24話
「アンリユのところ?? あぁ!! あなた様はお気づきではありませんでしたか! これは滑稽!! 思い出してください、天使と神の交わした約束。なぜ姉弟は物乞いなどしていたのか? なぜアンリユは母親であるにもかかわらず二年間も子供二人を廃楽園に放置し続けたのか!!」
言葉で動揺を誘うイデルバが耳元で囁く。 聞く必要などない。 所詮は過去。
今は目の前のことに集中しなければならない。 それでもイデルバの話す言葉が脳内を駆け回り、思考を乱す。
――どこで間違えたんだろうか。
初めてアンリユと出会ったのは土砂降りの真夜中。
私に恋をしたと狂言を吐いて死んだ天使の墓石の上で、揺り籠の中で大声を上げて泣いていた。
『メルフィ! これが叶わぬ恋だと理解しています! でも私は貴方に恋をしてしまった! 一度でいい、もう一度顔が見たい』
色彩戦争を終えて数年後の事、天使がこの廃楽園に三か月通い続けたことがあった。
その天使の名など知らない。 きっと戦場で偶然目が合っただけか、はたまた星の礎となった私が自己犠牲の末に世界を守った救世主にでも見えたのだろう。
彼は毎日花束を持っては玄関の前に置いて去っていく。
時に私に気を使ってか、カウルの手伝いをしたと顔を腫らして訪れたこともあった。
『カウル様は今も墓穴を探して、貴方を迎える為に頑張っています! 私もこの前手伝いに行って来ました! 殴られました!』
傷だらけで微笑む青年。 彼はもしかしたら他の天使達よりもずっと心根の優しい天使だったのかもしれない。
今でも思う。 彼が罪を自覚して、罪を背負って生きていたなら、もっと幸福になれたのではないのかと。
しかし、天使はどこまで行っても天使だった。
結局は罪の自覚に耐え切れず、ある日半狂乱になってその場で愛を呟き自害した。
『もう一度、きみに会いたかった、本気で愛していたんだ』
あの時、生前の彼の手を、一度でも握っていたのなら彼は死なずにいたのだろうか?
健やかに生きてくれていたのだろうか?
誰も悪くない。 ただ死んだ天使の行動は、メルフィの胸を抉るには十分すぎる程の罪を与えた。
「――ごめんなさい」
墓を掘り、二度と還らぬ命の墓標を立てる。
誰もが彼を忘れ、時間が過ぎ去ったある日。 墓石の上に置き去りにされたのがアンリユだった。
故意的だったのかは定かではない。
酷い豪雨。 捨てた奴はさぞ人でなしだと思った。
産まれたばかりの赤子だ。
どうせすぐ死ぬ。
期待なんてしない。拾い、育て、仮に生きても私より先に死んで、傷つくのは目に見えている。
見捨てようと思った。
それなのになぜか手を伸ばしていた。
でも、あまりにもその小さな手が、一生懸命に「生きたい」とこの指を握って無邪気に微笑んでいたから。
――馬鹿な私はお母さんになった。
そして私は不器用なりにアンリユの母として生きたから言い切れることもある。
アンリユは、アンリは二年間も子供を絶対に放置はしない。
なにか、理由がない限りは。
――堕天。そういえばカナちゃんが再開していた時に言っていた。
『天洞で、堕天者になにかあったみたいで、天使がソワソワしてるから危ないって……マリアも今日は元気がなかったんです』と。
堕天。アンリユ。姉弟の物乞い。アンリユが廃楽園に幼い二人を迎えに来なかった本当の理由。
一人目の子供を授かったと真っ先に知らせに来てくれたあれが愛娘の最後の姿だった。
ずっと。 私はずっと待っていた。
カナちゃんとインくんが迷子になってあんな目にあって、それなのに廃楽園に気もしなかったアンリユに私は本気で怒っていた。
次来たなら子供を放置したアンリを叱るつもりだった。
――でも、もし、カナちゃんが廃楽園に来た時点で既に、アンリが天界にいなかったのなら――
辻褄が合う。
瞬間、メルフィの額にはち切れんばかりの血管が浮き上がる。
「堕としたな……アンリユを――堕としたなぁぁぁああああああ!!!!!!!!」
血走る眼、奥歯を鳴らして絶叫するメルフィ。
それは半永久的に生きる彼女の人生において類を見ないほどの激昂だった。
喉は張り裂け、瞳孔は開き、大きく足音を立てた、瞬刻。
メルフィは神すら超越しうる全身全霊の力をもって、目の前のイデルバに生きたことを後悔させるほどの死の斬撃を繰り出す。
視覚では認識できない音速の剣戟。
少女が深く息を吐けば赤、黄、青、緑、紫、多彩な色に瞳が移り変わり、攻撃もまた五色を纏った光の刃へと変わる。
無数に降り注ぐ色彩の雨。それらすべてを極限の状況下で躱し続けるイデルバは、いまだにその微笑みを絶やさない。
「ええ! ええ!! ええ!!!! そうですとも!! アンリユは! 私が! 地表に堕としたんですよ!!」
さも当たり前のように狂気に満ちた声ですべてを独白するイデルバは誇らしそうにうっとりと天を仰ぐ。
メルフィの中で何かが切れる。
『アンリユは忙しいだけで元気にしてますよ』
――神の側近であるイデルバのその言葉を信じていたから……それなのに!!
「すべて……すべて嘘だったのか……私は、お前を……」
ほつりと涙を流すメルフィの前で、ついにその本性を表したイデルバは、額にギョロリと飛び出た色相環をこちらに向けて、腹を抱えながら笑った。
「ははははは!!!! いやぁ貴方様には本当に感謝してもし足りませんよ。あの二人が恋に落ちてくれたおかげで、私たち天使は神と“縁”を結び、しかもアンリユを堕天させたことで、嫁と幼い子供が失踪した神ヴェルゼナは俺の傀儡に成り下がってくれた! 流石は天使のための魔女様です!」
イデルバの額に浮き上がった色相環を見た瞬間、堕落した天使の生活。
変わり果てたイデルバの行動、何もかもが腑に落ちる。
アンリユとヴェルゼナが結婚する際に、神は権能である契約を行使して天使族を自身と対等とする神天契約を行った。
カナちゃんとインちゃんが、なぜ二人で生きていかなければならなかったのか。
なぜ、すべてを見ることができる神眼を持つヴェルゼナは二人を助けなかったのか。
鍔迫り合いの末に距離を取り、同時にメルフィはナイフを強く握りしめてから、揺れる陽炎の如く存在を眩ませ、瞬きの間にイデルバの死角へ入り込む。
「色彩戦争で致命傷を負ったあの日、お前は既に……」
これ以上の会話は不要。言葉など必要ない。
イデルバ。お前は既に、あの星に、天上の黒き神に汚染されているのだから。
思考を放棄する。
構えたナイフ、蠢く色彩が絡みつく。
刀身は触手のように脈打ちながら細く伸び、レイピアへと姿を変えた刹那、メルフィが世界から消える。
ただ自然に、空気のように、その身を世界へ溶け込ませ、イデルバの背後に回り込み、ナイフを構える。
「今、この時をもって秘められた大罪を一部解放し、その刃に絶命の一撃を乗せよう」
静寂に包まれた空間。
寸前まで差し迫るナイフの刃先。夕立の雨水すら止まって見える瞬刻の間で、偶然か必然か。
無表情のメルフィにニヤリとほくそ笑んだイデルバは振り返ると同時に、刃先をわざとその肉体に突き刺して、鉛のような声で彼女の耳元で囁いた。
「待っていましたよ、この時を」
そのままイデルバはメルフィを強く抱きしめて、全身で吸収するように腹部を粘度のある液体に変えて包み込む。




