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栄華を極めた筈の愛の王国の没落記  作者: ふーわ
第2章 公爵令嬢の誕生
11/24

令嬢としての始まり


一人、部屋の窓から外を眺めていれば、扉がノックされた。


景色に後ろ髪を引かれながらも扉を開ければ、年若い侍女が三人。

その後ろには、大量の布や瓶を抱えた使用人たち。




「……え?」




セレスは目を瞬いた。




「お風呂の準備が整っております」




にこやかな声。

だがセレスは固まったままだった。




「お風呂……?」


「はい。旅のお疲れを癒やしていただければと」




言われてみれば、確かに七日間ずっと移動続きだった。

宿場町では簡単に身体を流した程度だ。


でも。




「えっと……自分でできます、」




その瞬間。

侍女たちが、何とも言えない顔をした。


困ったような。

微笑ましいような。




「セレス様」




一人がそっと口を開く。




「これから少しずつ、慣れていただければ大丈夫ですので」


「……慣れる?」


「はい。身支度を侍女へ任せるのも、貴族令嬢として必要なお仕事です」




仕事。

その言葉に、セレスはぱちぱち瞬きをする。

村では全部自分でやっていた。


髪を洗うのも。

服を繕うのも。

湯を沸かすのも。


だから、人に世話をされるという感覚がまるで分からない。




「……でも悪いし」


「悪くありません」




即答だった。




「むしろ、させていただけない方が私たちは困ります」


「困るの?」


「はい」




真顔で頷かれ、セレスはますます混乱する。


そこへ。




「まあ、最初はそうなるよねぇ」




気の抜けた声。

振り返ると、扉のところへ寄りかかるサイラスがいた。




「サイラス様」




侍女たちが一斉に頭を下げる。

サイラスは軽く手を振ると、面白そうにセレスを見た。




「俺らにとっては普通でも、セレスにとってはそうじゃないもんね。」




その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。




「でもね」




サイラスがくすりと笑う。




「お世話されること、には慣れないとこれからもっと大変だよ?」




サイラスがさらっと言う。

なんだか少し、普通の家族みたいだと思った。




「じゃあ、俺は退散するね」




サイラスはひらひら手を振る。




「溺れないように頑張って」


「お風呂で溺れないよ!」


「あはは、元気になった」




笑いながら去っていく。

セレスはむっとしたが、少しだけ気が楽になっている自分にも気づいた。




「……お願いします」




おそるおそる言うと、侍女たちの顔がぱっと明るくなる。




「はい!」




その勢いに押されるまま、セレスは浴室へ連れて行かれた。




「……広……」




浴室へ入った瞬間、思わず声が漏れた。


白い石造りの床。

湯気。

大きすぎる浴槽。

村の家とは比べ物にならない。




「これ全部、お風呂?」


「はい」




侍女が微笑む。




「アルヴェイン領の温泉を引いておりますので」


「温泉……」




もはや意味が分からない。

……貴族ってすごい。


セレスは半ば呆然としたまま服を脱がされ、髪を梳かされる。




「わ、ちょ、待って……!」


「失礼いたします」




慣れた手つき。


恥ずかしい。

すごく恥ずかしい。


けれど侍女たちは淡々としていて、変に意識している自分の方がおかしい気がしてくる。




「セレス様の髪、本当に綺麗ですね」




髪を洗われながら言われる。

銀色の髪が湯へ流れる。




「エレノア様によく似ていらっしゃる」




その名前に、胸が少しだけ痛む。

でも、不思議と嫌ではなかった。




「……お母さまも、ここにいたの?」


「はい。私たちは直接お仕えしたことはありませんが、皆ずっと覚えております」




優しい方だった、と侍女は続けた。

セレスは静かに湯船へ浸かる。




「……あったかい」




じんわり身体が緩む。

疲れが溶けていくみたいだった。


すると侍女の一人が、そっと肩へ手を置いた。




「失礼します」


「ひゃっ」




思わず変な声が出る。




「凝っておられますね」


「え?」


「肩です。ずっと力が入っていたのでしょう」




優しく揉みほぐされる。

最初は驚いたが、次第に身体が軽くなっていく。




「……すごい」


「旅でお疲れでしたから」




セレスはぼんやり天井を見上げる。


気持ちいい。

こんなの初めてだ。




「令嬢としての生活は、最初は戸惑うことも多いと思います」




侍女が静かに言う。




「ですが、少しずつ慣れていただければ大丈夫ですよ」




セレスは小さく頷いた。


分からないことだらけだ。

知らない世界ばかりだ。


でも、怖いだけじゃない。

母が生まれ育った場所を、少しずつ知っていける気がした。




湯浴みを終えた頃には、身体が驚くほど軽くなっていた。

ぼんやりする頭のまま、セレスは侍女たちに髪を拭かれている。

長い銀髪が丁寧に梳かれていく。




「本当に綺麗な髪……」


「光って見えるわ」




小さな感嘆。

セレスは少し落ち着かない気持ちになる。


村では、こんなふうに褒められることはほとんどなかったからだ。




「お召し物はこちらを」




侍女がそっと差し出したのは、淡い水色のドレスだった。


冬空みたいな色。

銀糸で細かな刺繍が施されている。




「……綺麗」




思わず呟く。




「エレノア様が幼い頃に着ておられたものです」




その瞬間、セレスは目を見開いた。




「お母さまの……?」


「はい。旦那様が、“まずはこちらを”と」




セレスはそっと布へ触れる。


柔らかい。

ずっと大切に保管されていたのだろう。




「サイズも合うと思います」


「……残ってたんだ」


「ヴィオレッタ様が、ずっと手入れをされていましたから」




胸がぎゅっと締めつけられる。


母がいなくなっても。

ここでは、母の痕跡が大切に残されていた。


セレスは静かに着替えさせられる。


コルセット。

重ねる布。

紐。

村の服とはまるで違う。




「く、苦しい……」


「最初は皆様そう仰います」




侍女たちは慣れた様子だった。


髪も半分ほど結い上げられ、鏡の前へ座らされ、最後に小さな銀細工の髪飾りを挿された。




「……できました」




セレスは恐る恐る鏡を見る。




「……っ」




知らない子がいた。


銀色の髪。

水色の瞳。

淡いドレス。


村娘ではない。

まるで、本当にどこかの令嬢みたいだった。




「……私じゃないみたい」




ぽつりと漏れる。


すると侍女が微笑んだ。




「とてもお似合いですよ」




その時。

コンコン、と扉が叩かれた。




「入るよー」




軽い声と共に、サイラスが顔を覗かせる。


そして。




「……」




固まった。

灰青色の瞳が大きく見開かれる。

数秒、完全に沈黙する。




「サイラス様?」




侍女が不思議そうに声をかける。

サイラスはゆっくり瞬きをした。




「……いや、本当に、似てるなって」




掠れた声。

その視線は、まるで昔の幻を見るみたいだった。


セレスは少し困ったように首を傾げる。




「そんなに?」


「うん」




サイラスは苦笑する。




「俺、叔母上のことは絵でしか知らないんだけど」




そう言って壁際の鏡を見る。




「そのまま抜け出してきたみたい」




セレスは自分の姿を見下ろす。


母が着ていた服。

母と同じ髪。

母に似た顔。


確かに、“エレノアの娘”なのだと実感する。




「……嫌?」




不安になって尋ねる。


サイラスは目を瞬いた。




「なんで?」


「だって、お母さま思い出しちゃうでしょ」




その瞬間、サイラスの表情が少しだけ柔らかくなった。




「思い出して悪い人じゃないよ」




静かな声。




「母上も父上も、ずっと会いたがってた。だから、来てくれて嬉しい」




その言葉に、セレスは少しだけ目を伏せる。

胸が温かかった。


まだ慣れない。

でも、この家の人たちは、本当に母を大切に思っていたのだ。




「さて」




サイラスがぱん、と軽く手を叩く。




「感動タイムはこの辺で」


「?」


「みんな待ってる。軽くお茶するって」




セレスは目を丸くする。




「五人で?」


「うん。家族会議みたいなもの」




にこりと笑う。




「怖くないから安心して」




その笑顔を見て。

セレスは少しだけ思う。


たぶん、一番油断しちゃいけないの、この人かもしれない。

でも同時に、その人が、自分を気遣ってくれているのもちゃんと分かっていた。


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