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15話


 同胞が溶け落ちる光景を前に、天使の足が扉の前で立ち止まる。


それは動揺よりも好奇心が勝ったような顔付き。死を目の前にした生物の反応とは明らかに違う。


 カナリアは朦朧とする意識の中で、インバードの手を取りゆっくりと後退る。


「危ない……から、逃げなきゃ」


「――え?」


「多分だけどあの人たちは入ってこない、でも――踏み込めない理由も、ない」


 回らない呂律で絞り出した、カナリアの確信の籠った発言に圧倒的優位性を見せつけたメルフィすら天使から瞬時に距離を取る。


「カナちゃん、インくん、目を瞑って!」


 天使から視線を逸らさないメルフィは、左手の親指と人差し指で輪を作り、その中に白紫の吐息を吹きかける。


 辺り一帯を覆う紫の霧の中、同族の死などなかった事のように天使の笑い声が鉄の塔に反響する。


「イデルバ様も人が悪い、こんなカナリアよりも面白い存在を俺たちから遠ざけるなんて」


「当分は退屈しなさそうだ!」


 液体状に変わった仲間の死体の上で足踏みをする天使、霧に差し込む光が頬まで裂けた無邪気な笑みを壁面に映す。


「お姉ちゃん、なにがおこって?? ってわ!!」


 姉弟が言葉を失っている間にその腕を引っ張り、メルフィは急いで鉄の塔の奥へと駆け込む。


「大体状況は理解した!  ここじゃちょっと騒がしいから場所を移そうか。 二人とも付いておいで!!」


 ぐらぐらする頭の中。


 足はまるで泥のように重く、今、自分が走っているのか。それとも揺れる視界が溶けている証なのか。


 今にも落ちそうな目玉がこぼれないように、カナリアは両目を片手で覆ってインバードに手を引かれて塔の中を走る。


 それは長く、終わりの見えない鉄で区切られた銀世界。


 カツンと無機質な足音だけが残響して、そこに形成する全てを際立たせる。 


 どこに向かっているのか? そんな疑問を問いかけても前を歩く少女は何も答えない。


「ねぇ、お姉ちゃん」


「どうしたの?」


 インバードがメルフィに手を引かれながら前を走る彼女の違和感に気がつく。


「――メルフィってなんで僕と一緒で羽の形とか輪っかの輪郭が揺れで見えないの?」


 声を潜めながらも驚きを隠せないインバードの質問に、カナリアは止まらない大量の汗を額に浮かべて微笑む。


「メルフィはね。 ――の世界から生きているらしくって。 罪を押し付けられた″―の――リカ″なんだよ」


「?? ごめん、よく聞き取れなかった。 もう一回教えて?」


「えっと――ね? だから――」


――あれ? なんで? 私はメルフィを知ってるんだ?


 目を丸くするインバードからされた質問に平然と答えた言葉が思い出せなく、思考回路がブレる。


 カナリア自身、誰から聞いたのか全く思い出せない情報に身震いが止まらなくなる。


 ノイズまみれの記憶。 脳内を駆け巡る過去の映像。


 何かが押し寄せてくる恐怖に大粒の汗が顔の輪郭をなぞると、前を歩いていたメルフィが口を開く。


「私の事なんて知っても何も面白くないよ。 でも――カナちゃん。 覚えていてくれて……ありがとね」


「何を言って――るんですか、メルフィ? 私達は今日、初めて会ったばかり――じゃ、ないですか」


「…………そっか、そうだったね」


 振り返る事もなく小さく呟いたメルフィはそれ以上自分の過去について語る事はなかった。


 ただ、不思議と前を走るメルフィのその小さな背中から重苦しげなもの寂しさを感じた。


 メルフィは私の言葉のせいで傷付いた、だからはやく謝らないと。


 唇だけが何度も開いて閉じてを繰り返す。


 徐々に薄れる意識が考えた思考を白紙に変え、ずっと何を考えていたのかを考える。


 本当はずっとメルフィに既視感を感じている。 記憶はなちのに心がずっと何かを、訴えかけている気がする。


「――あれ?」


 動いている感覚が足から無くなる。


 危ないから手を前に出さないと――早く受身を取らないと――あれ?手の動かし方ってどうやるんだっけ?


「お姉ちゃん!!」


 目の前に迫り来る地面が怖くなかった。 どうも今日は色々あって疲れてるのかもしれない。 


――ずっと、疲れてたのかもしれない。


 鈍い音が通路に響く。


 体制を崩したカナリアが頭から勢いよく横転し、そのまま 指ひとつ動かさない。


 薄らと開いている瞼から何かを言っているインバードが見えた。 額から滴る赤。 それが眼球に入り込んで、映る世界の色を一色に染まる。


「――丈夫――カナ――インくん、今は――」


 誰かが私を呼んでいる。 誰かが私を運んでいる。


 誰かが、私を助けてくれている。


 揺れる身体、感じる誰かの体温。


 それが妙に心地よく。 私は何故か今、なんとなく。 過去にメルフィと会った事があったんだろうなと思った。


「――ちゃん!」


 ごめんね、インバード、が呼んでる。  今考えてるからちょっと待ってね。


「おねーちゃん、お姉ちゃん! 起きて!! 死なないで、お願いだから返事して!!」


「う、うん」


「お姉ちゃん!!」


 何か伝えないと、何か、言わないと。


「ごめんなさい。 私は――なんて取り返しがつかないことを」


「どうしたの? 取り返しって?」


 ふと目が合ったインバードに対して感じた感情。 カナリアはわけも分からず小さく微笑んで取り繕う。


「メルフィを――信じ、るのよ?」


 それを最後に意識を失ったカナリア、インバードは眠る姉に小さく相槌を打って先を急ぐ。


 果てしなく続く無機質な鉄の廊下。 どこか殺気立っているメルフィ。


 それなのに俺はこの沈黙が妙に心地がいいと思っている。


 隣には大切な姉がいる。 目の前にはずっと昔、無償の愛を向けてくれたメルフィがいる。


 それだけで、俺は――


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