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「連載版」「命の番」ですって?大変ですわ、神殿に正式照会いたしましょう  作者: 夢見叶
第1章 「命の番」は午後2時に崩れる

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第2話 ミレーヌ様は、1人目ではございません

「ヴァルター嬢は、偽神託の文面をご自分で書いてはおられません。黒い百合の封蝋が押された封筒を、神殿東棟の祈祷室で受け取った、と供述しております」


 マルタ書記官のお声は、淡々としておりました。感情の起伏がなさすぎて、かえって内容だけが冷たく響く。


 白百合神殿・審問記録室。朝の光が高窓から斜めに差し込み、長机の白い紙束を、青みがかった白に染めております。空気には白百合香油の薄い甘さ。けれど甘いというより、消毒に似た、鋭い静けさ。


 私の指先は、扇子の骨を1本、数え損ねました。


 昨日、王宮の白薔薇の間で、王太子殿下の「命の番」は午後2時に崩れた。神託の写しには白百合印がなく、ミレーヌ様は神様の声を聞いたと仰ったせいで、神殿法第12条の縄にご自分から首を通された。そこまでは終わった事件であるはずでした。


 けれど、終わったはずの紙は、翌朝、神殿の机の上で増えております。


 私の照会状の控え。ミレーヌ様の供述記録。過去の神託照会票が3枚。白い紙ばかりが並ぶ中で、1つだけ黒い封蝋の写しが置かれている。封蝋には、百合に似た花が刻まれておりました。ただし、神殿の白百合とは違う。花弁の先が、まるで煤を吸ったように黒く潰れている。


「黒い百合、ですか」


 私が繰り返すと、向かいに立つアルベリク神官長様が、わずかに目を伏せられた。純白の祭服に、紺青の肩布。昨日と同じお姿ですのに、今朝はその白さが、少しだけ危うく見えました。


「人の名前ではございません」


「では、商会名か、何ぞの符牒でございますのね」


「その可能性が、ございます」


 可能性。神官長様は、断定を避けられた。


 断定できないのではなく、断定したくないのでしょう。神殿の中にも、まだ出してはいけない紙があるのですわ。


 勝ったはずの日の翌朝に、私は初めて知りました。


 嘘の運命は、恋人達の浅知恵だけで作られるものではない。祈りを売る者がいて、買う者がいて、黙って見過ごした者がいる。



「ヴァルター嬢の文言と一致する、過去の神託照会票でございます」


 マルタ書記官が、長机の上に羊皮紙を3枚、扇のように並べられました。書記官服の袖口に、銀粉インクの薄い染み。羽ペンを構える指先には、夜更けまで紙と向き合った人特有の冷えがございます。


「3枚」


「3枚です」


 私は扇子を半分だけ開きました。


 羊皮紙の余白に、銀色の細線で、同じ語句が引かれている。「命の番」「神の御声」「選ばれた」――3つの言葉が、まるで型のように並んでおりました。


「家名は、それぞれ違いますのね」


「はい。北部子爵家、東部男爵家、そしてもう1件は」


 マルタ書記官の羽ペンが、ぴたりと止まる。


 1枚だけ、家名の欄が、灰色に塗り潰されておりました。塗り潰された、というより、削られた。乱暴に消されたのではない。指の腹で何度もなぞって、繊維を擦り切らせた跡。


「神殿外への開示が、現在は、停止されております」


「どなたの命令で」


「上層からの、ご通達としか」


 マルタ書記官は、書記官のままでお答えになりました。


 あの方は、ただいまのお答えを、ご自分で選ばれたのではない。選ばされたお答えを、せめて感情を入れずに告げて下さった。それが、私への精一杯の誠実でしょう。


 神官長様の親指が、紺青の肩布の縁を、ふっとなぞられました。


 昨日も同じ仕草を、白薔薇の間で、私は見ております。あの時は、私の名を人目から外すための所作でした。


 今朝は、ご自分の言葉を呑む所作のように見えました。


「神官長様」


「はい」


「神殿は、王家のお火消しに、お手をお貸しになりますの」


 マルタ書記官の羽ペンが、止まりました。


 神官長様は、お答えになりませんでした。お答えにならないということが、答えでございました。


 昨日、私が勝ったのは王太子殿下とミレーヌ様だけ。神殿そのものは、勝たせてもらえる相手ではない。それを、今朝の私は学びました。



 午後2時の鐘が、神殿廊下に静かに落ちました。


 石床は冷えております。高窓のステンドグラスを通った光が、白百合の影を、廊下の奥まで長く伸ばす。私の薄菫の手袋の指先にも、その影が、1筋、触れていきました。


 退出の挨拶を済ませ、廊下を歩き始めた、その時。


「公爵令嬢」


 神官長様のお声が、背中に届きました。


 振り返ると、神官長様は2、3歩離れた場所で、足を止めておられた。長身を僅かに前傾なさっている。銀粉インクのわずかな痕が、まだお指先に残っておりました。昨夜遅くまで、何かを書いておられたのですわね。


 廊下の端には、若い書記官がおひとり。私達のお声が届く位置でございます。


「貴女様の正式照会は、まだ、終わっておりません」


「左様でございますか」


「神殿は、過去3件の余罪を辿るにあたり、外部からの正式照会者を1名、必要としております」


 神官長様のお言葉は、あくまで職務でした。


 けれどお声の高さが、いつもより半音、低い。


「臨時、正式照会補佐官」


 神官長様が、白い封筒を1通、私の前に滑らせました。封蝋は、神殿本殿の白百合紋。中身は、まだ拝見しておりません。


「拝命にあたっては、ハイゼンベルク公爵閣下のご同意を要します」


「父の」


「はい」


 神官長様は、お命じにはなりませんでした。


 ご命令ではなく、選択肢としてお出しになった。守られることと、信じて任されることは、時々とても似ていて、残酷に違うのです。今、神官長様がなさっているのは、後者でございました。


「神官長様」


「はい」


「お疲れではございません?」


 お聞きしてから、私は自分のお声に少し驚きました。本当はもっと、きちんとした問いを、用意しておりましたのに。


 神官長様の親指が、肩布の縁で、1拍だけ止まりました。


「手続きは、貴女様の呼吸を、待てます」


 お答えではなく、私への、言葉でございました。


 廊下の端の若い書記官が、咳ひとつなさいません。あの方の沈黙だけが、ただいまのお声を、記録に残されなかった証でございました。



 ハイゼンベルク公爵邸・馬車寄せ。


 夕暮れの光が、玄関ホールの大理石を、薄い橙に染めておりました。秋の終わりの空気が、馬の毛並みに薄く湿り気を載せる。御者が馬車の扉を開けて下さろうとして、止められた。


 父が、私の肩越しに、玄関の方を見ておられたからです。


「ヴィオレッタ」


 灰色の髪。黒い礼装。白手袋の指先を、いつものように整えておられる。怒りの仕草ではない。今宵は、もっと別の動きでございました。


「王家から、謝罪使者が参っておった」


「左様でございますか」


「使者の馬車が馬車寄せへ着く30分前に、神殿からも封書が届いた」


 父の白手袋が、玄関ホールの卓を示されました。


 卓の上には、2通の封書。赤い王家紋の封蝋と、白百合紋の封蝋。並んだ様子は、ちょうど秤の左右のようでございました。


「赤よりも、白が、先に届いた」


「ええ」


「神殿のほうが、王家よりも、お前を欲しがっている」


 父のお声は、低く短い。


 怒りの声ではございません。あれは、恐れの声でございました。父は、私がまた家門のために、自分の感情を脇へ置くと思っておられる。


 私は、白い封蝋に指を添えました。


 まだ、開けてはおりません。開ける前に決めねばならぬことが、1つだけ、ございましたから。


「お父様」


「うむ」


「神殿は、私を盾にしようとしているのでしょうか」


 父は、1拍、お答えになりませんでした。


 その間は、父が私の問いを政治判断ではなく、娘への返事として整えて下さった、1拍でございます。


「分からぬ」


「左様でございますか」


「だが、神官長殿は、お前を盾にしたいなら、わざわざ父である私の同意を条件にはせぬ」


 父が、白手袋の指先で、白百合紋の封蝋を、ことりと弾かれました。


「ヴィオレッタ。今度ばかりは、家門のためでも、王家のためでもなく、お前自身のために選びなさい」


 夕暮れの光が、卓の上の2通の封書を、ゆっくりと暮れさせていく。


 赤い封蝋。白い封蝋。


 昨日まで、私は王太子に捨てられた令嬢でした。今日からの私は、まだ名前を持っておりません。


 扇子を、膝の上で、半分だけ閉じる。


 封蝋を開けば、私の正式照会は、自分のためのものではなくなる。


 けれど、開けないという選択は、もう、できそうにないのでございます。



 マルタ書記官が読み上げた、あのお声が、夕暮れの玄関ホールに、まだ落ちておりました。


 ミレーヌ様は、1人目ではございません。


 ならば最後の1人を、どなたが、見ておられるのでしょうか。

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