12話
「サムクル、ありがとうね」
「クェ!」
「痛かったよね、傷。 無理してるよね?」
カナリアの質問にサムクルは、あえて聞こえないフリをして返事をしないでいるとカナリアが強く抱きついて声を震わせる。
「サムクルごめんなさい、無理させて――」
徐々に涙声に変わるカナリアの嗚咽の謝罪。
今にも風圧で飛ばされそうな程に脆く見える姉弟の姿に、サムクルは背に乗る二人を落ち着かせるために羽を柔らかく変化させる。
「いつかこの恩はちゃんと償うから……今日だけは許して欲しい」
「大丈夫だよおねーちゃん! おねーちゃんは本当によくしてくれてるし僕もサムクルも知ってるからさ!」
「ほんとう? サムクル、私を恨んで――」
「ないよ!」
どうも優しさが信じられないカナリアは、何度も弟に確認してから気を持ち直す。
「それなら、良かった」
頬をペチペチと叩いて元気いっぱいに笑うカナリア。
そんな会話をしているとたった数分でサムクルは廃楽園の入り口へと降下を始めた。
鉄の門扉、区切られた敷居の境界線。
サムクルは身体を屈め、カナリアはすぐに地面に降りて弟に手を差し伸べる。
「1人で降りれる?」
「うん!」
インバードには気丈に振舞っているが、当然カナリアも廃楽園には近寄りたくない。
会ったこともないメルフィに失礼なのは重々理解はしている。 しかし、どうにもこの場所は気分が落ち着かない。
本能的とでも言うのだろうか。 圧倒的な嫌悪感。 そしてそんな場所に住むメルフィの印象も比例して良くはない。
『カナリア、決して廃楽園には近づいては行けないよ?』
ふと思い出すイデルバの言葉。 何をしても温厚な彼があれほど念を押すのだ、きっとこの場所には何か秘密があるのだろう。
何はともあれ、裏を返せば好奇心しかない天使達ですら近寄ろうとはしない異端な場所。
母が何を思ってメルフィを頼れと言ったのか定かでは無いが、森を追われ、現状で最も安全なのが皮肉だ。
息を呑み。 不安を押し殺す様に弟の手を強く握った。
「おねーちゃん、どうしたの?」
「なんでもないよ」
知り合いでもないのに勝手に来て本当に良かったのだろうか?
「ただ。 もしお母さんが居たらどうしたんだろうって――」
「お母さんは、分かんないけど。 いまここに居るのは僕とお姉ちゃんだけだから、僕はお姉ちゃんを信じるよ」
カナリアの手を強く握り返したインバードは、怯えながらも現実と向き合うように目の前に聳え立つ鉄の塔をじっと見つめていた。
そんな弟の横顔にカナリアも深く息を吐いて前を向く。
「そうね、ここまで来たんだもん。 直ぐに行ってすぐに帰ろ!」
――今更お母さんのことを考えても、お母さんはここには居ないんだ。
だから、せめて私がしっかりしないと。
進む覚悟を決めたカナリアは、動こうとしないサムクルに駆け寄って頬に手を当てる。
「サムクル。 迷惑かけてごめんね。 あなたも天使に狙われてるかもしれないから急いで逃げて」
「……クァ」
意思疎通は出来ない。
だけど優しい目元で今にも消えそうなか細い返事をするサムクルが私たちを愛してくれていた事だけはすぐに分かった。
「信じてあげられなくってごめんなさい、貴方の愛に気がつけれなくって、利用して、私が貴方の居場所になりたいって、この気持ちを押し付けてごめんなさい」
「お姉ちゃん、それ以上は――」
「でもねサムクル、これだけは伝えたいの」
もう会えないような気がして、だから後悔しないように私はサムクルにめいいっぱい、ごめんなさいを言って本心で向き合うの。
「ありがとう、私とインバードの元に来てくれて! 愛してるよ、サムクル」
陽の光の下。 涙を堪えるカナリアが初めて見せた笑顔に、サムクルは瞳孔を揺らして頬に触れているカナリアの手を弾く。
「――今更、遅いよね。 ずっと距離、取ってたもん。私は、貴方を育てる責任を負えなかった、だから――」
弾かれた右手を自分の胸に押し付けて俯くカナリアに、首を伸ばしたサムクルが自分の頬をカナリアの頬に擦り付ける。
「ありがとう。 何とかするから、あとは任せて、それでもダメそうだったら、インバードをお願いね」
心から打ち解けあったカナリアとサムクルは、小さく笑いあってお互いに距離をとる。
「明日は沢山ご馳走用意してあげるんだから!」
腰に手を当てて飛び立つサムクルに親指を立てる。
「――」
いつもより大人しいサムクルは不安そうな表情を見せると、それ以上は何も言わず空の彼方へと飛び立った。
「巻き込んでごめんね」
サムクルの背中が見えなくなるまで二人で見送ってから、改めてお互いの手を取り合って歩き出す。
「さ! 私達も行こっか! ここなら天使も変な行動はしてこないだろうし、一日過ぎれば私たちから気が逸れて別の遊びをするから大丈夫!」
「……うん。 ねぇ、おねーちゃん」
「何?」
「いや、なんでもない!! 心配してくれてありがと!」
弾んだ声のインバード。 それもきっと空元気。 弟は何かに気がついている。
ただカナリアは気が付かないフリをした。
無邪気な弟でいて欲しかった。 姉として手を繋ぎながら歩きたかった。
だからいつものように私達は笑う。
ここが天使の禁足地、廃楽園だったとしても。
「久しぶりに来たけど、やっぱり変なとこだね?」
インバードが嫌そうに口元を歪める。
「そんな事言っちゃだめだよ」
「はーい」
不服そうな弟をカナリアは諌めつつ、それでもインバードの言ってることに一理あると辺りを見渡す。
目の前に広がるのは、神代より遥か昔に造られた人工物の園。
中央にそびえ立つ鉄で出来た螺旋状の巨大建造物はまるで今の時代を否定している様にも肯定している様にも感じる。
「お姉ちゃんはここについて何か知らないの?」
「知らないなぁ、あ! でも昔、この場所にあるものは二周前……科学?が栄えた文明の末路だって聞いたことが!あったような、なかったよなぁ」
「ふーん、科学、ね。 なんだろう、それ」
「私にも分かんないかな。 でも、なんだろう。ここって″いつ見ても”本当に不思議な場所」
これらを未来的だと形容するのが正しいのだろうか?
漂う緊張感、カナリア達が廃楽園に足を踏み込んでから数分がたった頃。
続くタイルを歩いている姉弟の視界に巨大建造物の窓からちんまりとした少女が頭のてっぺんをチラつかせながら可愛らしく飛び跳ねて手を振っているのに気が付く。
「おーい! カナちゃんインくん! 久しぶりー!」
「久しぶり! メルフィ!」
反射的手を振って出た言葉の違和感。
知らないはずのメルフィを自分は知っている。 メルフィも自分たちを知っている。
何故? 私達はお母さんが居なくなってすぐイデルバ夫妻に拾われた。
そう、そのはずだ。
身体と記憶の齟齬に瞬時に気がついたカナリアは顔の血の気が一気に引いた。
違う。 私、メルフィに会ったことがある?
「いいから早く来て! 走って! 早く!!」
窓から大声で急かすメルフィ。
分からない。 分からないけど天使の一件もあるし多分急いで彼女のもとに行った方がいい。そんな気がする。
「走ろっか! インバード!」
「え?あ、うん!」
メルフィが何者で本当に信じていい存在なのか現状何も定かではない。
しかし今はそれ以上に後方から近づいてくる足音の方がより危険だと思った。
カナリアはインバードの手を強引に引っ張って鉄の塔へと駆け込む。
大丈夫、お母さんを信じれば…………大丈夫……
息を切らしてようやく辿り着いた扉の前、カナリアはドアノブに手をかけるが直前に動きを止めてしまう。
本当に。メルフィを信じていいの?
そもそもメルフィはなんで私達が来た時点で手を振っていたの? なんで会ったこともない私の名前を知っていた?
わからない。 分からない。
怖い。
もし、スラム街の天使と同じなら開けた後に殴られて、蹴られて、踏みつけられて、嗤われる。
自分だけなら簡単に開けられる扉。
しかし自分の行動に最愛の弟の命がのしかかると、握りしめたドアノブが鉛のように重い。
「お母さんが正しい、お母さんを信じればいい、お母さん、お母さん、お母さん」
母親の残した言葉を信じればいい、ただそれだけ。
奥歯が震える。 息が乱れる。
手の汗が皮膜となって握力が奪われる。
信じるという行動が、まるで胸につっかえる呪いのように、この手を支配して止まない。
後ろから聞こえる足音。 何かが迫ってきている。
「まだ遊び足りてねぇのに何逃げてんだよ!!」
天使だ。 天使が来ている。
振り返り見つめる後方、まだ距離があるのに分かった。
天使は今、笑っている。
――何故? 廃楽園はイデルバも危険視する土地のはずでしょ?
もしかしてメルフィが天使と徒党を組んで私たちを利用しようと画策してる?
危険だ。
なんせ母の手紙はもう十年以上も前のもので、それも現物はない。 だから正しいなんて保証はひとつもない。
正解が見えない。
過呼吸になるカナリアは頭が真っ白になって、気がつくとドアノブを回せなくなっていた。
「おねーちゃん!! 早くしないと!!」
分かってる。 わかってるのに、、。
混乱する思考。
後ろから迫る足音と笑い声。
正常を欠いたカナリアの様子にインバードは無理にでもカナリアが触れているノブをこじ開けようとする。
「開けて!! おねーちゃん!!!! おねーちゃん!!!!!」
硬直した姉の手が邪魔で上手く開けられない。
張り裂けるほどのインバードの声がカナリアに届いた時にはドアノブは内側から回されていた。
「――え?」
重心が分からなくなる。
姉弟はそのまま扉の中へと吸い込まれる様に暗く閉ざされた建物へと誘われる。




