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「連載版」「命の番」ですって?大変ですわ、神殿に正式照会いたしましょう  作者: 夢見叶
第4章 神殿内部に、黒百合の鍵がある

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第30話 碧玉の腕輪は、王家の内側へ戻る

 修道院の面会室は、白百合神殿と同じ白い石でできておりました。ただし、壁の厚さが違います。外の光を細く切る薄窓。匂いは紙と蝋と、長く閉じられた空気。神殿が「記録する場所」なら、ここは「忘れるための場所」のようです。


 アルベリク神官長様は、来ていらっしゃいませんでした。


「神官長は、監査対象中の移動に制限があります。私が同行いたします」


 クラウス監査官が黒革の監査帳を胸に、薄窓の下に立っております。痩せた長身、銀縁眼鏡の奥の目は、書類を読む時と同じ温度。人間も書類と同じ密度で処理するのでしょう、おそらく。


「承知いたしました」


 私は扇子を開きませんでした。


 面会室の奥に、ジルベルト・フォン・グレーフェンベルクが座っておりました。


 かつての王太子の面影は残っております。ただし整えきれない赤みがかった髪と、紋のない灰色の修道服は、別の人間に見えました。手元には神殿法の写本。私が近づくと、彼は手の甲で素早く頁を隠しました。


「……久しぶりだな、ヴィオレッタ」


「ハイゼンベルク公爵令嬢とお呼びください」


「……そうだな」


 隠した写本の隅に、誤字が見えました。「封印」を「棒印」と書いていました。「照会」の「照」が「昭」になっています。手が、思わず伸びかけました。赤を入れている場合ではありません。


「神殿法第34条の書写中のようですわね。誤字は後回しにいたしましょう。碧玉の腕輪についてお聞きしたいことがあります」


 ジルベルトの茶色の瞳が、微かに揺れました。


「腕輪は、王家秘宝台帳に返却済みと記録されておりました」


 クラウス監査官が監査帳を開きながら続けます。


「ですが返却先が問題です。腕輪を最後に見た日を、覚えておいでですか」


 ジルベルトの手が、袖口へと動きました。何かを押さえようとして、途中で止まった。修道服には王家紋がありません。引き戻された指が、写本の表紙の上に落ちました。


「……婚約破棄の、前日だ」


「場所は」


「王宮の書見室。――私ではなく、誰かが持っていた。名前まで確認しなかった。顔だけなら、覚えている」


「それで構いません。記録室の台帳と照合いたします」


 修道院の内記録室は、一段と薄暗い場所でした。


 木棚に並ぶ古い台帳、紙の湿った匂い、燭台の炎が揺れる。クラウス監査官が燭台を掲げ、私が写しを広げました。


 王家秘宝貸与台帳の返却欄に、碧の小印がありました。


 王弟派管理室の印です。


「返却先が、王弟殿下の管理室です」


 クラウス監査官の声は平板でした。銀縁眼鏡を取り出し、布で拭く、静かな動作。ただし眼鏡を拭く速度が、わずかに遅い。


「黒百合商会の台帳支払い欄には、碧玉の略字が残っておりました。返却日は、ジルベルト様が腕輪を見た翌日と一致します」


 燭台の炎が揺れました。窓がなく空気の動かない部屋で、誰かの呼吸が炎を動かしました。


「腕輪は、外へ流れたのではございません」


 手袋の中で指先が冷えていく感覚がありました。


「王家の内側へ、戻されておりました」


 壁の向こうに感じていた風が、足元から吹いてきたような感覚です。黒百合商会は、王家のだれかと取引している。


 面会室へ戻ると、ジルベルトが立っておりました。写本を胸に抱え、灰色服のまま。背は以前より少し丸くなっています。


「ヴィオレッタ……公爵令嬢。私は、謝罪を」


「必要ありません」


 声が、思ったより静かに出ました。


「謝罪は今、私が必要としているものではありません。書見室にいた人物の衣装の特徴を、お教えください。署名の一部でも構いません」


 ジルベルトは唇を一度動かし、止め、また動かしました。


「……王弟派の礼服だった。左胸に王家分家の小紋が入った、紺の礼服。署名は崩し字で、最初の文字だけ分かる。Kか、Gか」


「記録いたします」


 クラウス監査官が監査帳に書き留めました。羽ペンが紙を走る音。薄窓の外で、風が鳴っています。


「知らなかったのではない」


 ジルベルトが写本の背を握りながら言いました。


「私は、確認しなかったのだ」


 言いかけた言葉が、その一文で止まりました。言い訳でも自己弁護でもなく、事実の報告として出た言葉。おそらく彼が修道院でかけた時間は、この一文にたどり着くためだったのかもしれません。


 私はその言葉を、感情で受け取りませんでした。


 この証言を正式記録に載せる許可を確認し、礼を述べ、面会室を出ました。



 馬車の中は静かでした。


 クラウス監査官は黒革の監査帳を膝に置き、眼鏡を拭いております。窓の外は薄暗く、雨になる前の空気の重さがありました。


「神官長は、賢明ですね」


 唐突に言いました。


「……どういう意味ですか」


「同行しなかった。公爵令嬢と元婚約者の面会を、監査記録に載せなかった。彼が同行していれば、今日の証言が私情に由来するものとして後から否定される余地が生まれた」


 私は窓の外を見ました。雨前の曇り。街の建物が灰色に沈んでいます。


 アルベリク様は、来なかったのではない。来ないことを選んだのです。私の照会の正当性を守るために、不在を選んだ。


 手袋の縫い目を、指先でそっと押さえました。


「神殿に戻り次第、王弟派管理室の貸与記録を正式照会いたします」


「結構です」


 クラウス監査官は今度、眼鏡を拭きませんでした。


 馬車が神殿の門をくぐりました。


 白い石廊下が見えました。廊下の奥に、アルベリク神官長様が立っております。白い祭服、紺青の肩布。先に戻っていた別の審問官2名に囲まれ、低い声で何かを問われている。


 肩布の縁に添えた親指が、止まっておりました。


 あの方の中立は、誰のためですか。


 その問いを、私はまだ口に出せませんでした。

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