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「連載版」「命の番」ですって?大変ですわ、神殿に正式照会いたしましょう  作者: 夢見叶
第3章 娘を売る家門に、神託は要りません

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第18話 神託原典の筆跡が古すぎる

 神託婚の文言は、本物でございました。


 それを告げたベルム司祭代理の顔には、ようやく勝った者の安堵が浮かんでおりました。地方礼拝堂の記録室。石造りの薄暗い壁、湿った羊皮紙の匂い、冬の朝の細い窓光が埃を含んだまま古い棚の端を横切っています。机の上には、白百合印の薄い写しが一枚。


「ご覧くださいませ、神官長様。古代原典第三十七葉。『病みし娘に、神の定めた伴侶を与うれば、その命は家と共に守られ』とございます。神託婚の根拠は、本殿の原典に存在いたします」


 ベルムは丸い体格に安堵の色を滲ませ、白い修道服の袖で写しの端を整えました。六十に近い男。目は曲者のそれより、疲れた事務員のそれに近い。この男もまた、誰かに「仕方のないことだ」と言い聞かせてきたのでしょう。


 アルベリク様は写しを手に取り、窓の光に向けました。紺青の肩布が、薄い陽の中でかすかに揺れます。しばらく沈黙。


「記録室の閲覧台帳を」


 低い声は命令でした。


 私も写しへ視線を落としました。古代祈祷体。本殿の原典写しと同じ書式。白百合透かしも入っている。偽造ではない。そう認めた瞬間、背筋を冷えが走りました。


 偽造でなければ、止める手順が変わります。


 机の端に置かれた水差しから、ほんの一滴が写しの縁へ落ちました。滲んだ墨が、百年前の祈祷体の文字を、少しだけ滲ませた。


「……筆跡が」


 声が出たのは、自分でも少し意外でした。写しを覗き込んだまま、私は続けます。


「本文の筆跡だけが、古すぎますわ」


 ベルムが眉を持ち上げました。


「原典の写しでございますから、当然」


「いいえ」


 私は写しの右下を扇子の先で示しました。


「末尾の署名欄をご覧くださいませ。送付礼拝堂名と送付日の筆跡は、今年の墨の色です。しかし本文は、これより百年は古い祈祷体。同じ写しの中に、百年の差がございます」


 静寂が落ちました。マルタ様が羽ペンを止め、記録板へ顔を近づける。イザーク様が神殿法小冊子を挟んだまま一歩近づきました。


「これは……切り貼り、ですか」


 イザーク様の声は、慎重に抑えられておりました。


「原典の文章は本物です。写し方の癖でございましょう」


 ベルムが即座に返します。


「癖で百年は変わりませんわ」


 静かに言いました。怒っているわけではございません。ただ、順序を確認しているだけ。


 アルベリク様が台帳から顔を上げます。金色の瞳が写しとベルムの間で一度だけ動きました。


「禁書庫照会を申請します。本殿原典第三十七葉の開帳と、この写しの作成者照合。早馬を」


「記録室の閲覧台帳に、この写しの閲覧者名が記載されていない。欠番が一つ。順序の問題です」


 ベルムが両手を組みました。


「記録の漏れでございます」


「漏れも照会対象です」


 マルタ様が砂時計を机の端に置き、羽ペンを走らせました。「記録します」。


 そこでベルムが、ゆっくりと言いました。


「閲覧台帳の記録が揃うまで、婚礼の保留もまた難しゅうございます」


 便利な言葉です。揃うまで。


 私は扇子を閉じました。閉じた骨が、冷えた記録室に小さな音を立てました。


 本物の文言が存在する。だからこそ止めにくい。偽造ではなく切り貼りならば、責任の所在が霞む。これが今回の手口の本質でした。


「本物の言葉を切り取れば、嘘は本物の顔をしますわ」


 誰にも向けていない言葉でした。アルベリク様だけが、私の方を一瞬見ました。



 廊下の石床は冷えており、燭台の明かりが揺れておりました。


 早馬の出立を確認したイザーク様が戻ると、入れ替わりにカーレン伯爵の代理人が現れました。四十代の痩せた男。革の書類袋から折り畳んだ紙を取り出す。


「フォルケン侯爵家より、水利権譲渡の予備契約書でございます。神託婚成立と同時に発効する予定です」


 マルタ様がすぐに受け取り、表を確認しました。


「日付は、婚礼予定の3日前。神託婚仮承認の前です」


 代理人が口を開きかけ、閉じました。


「備考欄に記号がございます。碧と、一文字だけ」


 碧。


 その文字を聞いた瞬間、私の思考の端に何かが引っかかりました。どこで見たか探るより早く、アルベリク様の手が契約書の端を押さえました。肩布の縁を、親指が静かになぞっています。その動きが、一瞬だけ止まりました。


「これは記録保全対象です。原本を預からせてください」


 そこへ廊下の奥から足音が来ました。


 オルドリック・フォルケン侯爵。濃い灰色の髭、恰幅のよい体格。右手の家門指輪を、歩きながら回しております。彼の後ろにベルムがついてくる。先ほどの安堵が、勝ち誇りへと変じた顔つきです。


「神官長様。本殿照会には時間がかかります。その間、婚礼を止める根拠がございますか」


「神託婚仮承認書の本人意思確認欄が空白である点。また写しの筆跡に百年の差がある点。現在照会中です」


「照会中ということは、未確定。未確定の間、仮承認は有効でございます」


 侯爵は笑いました。親切な父親の顔で。


「なにも娘を苦しめたいわけではない。ただ病の娘に、神が定めた伴侶を」


「神の御意志なら、本人の声を恐れる理由はございませんわね」


 私は静かに遮りました。


「本人意思確認欄へ記録するため、エルネスタ様に一言頂戴するだけでございます」


 侯爵の口元が、微かに固まりました。


「娘は病で、発声が……」


「娘の意思は、父が代わりに確認します」


 ベルムが継ぎました。


「父権の行使として、署名欄へ代筆する手続きがございます」


 代筆。


 その言葉が廊下に放たれた瞬間、扇子の骨を握る指に力が入りました。父の署名が、娘の意思欄を埋める。泣けないことと、同意したことは違う。黙っていることと、望んでいることは違う。


 私は言葉を飲みました。代わりに、マルタ様の羽ペンが記録板を走りました。


「ただいまのご発言。記録いたしました」


 侯爵がマルタ様を見ます。書記官の顔は、ひどく穏やかです。


「地方礼拝堂の記録に時刻の記載が『夜明け頃』とございますが」


 マルタ様はベルムへ向き直りました。


「頃は、時刻欄に入りません。訂正をお願いします」


 ベルムが口を開きかけ、言葉を飲み込みました。イザーク様が小声で「時刻欄、ですよね」と確認し、マルタ様が「はい。頃では日の出の鐘まで何分か計算できません」と返す。小さな応酬が空気をほんの一瞬和らげましたが、直後に侯爵の声が廊下を締めました。


「父権代筆は、明朝の婚礼前に正式申請します。娘の沈黙は、承諾と同じだ」



 記録室へ戻る廊下を、私は少し前を歩いておりました。


 本物の文言が存在するからこそ止めにくい。しかし筆跡の差は本物です。閲覧台帳の欠番も、碧の一文字も、残っている。今夜中に動く手は、ある。


「公爵令嬢」


 アルベリク様の声が、背後からしました。振り向くと、燭台の光の中に立っておられました。白い祭服、紺青の肩布。金色の瞳は、静かに私を測っています。


「禁書庫への照合依頼に、閲覧者の権限確認を加えます。欠けた閲覧番号がどの権限で抹消されたか」


「それは、神殿内部に照会先を向けることになりますわ」


「なります」


 即答でした。


「だからこそ、貴女様の名ではなく、神官長命令として出します」


 私は少し黙りました。


 彼が自分の権限を矢面に立てる。それが私の照会を守るためであることは、分かっております。同時に、彼にとって何を意味するかも。


「……ありがとう存じます」


「礼には及びません。順序です」


 アルベリク様は肩布の縁を、右の親指でひとつだけなぞりました。それから、花嫁の部屋がある方向を見ます。


「父権代筆の申請が受理される前に、エルネスタ様の声を取りに参りましょう」


「ええ」


 私は頷きました。扇子を、半分だけ開きます。


 この婚姻を望んだ神は、父の署名欄においでになるのでしょうか。


 今夜、その問いへ、本人の声で答えを出す必要がございます。

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