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栄華を極めた筈の愛の王国の没落記  作者: ふーわ
第2章 公爵令嬢の誕生
9/24

アルヴェイン公爵領へ


馬車は静かに雪道を進んでいた。


一定の揺れ。

蹄の音。

車輪が雪を軋ませる音だけが、静かな車内へ響いている。


セレスは窓際へ寄りかかりながら、ぼんやり外を見つめていた。


一面の白。

どこまでも続く冬景色。

もう村の姿は見えない。


見慣れた森も。

小さな家も。

母の墓も。


全部、遠く置き去りになってしまった。




「……寒くないか」




向かい側から低い声がした。


顔を上げる。

セオドアがこちらを見ていた。


灰青色の瞳。

厳つい顔立ち。

怖い人に見える。


けれど、その目はいつも静かだった。




「大丈夫」




セレスが答えると、セオドアは短く頷いた。

そのまま、自分の隣へ置いてあった毛布を差し出してくる。




「使え」


「……でも」


「子どもが遠慮するな」




有無を言わせない口調。

セレスは少し迷った末、小さく「ありがとう」と呟いて受け取った。


暖かい。

ほんのり、知らない香の匂いがする。

公爵家の匂いなのだろうか、と場違いなことを考えた。


沈黙が落ちる。

気まずいわけではない。

ただ、お互い何を話せばいいのか分からないのだ。


セオドアも、あまり話す人ではないらしい。

村を出てから三日、それはなんとなく分かってきた。


必要以上のことは言わない。

けれどセレスが困っていれば必ず気づくし、寒がれば火を強くさせる。

食事も、毎回セレスの口に合うものを選ばせていた。


不器用だ。

でも優しい。


母が言っていた通りだった。




「……あと四日ほどで着く」




不意にセオドアが言う。




「王都に?」


「アルヴェイン公爵領だ」




セレスは瞬きをした。




「王都じゃないの?」


「本邸は王都にもあるが、近年は領地に籠っていることの方が多い」




淡々とした説明。




「お前を、あの場所へいきなり連れて行く気はない」




“あの場所”。

その言葉に、セレスは少しだけ俯いた。


王都。

母を傷つけた場所。


まだ話を聞いただけなのに、胸の奥がざらつく。

セオドアはそんなセレスを見て、小さく息を吐いた。




「……無理に忘れろとは言わん」




低い声。




「だが、エレノアがお前に望んだのは復讐ではない」




セレスは答えられなかった。


分かっている。

母は最後まで、“憎まないで”と言っていた。


でも、どうしても消えない。

あの夜から胸に残る黒い感情が。




「……はい」




小さく返事をする。


セオドアはそれ以上何も言わなかった。


馬車が揺れる。

窓の外では雪が静かに降り始めていた。




七日間の旅路は、長かった。

けれど、不思議と苦ではなかった。


昼は街道を進み。

夜は宿場町へ泊まる。


セオドアはどこへ行っても目立った。

宿の主人たちは彼を見るなり顔色を変え、深々と頭を下げる。

騎士たちですら緊張していた。


それが不思議だった。

セレスにとってのセオドアは、不器用で静かな人でしかないからだ。




五日目の夜。

暖炉のある宿で夕食を取っていた時だった。




「……旦那様」




給仕の女性が、恐る恐る声をかけてきた。




「そのお嬢様は……」




セオドアの視線が静かに向く。

女性はびくりと肩を震わせた。




「な、何でもありません……!」




慌てて下がっていく。

セレスはその背を見つめながら、小さく首を傾げた。




「……私、変?」


「いや」




セオドアは短く否定する。

だが数秒沈黙し、それから低く続けた。




「お前は、エレノアによく似ている」




その一言で理解した。

母を知っている人だったのだ。




「お母さま、有名だったの?」




セオドアはナイフを置く。

暖炉の火が灰青の瞳へ映った。




「……有名、だったな」




静かな声。




「アルヴェインの至宝と呼ばれていた」




セレスは目を瞬く。


至宝。


そんな大層な言葉、母には似合わない気がした。

もっと穏やかで、優しくて、静かな人だったから。




「でも」




セオドアは少し目を伏せる。




「社交界でのお前の顔立ちは、嫌でも人目を引く」


「どうして?」


「銀髪と水色の瞳は、アルヴェインの直系の証だからだ」




セレスは自分の髪へ触れる。


母と同じ色。

綺麗だと言ってくれた色。




「……嫌われる?」




ぽつりと尋ねる。

セオドアの視線が止まった。




「誰にだ」


「王都の人とか」




母を悪役と呼んだ人たち。

“真実の愛”に酔った人たち。


セレスはまだ知らない。

母がどれほど傷つけられたのかを。

けれど少なくとも、優しい世界ではなかったのだろう。


セオドアはしばらく黙っていた。


やがて。




「……そうだな」




低く呟く。




「快く思わん者も、確実にいる」




セレスの胸が少し冷える。


けれど次の瞬間、セオドアの声が僅かに鋭さを帯びた。




「だが、お前はもうアルヴェインの娘だ」




灰青色の瞳が真っ直ぐセレスを見据える。




「誰にも、侮らせはしない」




その声音には、絶対的な確信があった。


セレスは少しだけ目を見開く。

そして、胸の奥がほんの少し温かくなるのを感じた。




七日目。


馬車はようやくアルヴェイン公爵領へ入った。

窓の外の景色が変わる。


整えられた街道。

雪の中でも活気ある街並み。

行き交う人々。


どこも綺麗だった。

辺境の村しか知らないセレスには、全部別世界に見える。




「……すごい」




思わず呟く。


セオドアが小さく目を細めた。




「これでも冬で人が少ない方だ」


「これで?」


「ああ」




やがて、遠くの丘の向こうにそれは現れた。


巨大な城館。

白銀の雪の中、威容を誇る深灰色の屋敷。

幾つもの尖塔。

高い城壁。

門には双頭の鷲と剣の紋章が掲げられている。




「……っ」




セレスは息を呑んだ。

あまりにも大きい。

まるで物語の世界だ。




「あれが?」




掠れた声が漏れる。




「アルヴェイン公爵家だ」




セオドアが静かに告げる。


その声を聞いた瞬間。

セレスの胸が、大きく脈打った。


ここが母の生まれた場所。

これから、自分が生きていく場所。




馬車が城門を潜った瞬間。


重厚な鐘の音が鳴り響いた。

低く、腹へ響くような音。

雪空へ幾重にも反響していく。




「……わ」




セレスは思わず窓へ張りついた。


広い。

とにかく広かった。


屋敷へ続く石畳の道。

整えられた庭園。

雪を被った噴水。


訓練場らしき場所では、冬にも関わらず騎士たちが剣を打ち合わせている。


その全てが、自分とは無縁の世界に見えた。

村の小さな家しか知らない少女には、あまりにも壮大だった。




「そんなに珍しいか」




セオドアの声。

セレスは慌てて姿勢を正す。




「……ご、ごめんなさい」


「謝る必要はない」




短く返される。

けれど、その口調は少しだけ柔らかかった。




「初めて来た人間は大抵同じ顔をする」


「父上も?」


「私は生まれた時からここだ」


「あ……そっか」




少しだけ恥ずかしくなる。

セオドアはそんなセレスを見て、小さく息を吐いた。




「緊張しているのか」


「……うん」




素直に頷く。


当たり前だ。

これから会う人たちは、母の家族で。

でも、自分にとってはほとんど知らない人たちなのだから。




「嫌われたらどうしようって思う」




ぽつりと零す。


その瞬間。

セオドアの眉間へ皺が寄った。




「ヴィオレッタが?」


「え?」


「あり得ん」




断言だった。

あまりにも即答で、セレスは瞬きをする。




「ヴィオレッタは、エレノアから手紙が来た時から、お前と会うのをずっと待っていた」


「……ほんと?」


「ああ」




セオドアは少しだけ目を伏せる。




「エレノアを助けられなかったことを、ずっと悔いていたからな」




その声音には、静かな苦味があった。

けれど、セレスは胸の奥が少しだけ温かくなる。

母を想ってくれる人が、ここにはいる。

それだけで、ほんの少し怖さが薄れた気がした。


馬車がゆっくり止まる。




「旦那様、お帰りなさいませ」




扉が開かれると同時に、整然とした声が響いた。


セレスは思わず肩を跳ねさせる。

ずらりと並ぶ使用人たち。

黒い服へ身を包み、一糸乱れず頭を下げている。




「降りるぞ」




セオドアが先に馬車を降りる。

それから振り返り、セレスへ手を差し出した。


一瞬迷う。

だが無視するのも変な気がして、そっと手を重ねた。


大きくて、硬い手。

騎士の手だ、と何となく思う。


ゆっくり地面へ降り立つ。

冷たい空気が頬を撫でた。


その瞬間。

周囲が僅かにざわめいた。




「銀の……」


「まさか」


「エレノア様……?」




小さな囁き。

セレスはびくりと身体を強張らせる。


皆、自分を見ている。

その視線の意味が分からなくて怖い。


すると。




「見るなとは言わん」




低い声が響いた。


セオドアの声。

先程の自分にかけてくれていた声より遥かに冷えた声音。




「だが、無礼は許さん」




一瞬で空気が凍る。

使用人たちが一斉に頭を下げた。




「申し訳ございません」




セレスは目を見開く。


怖い。


でも同時に。

守られているのだ、とも感じた。




「行くぞ」




セオドアが歩き出す。

セレスは慌てて後を追った。


屋敷の中は、さらに凄かった。


高い天井。

赤い絨毯。

巨大なシャンデリア。


壁に飾られた絵画と紋章旗。

母の手紙で見た、双頭の鷲と剣。

それが、この家の象徴なのだろう。




「……お母さま、こんなところにいたんだ」




思わず呟く。


セオドアが少しだけ振り返る。




「エレノアは、この家の誰より自由を好んでいた」


「自由?」


「ああ。堅苦しい貴族社会を嫌っていた」




少しだけ、母らしいと思った。

優しくて穏やかだったけれど、窮屈なものは苦手そうだったから。




「でも、責任感は強かった」




セオドアが静かに続ける。




「だから王妃教育にも耐えた」




セレスは俯く。


母の知らない過去。

少し知るたび、胸が痛くなる。


その時だった。

廊下の奥から、慌ただしい足音が聞こえてきた。




「セオドア様!」




明るい女性の声。


次の瞬間、亜麻色の髪の女性が駆けてきた。

緑色の瞳。

柔らかな顔立ち。

雪色のドレスを纏ったその人は、セレスを見るなり立ち止まる。




「……っ」




目が、大きく見開かれる。

まるで呼吸を忘れたみたいに。




「エレノア……」




掠れた声だった。


違う。

自分はエレノアじゃない。


そう言おうとした瞬間。

女性の目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。




「……本当に、似てる」




震える声。


セレスは戸惑う。

どうすればいいのか分からない。


そんな少女を見て、女性は慌てたように涙を拭った。




「ご、ごめんなさい……怖がらせるつもりじゃ」


「ヴィオレッタ」




セオドアが低く名を呼ぶ。

ヴィオレッタは深く息を吸い、それからゆっくりセレスの前へ膝をついた。


視線を合わせるために。

緑色の瞳が、優しく細められる。




「初めまして」




柔らかな声。




「私はヴィオレッタ・トータ・アルヴェイン」




そっと微笑む。




「ずっと、あなたに会いたかったの」




その言葉は。

凍えていたセレスの胸へ、静かに溶けていった。



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