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栄華を極めた筈の愛の王国の没落記  作者: ふーわ
第2章 公爵令嬢の誕生
23/24

向けられた視線



国王との一件の後、セレスティアは少しだけ気持ちを落ち着かせていた。


会場の隅で、ヴィオレッタと共に貴婦人たちとの会話へ加わり。

時折ディモンやサイラスが交代しながら傍に立つ。


自然なことだった。

いや、正しくは当然のことだ。


未婚の令嬢を一人にしない。

それは、社交界の常識。


アシュレイから何度も教えられた。

特にセレスティアは十四歳。

今日が正式なお披露目。

まだ成人前で、婚約者もいないの少女だ。


だから、父母が、あるいは兄が。

誰かが必ず傍にいる。


それがアルヴェイン家の意思表示でもあった。

不用意な接触を許さない。

セレスティアは守られているのだ、と周囲へ示している。




「覚えておいてください」




以前アシュレイは言っていた。




「令嬢が一人でいるということは、“話しかけてもよい”という意味にもなります」


「じゃあ、一人にされないのは?」


「アルヴェイン家が貴方を大切にしている証拠です」




その言葉を思い出す。

そして、今もその通りだった。


サイラスが隣でレモネードを飲んでいる。

ディモンは少し離れた位置から周囲を見ていた。

完全に騎士の顔だ。




「兄上、怖い」


「家族としての義務だからね」




サイラスが笑う。




「今あそこに変なの来たら三秒で消える」


「消える?」


「物理的に?」


「……」




聞かなかったことにしよう、と改めて会場に目を向けた時だった。


会場の空気が少し変わる。


人の流れ。

視線。

ざわめき。


サイラスがそちらを見て。




「あー……」




露骨に嫌そうな顔をした。




「兄さま?」


「来たね」




誰が?


そう思った瞬間、セレスティアも気付いた。

こちらへ向かってくる少年。


金髪。

紫の瞳。

まだ幼さの残る顔立ち。


けれど、誰が見ても分かる。


王太子だった。

会場の視線が自然と集まる。


未来の国王。

王家の嫡男。




「……婚約者の方は?」




思わず尋ねる。

サイラスの表情が微妙になる。




「いないね」


「え?」


「少なくとも今は」




王太子妃候補。

未来の王妃。


そのはずの婚約者の姿がない。

普通なら隣にいるのではないのだろうか。




「婚約者いるんだよね?」


「いるよ」




サイラスは即答した。




「侯爵家のご令嬢」




セレスティアと同い年。

既にそのくらいは知っている。


アシュレイに言われ、参加者の名簿には目を通した。

確かに、参加しているはずなのに。




「……じゃあなんで?」




その問いにサイラスは少しだけ困った顔をした。




「それを俺に聞く?」




つまり、そういうことらしい。


ディモンもこちらへ戻ってきた。

どうやら同じことに気付いたようだ。




「来るな」



短く言う。




「来るね」




サイラスが頷く。


そして二人とも自然な動作でセレスティアの位置を挟み込む。

左右に兄たちが立つ。


誰が見ても分かる。


壁だ。




「兄上?」


「礼儀の問題だ」




ディモンが言う。




「え?」


「婚約者がいる男が、婚約者を伴わず他家の令嬢へ近付く」




そこで言葉を切る。




「褒められた話ではない」




サイラスが苦笑した。




「まあ、挨拶くらいなら問題ないけどね」


「だが周囲は見る」


「見るねぇ」




社交界は怖い。

セレスティアは改めて思った。


ただ歩くだけでも意味が生まれる。

誰と話したか。

どこにいたか。

誰の隣にいたか。

全部見られている。


その中で、王太子は真っ直ぐこちらへ向かってくる。


迷いなく。

一直線に。




「……なんでこっち」




セレスティアは思わず呟いた。




「顔」




サイラスが答える。




「顔?」


「たぶん」


「たぶん?」


「いや、確信ある」




何だろう、全てにおいて、嫌な予感しかしない。


やがて王太子が目の前まで来る。


近い。

思ったより近い。


そして、王太子はまずサイラスへ視線を向けた。




「久しぶりだな」


「殿下」




サイラスは完璧な礼を取る。


笑顔も完璧。

普段のセレスティアやディモンと軽口を叩くときのサイラスとは別人だった。


社交モード。




「アカデミー以来か」


「そうなりますね」


「サイラスはさっさと授業を終えてしまうからな」


「今年は、妹の教育の手伝いも必要でして」




当たり障りのない会話。


しかし王太子の視線はすぐに動いた。


セレスティアへ。

まるで吸い寄せられるように。

その紫の瞳が見開かれる。


驚き。

感嘆。

そして、何か別の感情。


セレスティアは無意識に警戒した。

その視線を見た瞬間。

理由もなく胸の奥がざわついたからだ。


そして、隣にいたディモンとサイラスが、ほぼ同時に表情を消したことに。

セレスティアはまだ気付いていなかった。




「……?」




居心地が悪い。

無意識に背筋が強張る。


隣ではサイラスが相変わらず微笑んでいる。

完璧な社交用の笑顔。


だが、長年一緒に暮らしたわけではなくとも、半年も見ていれば分かる。


機嫌は良くない。

そして、ディモンは完全に無表情だった。

それが一番危険だった。




「初めまして」




王太子が口を開く。

視線はセレスティアから離れない。




「セレスティア嬢」




丁寧な挨拶。

形式としては何も間違っていない。

セレスティアも礼を返す。




「お初にお目にかかります、殿下」




完璧に。

教わった通りに。


王太子は少しだけ嬉しそうに笑った。




「噂は聞いていた」




噂。

何のだろう。




「だが、まさかこれほどとは思わなかった」




その言葉に周囲の空気が微妙に変わる。

サイラスの笑顔がさらに綺麗になる。

……サイラスは、こういうところはヴィオレッタに似ている。




「殿下」




サイラスが穏やかに口を挟む。




「妹をお褒めいただき光栄です」




妹。


その一言にほんの僅かだが王太子の眉が動いた。


セレスティアは見逃した。

サイラスは見逃さなかった。




「君の妹か」


「ええ」




にこやかに。




「大切な妹です」




周囲の高位貴族たちが何となく察し始める。


ああ、アルヴェイン家は王家そのものを警戒しているのだと。




「そうか」




王太子は頷く。


だが、視線は相変わらずセレスティアへ向いたままだった。


ひどく居心地が悪い。


何故だろう。

王家だからか。


それとも別の何かか。




「セレスティア嬢」




再び呼ばれる。




「はい」


「今年の冬にはアカデミーへ入学すると聞いた」




今年の冬。

十五歳になれば入学する。

貴族なら当然の進路だ。




「その予定です」


「なら楽しみだ」




嬉しそうに言う。

セレスティアは何と返せばいいか分からない。


すると。




「殿下」




今度はディモンだった。

低く落ち着いた声。




「妹はまだ社交界へ出たばかりです」




敬意はある。

だが距離もある。




「今日はご容赦いただければ」




つまり、長話は遠慮してほしい。

遠回しな牽制だった。

普通の相手なら気付く。

気付いて下がる。


だが、王太子は若かった。

そして、どうやらかなり“王家の人間”らしかった




「そうだな」




頷く。

頷いたのだが、視線はまだセレスティアから離れない。

周囲の貴族たちがちらちらと見ている。


その中には、気まずそうな顔をしている者もいた。

何故なら、皆知っているからだ。


王太子には婚約者がいる。

それも優秀で有名な侯爵令嬢が。


そして、その婚約者は今この場にいる。

離れた場所で。


きちんと挨拶回りをしている。

王太子妃教育を受けている令嬢らしく。

誰に対しても礼を尽くして。

完璧に。


だから余計に今の状況は目立つ。

婚約者を伴わず。

他家の令嬢……それも、過去に現在の国王が不義理を働いた令嬢の娘へ熱心に話しかける王太子。




「……」




セレスティアは少しだけ眉を寄せる。


アシュレイに教わった言葉が頭をよぎる。


婚約とは責任だ。

家と家との約束だ。

貴族社会の基盤だ。


だから、婚約者を蔑ろにしてはいけない。

それは最低限の礼儀だと。


真実の愛などというのであれば、エレノアに対しては賠償という形で責任を果たさなければならなかった。

冤罪を被せ、王都を追放するなど、決して許されることではない。と。


今思い返せば、アシュレイが王家を真っ向から批判するような言葉を言ったのはあの時だけだった。

あのアシュレイに、そこまで言わせるほどのことであるのに。


なのに、王太子の隣には誰もいない。

王太子本人が、そのことを不思議とも思っていないように見える。


その瞬間にセレスティアの脳裏に過ったのは、先ほどの国王夫妻だった。


悪意はない。

自覚もない。

けれど大切な何かを踏みにじっている。


そんな姿。




「殿下」




ふとセレスティアは口を開いていた。

サイラスが一瞬目を細める。

ディモンも視線を向ける。




「どうした?」




王太子が嬉しそうに応じる。


その表情を見てセレスティアは殊更丁寧に微笑んだ。




「婚約者様はご一緒ではないのですか?」




空気が一瞬で静まり返った。


静かだった。

本当に。


驚くほど静かだった。


楽団の演奏は続いている。

談笑の声も聞こえる。


けれどこの一角だけが妙に静まり返っていた。


セレスティアは首を傾げる。

純粋な疑問だった。

少なくとも本人はそう思っている。


アシュレイから習った、社交界の常識。

それを踏まえたうえで、この場でのセレスティアの周囲を固める家族。

その常識に当てはめるのであれば、王太子の横には婚約者がいなくてはならないのだから。


だが、周囲の反応は違った。

サイラスが視線を逸らした。

肩が僅かに震えている。

笑いを堪えている。


ディモンは無表情だった。

ただしほんの少しだけ口角が動いた。


ヴィオレッタは遠くから扇で口元を隠している。

セオドアはグラスを傾けた。

アシュレイに至っては、何故か満足そうだった。


質問自体に問題はない。

むしろ、極めて正しい。

だから誰も止めないし、止められない。


この場において、問題なのはその正しさだった。




「……ああ」




王太子が答える。

僅かに表情が曇る。




「来ている」


「そうなのですね」




セレスティアは頷いた。




「でしたらご一緒ではないのですか?」




二度目だった。

今度は逃げ道がない。


周囲の貴族たちが顔を伏せる。

誰もが思っていたこと。

けれど誰も言わなかったこと。

それを真正面から聞いてしまった。




「その……」




王太子が言葉を探す。




「彼女も忙しいからな」




苦しい。

非常に苦しい。


セレスティアですらそう思った。

婚約者も王太子も来賓対応をする。

それは当然だ。


だが、それなら尚更、共にいるべきではないのだろうか。

少なくともアシュレイならそう教える気がする。




「そうなのですね」




セレスティアは頷く。


だが、納得した顔ではなかった。

そして、その表情を見た王太子が少し焦る。


何故だろう。


嫌われたくない。

そんな感情が見え隠れしていた。




「侯爵令嬢は優秀な方だと聞いております」




セレスティアが続ける。




「そうだな」


「素晴らしいことです」




微笑む。




「殿下の婚約者様ですもの」




その言葉に、王太子は何故か返答に詰まった。


そして、ようやくセレスティアは気付いた。

この人は、婚約者の話になると嬉しそうではない。

むしろ、困ったような顔をする。


どうしてだろう。

婚約者なのに。

未来の王妃なのに。

大切な存在なのではないのだろうか。


……国王にとっての母も、そうだったのだろうか?


ほんの一瞬、頭をよぎった考えを振り払い、微笑む。




「機会があればご挨拶したいです」




セレスティアは素直に言った。




「同い年ですし」




その言葉は本心だった。


同年代の令嬢。

それも王太子妃教育を受けている優秀な人物。


話を聞いてみたい。




「……そうか」




王太子は曖昧に答える。


その反応にセレスティアの中で再び何かが引っ掛かった。


本当に小さな違和感。

けれどそれは確かに存在していた。


その時だった。


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