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栄華を極めた筈の愛の王国の没落記  作者: ふーわ
第1章 山裾の村での幸福だった日常
8/24

雪花の葬列


葬儀は、三日後に行われた。


村外れの、小さな教会だった。

古びた石造りの建物。


冬になると人もほとんど訪れない場所だと、セレスは昔、村の老人から聞いたことがある。


けれどその日だけは違った。

朝から多くの村人たちが集まっていた。

雪道を杖をつきながら歩く老人。

幼子を抱いた女。

農夫たち。


皆、静かな顔で花を抱えている。

白い花だった。

雪の中でも咲く、小さな冬花。




「……こんなに」




セレスは呆然と呟く。

エレノアは、この村で静かに暮らしていただけだと思っていた。




「エレノアさんには世話になったからなぁ」




村の老婆が涙ぐみながら言った。




「あの人がいなきゃ、うちの孫は冬を越せなかった」


「薬草にも詳しかったしな」


「読み書きも教えてくれた」


「誰にでも優しかった」




次々と零れる言葉。

セレスは知らなかった。

母が、自分の知らないところでこんなにも人を助けていたことを。


セオドアは少し離れた場所で、その光景を静かに見ていた。

灰青色の瞳が僅かに揺れる。




「……あいつらしい」




ぽつりと呟く。

その声音には、誇らしさと痛みが滲んでいた。


教会の鐘が鳴る。

低く、静かな音。

雪空へ溶けていく。


セレスは棺を見つめた。

白い花に囲まれた棺。

その中に、母が眠っている。


綺麗な顔だった。

苦しそうな色はもう消えている。

まるで、穏やかな夢を見ているみたいだった。




「……お母さま」




小さく呼ぶ。

返事はない。


分かっている。

分かっているのに、呼んでしまう。


神父が静かに祈りを捧げる。


厳かな声。

けれどセレスには、ほとんど頭に入ってこなかった。


ただ、もう二度と母が笑わないという事実だけが、胸を締めつける。




「セレス」




不意にセオドアが呼んだ。


振り返る。

彼は一輪の白花を差し出していた。




「最後の別れだ」




セレスは震える手で花を受け取る。


棺へ近づく。

白い花を、そっと母の胸元へ置いた。




「……春になったら、一緒に見に行くって言ったのに」




掠れた声が零れる。

涙が落ちる。




「約束、したのに」




返事はない。


当然だ。

もう、どこにもいないのだから。


セレスは唇を噛み締めた。


泣きたくない。

母が困る気がした。

でも駄目だった。




「……っ」




ぽろぽろ涙が零れる。


その時。

温かな手が肩へ置かれた。


セオドアだった。

何も言わない。

ただ、静かに傍に立っている。

その不器用な優しさが、余計に涙を誘った。


やがて。

葬列が動き始める。


雪を踏む音だけが響く。

村外れの墓地。


白銀の丘。

そこへ、エレノアは静かに眠ることになった。


埋葬の時。

セレスは最後まで棺から目を離せなかった。


土が落ちる音。

ひどく重い音だった。


一度落ちれば、もう戻らない。

本当に終わってしまう。




「……お母さま」




泣きながら呟く。




「私、ちゃんと生きるから」




母が望んだように。

幸せになれるかは分からない。


でも『生きる』それだけは、約束しようと思った。


冷たい風が吹く。

白い雪が舞い上がる。


それはまるで。

エレノアが最後に、娘の髪を優しく撫でたみたいだった。




葬儀の翌朝。


空は驚くほど晴れていた。

白銀の世界に朝日が差し込み、雪が眩しく光っている。


セレスは一人、墓地へ来ていた。

昨夜降った雪が、墓石の上へ薄く積もっている。




「……おはよう、お母さま」




小さく呟く。


返事はない。

それでも、話しかけずにはいられなかった。


セレスはしゃがみ込み、雪をそっと払う。


冷たい。

指先が赤くなる。




「私、この後すぐに、王都へ行くんだって」




静かな朝だった。

風の音だけが遠く聞こえる。




「……父上、が、一緒に来てくれるって、」




まだ少しぎこちない呼び方。

十四年生きてきて、父、に該当する存在がセレスの傍にいた時期は、一瞬たりと無い。


でも、セオドアは嫌な顔をしなかった。




「……怖いよ」




本音が零れる。


王都。


母を傷つけた場所。

知らない人たち。

知らない世界。


怖くないわけがない。




「でも」




セレスは墓石へそっと触れる。




「ちゃんと生きるって約束したから」




泣きそうになる。


それでも、涙は堪えた。

昨日、たくさん泣いた。


だから今日からは、前を向こうと思った。




「行ってきます」




小さく頭を下げる。


その時。




「……きっと、喜んでいる」




背後から声がした。


振り返ると、セオドアが立っていた。

黒い外套を纏い、静かに妹の墓を見つめている。




「父上、」


「馬車の準備ができた」




セレスは頷き、もう一度墓石を見る。


エレノア。

その名前を胸の中で呼ぶ。

優しかった母。


世界で一番大好きだった人。




「……行こう」




セオドアが歩き出す。

セレスも後を追った。


村の出口には、黒塗りの馬車が停まっている。


初めて見るほど立派な馬車。

御者が静かに頭を下げた。


村人たちも集まっていた。




「元気でな、セレスちゃん」


「辛くなったら、いつでも帰っておいで」


「エレノアさんの娘なんだ。大丈夫さ」




優しい言葉ばかりだった。

セレスは胸がいっぱいになる。


母は、この村でも愛されていたのだ。




「……ありがとうございました」




深く頭を下げる。

セオドアが僅かに目を見開いた。


だが何も言わない。

セレスは馬車へ乗り込む前に、最後に村を振り返った。


小さな家。

白い雪。

煙突から立ち上る煙。

母と過ごした景色。

もう戻れない時間。




「……さようなら」




呟く。


馬車の扉が閉まる。

ゆっくりと車輪が動き出した。


雪道を進む。

村が少しずつ遠ざかっていく。


セレスは窓から、その景色をずっと見つめていた。


やがて。

完全に見えなくなる。


その瞬間。

胸の奥にぽっかり穴が開いた気がした。




「……辛いか」




セオドアの声。

セレスは少しだけ俯く。




「うん」




正直に答える。




「全部、なくなっちゃった」




セオドアは静かに目を伏せた。




「……そうだな」




否定しない。

その優しさが、少しだけありがたかった。


しばらく沈黙が続く。

馬車の揺れる音だけが響く。


やがて。




「だが」




セオドアが口を開いた。




「お前には、これから手に入るものもある」




セレスは顔を上げる。

灰青色の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。




「アルヴェイン公爵家は、お前の家だ」




家。

その言葉に、胸が少しだけ揺れる。




「お前は、エレノアの娘だ。誰にも、それを軽んじさせはしない」




静かな声。

けれど力強かった。




「だが、これからは、アルヴェイン公爵家も、お前の家であり、家族だ。」




その言葉を聞いた瞬間。

セレスの胸の奥で、何かが小さく灯った。


まだ弱い火。

けれど確かに。

失ったものだけではない未来が、そこにはあるのかもしれない。


馬車は進む。

雪原を越え。

森を越え。


やがて、王都へ向かう道へ入っていく。

その先に待つものを、セレスはまだ知らない。


愛も。

裏切りも。

憎しみも。

滅びも。


まだ何一つ知らないまま。

けれど確かに、セレスは運命の渦へ踏み込んでいった。



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