17話
「さっきカナちゃんが言ってただろ? 世界唯一の人間さ」
メルフィは適当に置いてあるオフィスチェアに座り、医療用ベッドに横たわるカナリアを懐かしむように見つめる。
「世界唯一の、人間?」
本当にお姉ちゃんはそういったのだろうか?
さっきは上手く聞き取れなかったけど、少し、言い方が違ったような気がする。
鼻を鳴らすメルフィは近くの机に肘を着き、錆びれた大きなモニターの前でほくそ笑む。
「あぁ、もっと簡単に言えば″天使が天使となる為に創られた″いわば最も原初に近い生き物。 それが私さ」
「原初の――生き物? 人ってのは俺たちの下、地表に生きる下等生物のことだろ?」
「下等は言い過ぎ。 むしろ上等な生き物さ! 天使に比べればずっとね」
見た目だけなら自分よりも幼いメルフィ。
インバードは心のどこかで自分と同じ生い立ちなのかもしれないと期待をしていた。
同じ境遇で、同じ地獄を見てきた同士。 廃楽園に追いやられたのもケレナ大森林にいる自分達と同じで隠れるため。
そうだったならメルフィの優しさの理由に納得できて、メルフィに甘えられると思えた。
少し、インバードの口元が緩む。
「じゃあメルフィは、天使じゃないの?」
「まさか? 色彩戦争で一時的に手を組みはしたが、それでも私は魔女だ。 星の存続の為とはいえ天使が私たち魔女のもっとも嫌悪する存在である事に変わりはない」
「――それはつまり、貴方にとって僕たちは――天使は敵。 なんですか」
彼女の吐き捨てた、そのたった一言が、侮蔑的な視線が、インバードの淡い願いをいとも容易く打ち砕いた。
彼女には天使の輪も翼もない、でも俺とは違う。
地表の神格人種でも、天使でも、ましてや神ですらない。
「うーん、嫌悪はしているけど現状敵かと言われると――ほかの魔女には内緒だけど私、無害ならそれでいっかなぁってタイプだからなんとも言えないんだよね」
乾いた笑い、乾いた眼。
「あ〜でも、一線越えたら私、怒っちゃうかもね」
身振り手振りで形だけの軽い態度をしめしているが、それでも目の奥だけは本気だった。
全てを見透かしたような鋭い眼光、インバードはその目に天使を重ねて蛇に睨まれた蛙の様に萎縮して悟る。
目の前の少女は自分達とはもっと別次元の存在なのだと。
間近で睨まれただけでなのに、まるで真空の世界に飲み込まれるような錯覚に陥る。
呼吸が浅くなる。 視線を逸らせない。
彼女の目の前にいること自体が自分の罪なのかもしれないと錯覚するほどに苦しい。
嘘をつく事を、生きる事を、弱い考えを、メルフィの人生がきっと俺を――僕を拒絶しているのだ。
「その一線が、僕の覚醒の有無にも関係が?」
「さぁ?」
ニコニコと笑うメルフィ。
「だから来たくなかったんだ」
インバードが小さく本音を吐露してから、諦めたようにため息を吐き捨てる。
無機質な部屋にある窓が明るい、外はどうしようもなく綺麗な夕焼けだった。
「なんでバレたのかはわかりませんが……確かに貴方のご想像通りです」
カナリアの隣に腰かけて手足を前に組みながら顎をしゃくらせて冷淡な口調で話し出すインバード。
その表情はよわい十二年しか生きていない子供とは思えない程に大人びた顔付きをしていた。
「ふふ、いっそ清々しいね。 それよりも、うん。 やっぱり……その目は神眼だったんだね……」
目を開いたインバード、そこに映る金色の十字架にメルフィは目を細める。
「知ってて聞くなんて、性格悪いですね」
「知らないさ。 むしろ確証が持てない事を、そう易々と知ったように言うのは子供のやることさ。 少なからず大人じゃない」
「それは当てつけですか?」
「さぁ? それを決めるのは当人だ、私はただどう受け取られても良いようにしか言わない」
椅子に手をつけてクルクルとまわるメルフィは目を瞑ってインバードとの会話を軽く流した。
「なら僕が悪いように受け取っても、いいってことですよね?」
「あぁ、どう受け取ろうと私は後悔しないだろうからね?」
「最低ですね、これで僕が死んだらあなた、ずっと引き摺って生きることになりますよ?」
「その程度で死ぬなら、君はずっと他人に甘えて生きてきただけの話さ。 少なからず、私は私が立ち直れない事は言わない。 癒えなかった傷は私だけで十分だからね」
「はは、知ったようなことをよく言えますね? どうせあなたが言う癒えない傷なんて、その場しのぎのただの詭弁に決まって――」
「インくん、その目、天使に笑われたんでしょ?」
メルフィは回していた椅子を止めてインバードの前に立つと、怯えるその目をのぞき込む。
「傷つく言葉ってのはこういう言葉。 無理しちゃだめだよ。 大人は対等と見た大人の足首を平然と切り落とす、背伸びして大人の世界に首だけ突っ込んだら無遠慮に切られるよ?」
メルフィの冷めた声。 彼女の忠告はインバードが言い返せないほどに的確にトラウマを抉っていた。
胃袋から逆流する吐瀉物。 インバードは何とか両手で堰き止めてそれらを呑み込む。
「メルフィも、お姉ちゃんが居ない時間に家を壊しに来た天使みたいに嘲笑するのかと思っていた――」
物憂げに目を逸らすインバードは、少し言葉を詰まらせてから改めてメルフィに歯向かう。
「だけどやっぱりでした! そうやってこの目を指摘するなら――やっぱり、貴方も同じだ」
震え始めるインバードの声。
「――」
「何も言い返せないんですか? あ、もしかして気持ち悪すぎて絶句しちゃいましたか? そうに決まってる!! だって――」
「すまなかった」
「え?」
「私は――笑わないさ、その眼を笑う奴らは恩知らずのただの馬鹿だ。 何か、あったのは分かっていたが、今のは配慮にかけていた」
捲し立てていたインバードの言葉が途切れる。 ホロホロと堰き止めていた涙が溢れ出す。
メルフィは何も悪くない。
それなのに目の敵のように言うのはメルフィなら許してくれるとどこかで甘えているから。
そうだ、だからメルフィが悪い。
彼女が僕たち姉弟に今まで誰にも向けられたことのない優しい眼差し向けるから。
縋り付きたくなるような声音を向けるから悪い。
だから俺は気分が悪いのだ。




