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栄華を極めた筈の愛の王国の没落記  作者: ふーわ
第2章 公爵令嬢の誕生
10/24

双頭の鷲の家


「ずっと、あなたに会いたかったの」




ヴィオレッタのその言葉に、セレスはどう返せばいいのか分からなかった。


会いたかった。

そんなふうに言われたのは、初めてだったから。




「……私、は」




口ごもる。

するとヴィオレッタは、ふっと柔らかく笑った。




「ごめんなさい、困らせてしまったわね、」




その笑顔は、どこか母に似ていた。


雰囲気だろうか。

優しく包み込むような空気。

セレスの強張っていた肩から、少しだけ力が抜ける。




「長旅で疲れたでしょう?まずは温かいお茶でも、」




そう言って立ち上がる。


その時だった。




「母上、父上が帰ったって聞いたけど、」




軽やかな声が廊下の向こうから響いた。


次の瞬間。

青年が姿を現した。


亜麻色の髪。

灰青色の瞳。

整った顔立ちに、人懐っこい笑みを浮かべている。


セレスは思わず目を瞬いた。


綺麗な人だ。

それに、ヴィオレッタと少し似ている。




「サイラス」




ヴィオレッタがたしなめるように名を呼ぶ。

だがサイラスは途中で言葉を失っていた。


灰青の瞳が、セレスへ釘付けになる。




「……え」




ぽつりと漏れる声。




「……エレノア叔母上そっくり」




悪気のない率直な感想だった。


セレスは少し困る。

自分では分からないからだ。




「サイラス」




今度はセオドアの低い声。

サイラスは「あ、すみません」と軽く肩を竦めた。


反省しているようには見えない。

だがそのまま、セレスの前へ歩み寄る。




「初めまして、サイラス・フォン・アルヴェインです」



にこりと笑って、流れるように一礼した。

綺麗な所作だった。


自然すぎて、逆にセレスは慌てる。




「え、えっと……」


「そんな緊張しなくていいよ」




サイラスはくすりと笑った。




「俺、そんな怖くないし」


「お前は少し黙れ」




セオドアが低く言う。




「はいはい」




返事が軽い。

だが、その瞬間だった。




「……騒がしい」




低く落ち着いた声が響く。

セレスが振り返る。


廊下の奥。

一人の青年が立っていた。


銀色の髪。

深い緑色と青色が混ざったような色の瞳。

背が高い。


サイラスとは違い、セオドアによく似た空気を纏っている。

だがセオドアより若く、鋭い。

騎士服姿のままらしく、腰には剣が下がっていた。




「兄上」




サイラスが手を振る。

ディモンは短く頷くと、そのままセレスを見る。


真っ直ぐな視線。

静かで。

少しだけ怖い。




「……エレノア叔母上の娘か」




低い声だった。

セレスは小さく頷く。




「セレス、です」




するとディモンは数秒黙った後、ゆっくり口を開いた。




「……ようこそ、アルヴェインへ」




サイラスと比べれば、ぶっきらぼうだった。

でも、その言葉には嘘がない。

歓迎しようとしてくれているのが分かる。


セレスは少しだけ安心した。




「ありがとうございます」




ぺこりと頭を下げる。


その瞬間。




「……は?」




サイラスが変な声を出した。

ヴィオレッタも目を丸くしている。

セレスはびくりと肩を震わせた。




「え、な、なに……?」




自分、何か変なことをしただろうか。


不安になる。

するとサイラスが慌てたように首を振った。




「いや、違う違う。セレスが悪いわけじゃなくて」


「?」


「公爵家の人間がそんな簡単に頭下げること、まずないから」




セレスは目を瞬いた。




「……そうなの?」


「そうなの」




サイラスが苦笑する。




「アルヴェインは筆頭公爵家だからね。父上と母上、それから王家相手以外には、基本的に対等以上で振る舞うんだよ」




そういえば。

母が昔、“礼を尽くすことと媚びることは違う”と言っていた気がする。




「……ごめんなさい」


「だから謝らなくていいって」




サイラスは笑った。




「まあ、その辺はこれからゆっくり覚えればいいよ」




ヴィオレッタも優しく頷く。




「ええ。大丈夫」




セレスは少しだけほっとする。

怒られたわけではないらしい。


すると。




「ただ」




サイラスがふっと笑みを深くした。




「王都でそれやると、舐められるから気をつけてね」




声音は軽い。


けれど。

その目は、まるで別人みたいに冷えていた。


セレスは息を呑む。

一瞬だけ見えた、この人の中にある、“貴族”の顔に。




「サイラス」




ヴィオレッタが少したしなめる。

サイラスはすぐ柔らかな笑顔へ戻った。




「ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだけど」




セオドアは小さく息を吐いた。




「とりあえず部屋へ案内しろ」


「はーい」




サイラスが軽い調子で返事をする。

そしてセレスへ向かって、にこりと笑った。




「じゃあ、改めて」




その灰青の瞳が細められる。




「ようこそ、セレス。アルヴェイン家へ」




その瞬間、セレスは初めてほんの少しだけ思った。

ここでなら、もしかしたら、自分は生きていけるのかもしれない、と。




「セレスの部屋はこっちだよ」




サイラスに案内され、セレスは長い廊下を歩いていた。

厚い絨毯が敷かれているせいか、足音はほとんど響かない。


窓の外では雪が静かに降っている。

屋敷の中は暖かかった。

けれど、どこか緊張する。


壁に飾られた絵画。

甲冑。

双頭の鷲と剣の紋章。


その全てが、“貴族の家”というものを強く感じさせた。




「疲れてない?」




前を歩きながら、サイラスが気軽に尋ねてくる。




「……ちょっと」


「まあ、そりゃそうか」




くすりと笑う。




「いきなり環境変わりすぎだもんね」




その言い方が妙に自然で、セレスは少しだけ気が楽になる。


この人は、人との距離を詰めるのが上手い。

たぶん意識してやっている。

でも、不思議と嫌な感じはしなかった。




「ずっとここに住んでるの?」


「ディモン兄上は騎士団寮にいることも多いかな。俺は……まぁ、アカデミーもあるし、偶に帰ってくる」


「アカデミー……」


「王立学園。エリート貴族養成所って感じ」




軽い言い方。

だがセレスは少し身構えた。


王立。

その言葉だけで、王家を連想してしまう。


サイラスはそんなセレスをちらりと見た。

けれど何も言わない。

代わりに、ふっと別の話題へ変える。




「セレスは勉強好き?」


「……普通」


「普通かぁ、けどエレノア叔母上に育てられたなら、普通よりできる側だろうね」




何気ない言葉。

けれどそこには、母への深い信頼が滲んでいて、セレスは少し嬉しくなる。


その時だった。

サイラスが足を止める。




「ここ」




目の前には、大きな白い扉があった。


銀細工の装飾。

中央には、小さく双頭の鷲の紋章。




「……私の部屋?」


「うん」




サイラスは一瞬だけ表情を和らげた。




「元々は、エレノア叔母上の部屋」




セレスの目が大きく見開かれる。




「お母さまの……?」


「ずっと残してあったんだ」




静かな声だった。




「母上が、“いつか帰ってくるかもしれないから”って」




胸がぎゅっと締めつけられる。


母を待っていた人が、ここにはいたのだ。

ずっと。帰らないと分かっていても。




「……入ってみて」




サイラスが扉を開ける。

セレスはゆっくり中へ足を踏み入れた。




「……っ」




思わず息を呑む。


綺麗だった。


白と銀を基調とした部屋。

大きな天蓋付きの寝台。

本棚。

暖炉。

繊細な刺繍の入ったカーテン。


どこか冷たい色合いなのに、不思議と温かい。


そして。

窓辺に置かれた椅子を見た瞬間。

セレスの胸が強く脈打った。


そこだけ妙に生活感があったからだ。




「……お母さま、ここにいたの?」




掠れた声で尋ねる。




「よくあそこに座って本読んでたらしいよ」




サイラスが答える。




「母上から聞いた」




セレスはふらふらと窓辺へ近づく。


指先で椅子へ触れる。

母が使っていた場所。

母が見ていた景色。

そう思っただけで、涙が出そうになる。


ゆっくり窓の外を見る。

広大な雪景色が広がっていた。

白銀の庭園。

遠くの森。


さらにその先には、凍った湖が見える。

冬の光を反射して、淡く輝いていた。




「……綺麗」




自然と声が漏れる。

村とは違う。

もっと広くて、静かで、どこか厳しい景色。




「春になると、あの湖の周りに花が咲くんだ」




サイラスが窓辺へ寄りかかる。




「青い花」




その瞬間。

セレスの呼吸が止まった。


青い花。

母と約束した。


春になったら、一緒に見に行こうって。




「……っ」




胸が苦しくなる。

泣きそうになるのを堪え、セレスは俯いた。


すると。




「ごめん」




サイラスの声が少し低くなる。




「嫌なこと思い出させた?」


「……ううん」




セレスは小さく首を振る。




「嬉しかった」


「え?」


「お母さまが見てた景色、見れたから」




サイラスは少しだけ目を丸くした。

それから、ふっと優しく笑う。




「そっか」




静かな沈黙が落ちる。


雪が降っている。

白い世界。

でも不思議と、村にいた時ほど寒くは感じなかった。


その時。

コンコン、と扉が叩かれる。




「入るぞ」




低い声。


セオドアだった。

その後ろには、ディモンの姿もある。




「今日から、ここがお前の部屋だ」




セオドアが静かに言う。


その言葉を聞いて、セレスは再び窓の外を見る。


雪景色。

母がかつて見ていた世界。


そして。

これから自分が生きていく場所。


まだ実感はないけれど。


ほんの少しだけ。

ここが、自分の帰る場所になるのかもしれないと思えた。


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