5人でのお茶会
サイラスに連れられ、セレスは茶会の場となる温室へ向かっていた。
歩くたび、慣れないドレスの裾が揺れる。
「転ばないでね」
「……怖いこと言わないで」
「あはは」
絶対ちょっと面白がっている。
セレスはむっとしたが、サイラスは楽しそうなままだった。
やがて、大きな扉の前で足が止まる。
「入るよ」
扉が開かれる。
暖かな空気と紅茶の香りがふわりと流れてきた。
丸いテーブル。
ドーム状のガラス天井から差し込む冬の日差し。
そこには既に、セオドアとヴィオレッタ、それからディモンが座っていた。
「お待たせしました」
サイラスが軽い調子で言う。
その瞬間、ヴィオレッタの目が柔らかく細められた。
「まあ……」
嬉しそうな声。
「本当にエレノアみたい」
セレスは少し恥ずかしくなって俯く。
ディモンも静かにこちらを見ていた。
無表情に近い。
けれど視線は冷たくなかった。
「座れ」
セオドアが短く言う。
セレスは緊張しながら椅子へ近づく。
母から教わったことを思い出す。
椅子へ深く腰掛けすぎない。
背筋を伸ばす。
音を立てない。
ぎこちなく、そっと座る。
「……ふふ」
向かい側でサイラスが笑った。
「頑張ってるね」
「笑わないで」
「笑ってないよ。偉いなって思って」
その言い方が妙に優しい。
セレスは少しだけ居心地が悪くなる。
侍女が紅茶を注ぐ。
香り高い湯気。
小さな菓子。
全部綺麗で、触れるのが怖い。
どうすればいいんだっけ。
セレスは必死に母の教えを思い出す。
カップはこう持つ。
音を立てない。
視線を落としすぎない。
村では実践することはなかった知識。
でも母は、ずっと教えてくれていた。
まるでこうなる未来を知っていたみたいに。
恐る恐るカップへ手を伸ばす。
その瞬間、正面のサイラスが、わざとらしいくらいゆっくりカップを持ち上げた。
「……?」
セレスは瞬きをする。
サイラスはにこにこしたまま、自然な動作で紅茶を飲む。
見せてくれてるんだ。
セレスは気づく。
それが分からないように。
でも分かりやすいように。
絶妙に。
セレスはそっと真似をする。
カップを持ち上げる。
飲む。
……うまくできた。
「上手ね」
ほっとした瞬間、ヴィオレッタが優しく微笑んだ。
セレスはびくっとする。
「えっ」
「エレノアも最初はもっと酷かったもの」
「母上」
サイラスが笑いを堪える。
ヴィオレッタは「あら」と口元へ手を当てた。
「本当のことよ?」
「叔母上の名誉のためにやめてあげて」
くすくす笑う声。
セレスは目を丸くする。
母の、そんな話を初めて聞いた。
「お母さまも失敗したの?」
「もちろん」
ヴィオレッタは懐かしそうに目を細める。
「ティーカップを緊張で割ったこともあるわ」
「えぇ!?」
思わず声が大きくなる。
あの母が?
いつも完璧だった母が?
サイラスが吹き出した。
「その顔分かる。俺も最初信じられなかった」
「でも、努力家だったわ」
ヴィオレッタの声はとても優しかった。
「誰より真面目に勉強して、誰より綺麗に笑えるようになった」
セレスは静かに紅茶を見る。
母は、最初から“完璧な令嬢”だったわけじゃない。
きっとたくさん努力したのだ。
自分の知らないところで。
「……私にもできるかな」
ぽつりと漏れる。
すると。
「できる」
低い声が返ってきた。
ディモンだった。
セレスは目を見開く。
ディモンは静かに紅茶を置く。
「お前はエレノア叔母上の娘だ」
短い言葉。
でも、真っ直ぐだった。
セレスは少しだけ胸が熱くなる。
「ありがとう……ございます」
反射的に頭を下げそうになって、途中で止まる。
サイラスが吹き出した。
「危なっ」
「わ、忘れてないもん!」
「うんうん、偉い偉い」
子ども扱いされている気がする。
むっとするセレスを見て、ヴィオレッタが楽しそうに笑った。
セオドアも、僅かに口元を緩めている。
静かな笑い声。
暖かな紅茶。
冬の日差し。
それは、セレスが想像していた“貴族の家”とは、少し違っていた。
もっと冷たくて、息苦しい場所だと思っていたから。
けれど今、この場所はどこか温かい。
その温かさが、失ったものだらけだったセレスの胸へ、少しずつ沁み込んでいくような気がした。
「そういえば」
茶会が少し落ち着いた頃。
ヴィオレッタがふと思い出したように口を開いた。
「明日、仕立て屋が来るわ」
セレスは瞬きをする。
「仕立て屋?」
「ええ。あなたの服を作るためにね」
セレスは反射的に自分の袖を見る。
今着ているのは、母が昔着ていたドレス。
確かに綺麗だけれど、自分のものではない。
「そんなにたくさん必要?」
「必要だよ」
答えたのはサイラスだった。
「公爵令嬢は、服も“立場”だから」
軽い口調。
でも内容は真面目だった。
「季節、茶会、夜会、訪問、学園。全部使い分ける」
「……大変」
セレスの素直な感想にサイラスが笑った。
「だよねぇ」
「笑い事ではないぞ」
ディモンが低く言う。
「アルヴェインの名を背負う以上、外聞は重要だ」
「はいはい、真面目」
「お前が軽すぎるんだ」
兄弟のやり取りに、ヴィオレッタがくすりと笑う。
「でも安心して。最初は最低限だけにするから」
「……最低限」
貴族の最低限って何着なんだろう。
なんとなく怖くなって、考えるのをやめた。
「あと」
ヴィオレッタは少し表情を和らげた。
「エレノアを教えていた先生にも連絡したの」
セレスが顔を上げる。
「お母さまの?」
「ええ。あなたにとってのお祖母様……、前公爵夫人の代からアルヴェインへ仕えてくださっている方よ」
懐かしそうな声だった。
「お忙しい方なのだけれど、“エレノアの娘ならば”って、一巡り以内に来てくださるそうよ」
「一巡り……」
七日。
そんなに急いで来てくれるのか。
セレスは少し驚く。
「厳しい先生だけど、すごい人だからねぇ」
サイラスが紅茶を飲みながら言う。
「俺、小さい頃めちゃくちゃ怒られた」
「サイラスは落ち着きがなかったもの」
「今もあんまり変わってないよね」
「自覚はあるんだな」
ディモンの淡々とした一言に、サイラスが「ひどい」と笑う。
その空気が、妙に心地いい。
家族の会話だ、と思った。
自然で、温かくて、少し羨ましい。
「セレスは十四歳だったわよね?」
ヴィオレッタが尋ねる。
「はい」
「なら、学園は来年の冬からね」
「学園……」
またその言葉。
セレスの睫毛が少し揺れる。
ヴィオレッタは気づいたように、声音を柔らかくした。
「王立アカデミーは、基本的に十五歳の冬に入学して、十八歳の春に卒業するの」
「貴族の子はほとんど通う」
ディモンが補足する。
「騎士科、文官科、淑女科……色々あるけどね」
「……サイラス様は?」
「文官科。腹黒いから向いてる」
「兄上、ひどくない?」
「事実だ」
セレスは思わず小さく笑ってしまう。
するとサイラスが目を丸くした。
「……初めて笑ったね」
「え」
言われて気づく。
ここへ来てから、ちゃんと笑ったのは初めてかもしれない。
少し恥ずかしくなって俯くと、ヴィオレッタが優しく目を細めた。
「その方が可愛いわ」
「か、かわ……!?」
顔が熱くなる。
サイラスが吹き出した。
「母上、急に距離詰めるから」
「本当のことでしょう?」
そんな穏やかな空気を破ったのは、控えていた執事だった。
「奥様」
一礼し、銀盆の上の封筒を差し出す。
「王宮より、お手紙が」
その瞬間、空気が変わった。
セレスの肩が強張る。
王宮。
その言葉だけで、胸がざわついた。
ヴィオレッタは表情を変えないまま封を切る。
流れるように目を通し、
「……あら」
小さく呟いた。
「どうした?」
セオドアが問う。
ヴィオレッタは呆れたように息を吐いた。
「王妃陛下から。“令嬢を引き取ったと聞いた。よければお披露目の会を開かせてくれないか?”ですって」
セレスの指先が冷える。
王妃。
母を追い落とした、“真実の愛”の人。
知らず、呼吸が浅くなる。
「断れ」
セオドアが即答した。
「もちろんそのつもりよ。お披露目はちゃんと公爵家主催でするから安心してね」
「え。」
ヴィオレッタも涼しい顔で頷く。
そして。
さらりと手紙を執事へ返した。
「燃やしておいて」
「かしこまりました」
執事は一切動揺せず、暖炉へ向かう。
セレスは目を見開いた。
次の瞬間。
王妃からの手紙は、ぱちりと音を立てて炎へ飲まれた。
灰になっていく。
ヴィオレッタはそれを見ながら、呆れたように紅茶へ口をつけた。
「相変わらず、あの方はお手紙の書き方も知らないのね」
静かな声だった。
けれど。
その言葉には、凍るような冷たさが滲んでいた。
セレスは息を呑む。
初めて見た。
優しいヴィオレッタの中にある、“王家への拒絶”を。
暖炉の中で、手紙が灰になる。
ぱちり、と薪が爆ぜた。
静かな音だった。
けれどセレスには、その炎が妙に鮮烈に見えた。
王妃からの手紙。
王家からの言葉。
それを、この家の人たちは一切迷わず燃やした。
そこにある感情が分かる気がして、胸の奥が少しざわつく。
すると。
「……あら」
ヴィオレッタがふっと微笑んだ。
「お茶が冷めちゃったわね」
柔らかな声。
先程までの冷たさが嘘みたいだった。
「変えましょうか」
その一言で、張っていた空気がふっと緩む。
侍女たちが静かに動き始めた。
「私は珈琲で」
セオドアが短く言う。
「同じものを」
ディモンも続ける。
侍女が恭しく頭を下げた。
「僕はレモネード」
サイラスが軽い調子で言う。
セレスは思わずそちらを見る。
「紅茶じゃないの?」
「苦いの苦手」
「子ども……?」
「失礼だなぁ。」
「サイラス様、薬草茶とか飲めなさそう。」
思わず返してしまった。
一瞬、部屋が静まる。
しまった、とセレスは固まった。
公爵令嬢らしくなかったかもしれない。
だが。
「ふふっ」
ヴィオレッタが吹き出した。
サイラスも目を丸くした後、声を上げて笑う。
「うわ、初対面でそこ言われたの初めて」
「だ、だって……」
「正論だな」
ディモンですら、僅かに口元を緩めていた。
セオドアは無言だったが、珈琲を待つ姿勢のまま肩が少し揺れている。
……笑ってる?
セレスは恐る恐るそちらを見る。
目が合った。
セオドアは数秒沈黙し。
「事実だな」
低く言った。
「父上まで!?」
サイラスが大袈裟に嘆く。
部屋へ笑いが広がった。
その温度が、少しだけくすぐったい。
「私は紅茶を変えようかしら」
ヴィオレッタが穏やかに言う。
「今度は花の香りのものにしましょう」
「母上、それ好きだよね」
「落ち着くもの」
侍女たちが慣れた様子で準備を進めていく。
その様子を見ていたヴィオレッタが、ふとセレスを見た。
「セレスには……そうね」
優しい緑の瞳が細められる。
「ココアがいいかしら?」
「……ココア?」
「甘いもの、嫌い?」
セレスは少し迷ってから、小さく首を振った。
「好き」
「よかった」
ヴィオレッタが嬉しそうに笑う。
「エレノアも好きだったのよ」
その言葉に、胸が少し温かくなる。
しばらくして、新しい飲み物が運ばれてきた。
黒い珈琲。
透き通るレモネード。
香り高い紅茶。
そして、セレスの前へ置かれた湯気立つカップ。
「……甘い匂い」
そっと覗き込む。
濃い茶色。
湯気と一緒に、優しい香りが広がっていた。
「飲んでみて」
ヴィオレッタに促され、セレスは恐る恐る口をつける。
「……っ」
甘い。
温かい。
じんわり身体へ沁み込む。
「おいしい……」
思わず零れる。
ヴィオレッタが嬉しそうに笑った。
「よかった」
「子ども舌仲間だね」
サイラスがレモネードを飲みながら言う。
「一緒にしないで」
「えぇ」
「サイラス様、珈琲飲めないんでしょ」
「え、なんで知ってるの」
「紅茶飲めないのに、珈琲飲めるとは思えない」
サイラスが悔しそうに黙る。
ディモンが静かに珈琲を飲みながら呟いた。
「言い負かされてるな」
「兄上は苦いの好きすぎるんだって」
「黙れ」
また笑いが起きる。
セレスはココアのカップを両手で包みながら、その光景を見つめた。
温かい。
飲み物だけじゃない。
この空気が。
この家族の距離感が。
少しずつ、凍えていた心を溶かしていく。
でも同時に。
セレスは気づいてしまう。
この人たちは優しい。
だからこそ、王家に対する怒りもきっと深いのだと。




