』
『『『『『は!!』』』』』
圧倒的なまでの気迫。贖罪の大天使が固唾を呑む最中、一人の天使が飄々とした声音で声を上げる。
『お待ちください!! お言葉ではありますがヴェルゼナよ!! 天使に命令以外で干渉することは契約違反。契約を破った側は、絶対遵守の戒め、もしくは死をもって償う。冷静に――』
瞬間、進言を行った贖罪の大天使の一人の首が胴と分離する。
『契約の神に契約の意味を問うか? 二言はない、これは神令だ。叛くものは――皆殺せ』
『『『『は!! 神のご意向のままに!!』』』』
瞬時に廃楽園へと向かう贖罪の大天使。
世界すら揺るがす力の開放。
玉座から動き出すこの世で唯一形を保ち続ける太古の神。ヴェルゼナ。
地表ではメルフィの原罪解放を察知し、竜王カウルが数千年護られていた魔女による結界の崩壊を阻止するため心を殺して各地へと羽ばたく。
星を護るべく動くは時代を統べる神、星を阻止するべく動くは世界太古の神。
そして両者が見つめるは遥か過去に共に手を組んだ天使の住まう″神″の管掌する領域都市アスタリア。
『『イデルバ――図ったな』』
惑星。 なんて呼ばれていたのははるか昔。
内核を中心に地表が漂う星が行き着く成れの果て。
各地の小惑星帯を生きる様々な種族は竜王の飛来と、異常気象に災いの再来を予感し、神々の怒りだと空を崇めた。
舞い散るは神雷。
蝕まれ、星としての形すら失った惑星の運命が、ついに動き出す。




