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栄華を極めた筈の愛の王国の没落記  作者: ふーわ
第2章 公爵令嬢の誕生
22/24

輪郭を持つ感情


主役としてのダンスを終えた後。

いよいよ避けては通れない時間がやって来た。


王家への挨拶。

セレスティアは心の中で小さく息を吐く。


大丈夫。

半年間教わってきた。


礼儀も。

言葉遣いも。

立ち居振る舞いも。


完璧ではなくとも、恥をかくことはない、と自分へ言い聞かせる。


先導するのはセオドアとヴィオレッタ。

その一歩後ろにディモンとサイラス。

そしてセレスティア。


王家の席へ近付くにつれ、周囲の空気が少し変わる。


誰もが見ていた。

アルヴェイン家と王家。

エレノアの一件以来、十数年に渡り距離を置き続けた両者の再会を。


やがて、国王夫妻の前へ辿り着く。


国王は金髪に紫の瞳。

整った容姿をしている。


王妃もまた美しかった。

柔らかな栗色の髪。

穏やかな笑顔。


そして、母やヴィオレッタと同じ世代。

母が王都にいた頃、同じ時代を生きた人たち。




「陛下、王妃殿下」




セオドアが礼を取る。

ヴィオレッタも続く。


その後ろで、セレスティアも教わった通りに礼を取った。

ディモンとサイラスが左右に並ぶ。


完璧だった。

……心中がどうであれ、少なくとも形は。

アシュレイに何度も叩き込まれた通り。


顔を上げる。

そして、国王夫妻の表情を見た。




「……っ」




国王が息を呑む。

王妃も目を見開いていた。


分かりやすいほどの動揺。

その視線の先は、自分。




「エレノア……」




周囲には聞こえないほど小さな呟き。

けれどセレスティアには聞こえた。

きっと、父上たちも聞こえていただろう。


声の主は王妃だった。


その瞬間に感じた胸の奥がざらりとした感覚。




「驚いたな……」




国王も呟く。




「本当に、よく似ている」




似ている。


その言葉は、今まで何度も言われた。


父上にも。

母上にも。

兄上にも。

兄さまにも。


使用人たちにも。

アシュレイにも。


他の人たちにも。

もう数えきれないくらいには。


何度も。

何度も。

何度も。


けれど、それを一度だって不快に思ったことはなかった。


嬉しかった。

母を知る人たちが、母を懐かしそうに語ってくれるのが。


なのに、どうしてだろう。

この人たちに言われると、ひどく気持ちが悪かった。


まるで、勝手に思い出へ触れられているような。

資格もないのに語られているような。


そんな嫌悪感。




「初めまして」




セレスティアは感情を押し殺す。

アシュレイの教えを思い出す。


公爵令嬢として。

アルヴェイン家の娘として。

礼を欠かさず。




「セレスティア・フォン・アルヴェインと申します」




完璧な自己紹介。

ヴィオレッタが小さく頷いた。


すると、王妃がふっと笑う。

どこか泣きそうな顔で。




「まあ……セレスティア……セレス、と呼んでも?」




その瞬間、世界が止まった。


セレス。

その呼び方は、家族が呼ぶ名前。

何よりも、母がセレスティアを呼ぶ時の名前。


父上が。

母上が。

兄さまたちが呼ぶ名前。


それを。

この人は、初対面で。

当然のように、呼んだ。




「…………」




身体が凍る。

何も言えない。

心臓が嫌な音を立てる。


呼ばれたくない。

呼ばないで。


その名前は、あなたに呼ばれたくない。


けれど、言えない。

ここは社交の場だ。

感情を表に出してはいけない。

だから、ただ黙るしかない。

きっと、顔は引きつってしまっているだろうけれど。


その異変に最初に気付いたのはヴィオレッタだった。

王妃へ向けられる微笑みは崩さない。


だが、その声音は冷たかった。




「王妃殿下」




穏やかに。

あくまで穏やかに。

最低限の礼節をもって。




「愛称とは親しい者に許される呼び方ですわ」




場の空気が一瞬で張り詰める。


国王の表情が変わる。

王妃もはっとした顔になる。




「……あ」




今更気付いたらしい。




「ごめんなさいね」




王妃が慌てて言う。




「つい、エレノアに似ていたものだから……」




まただ。

また母の名前。

また母の話。

また母を理由にする。


胸の奥がささくれ立つ。


どうして。

……どうして今更そんな顔をするのだろう。


母が苦しんでいた時、彼女らはどこにいたのだろう。

母が泣いていた時、何をしていたのだろう。


母が王都を追われた時、なぜ助けなかったのだろう。


知らなかった?

気付かなかった?


だから何だというのだろう。

知らなければ許されるのか。

気付かなければ罪にならないのか。


違う。

違う。

違う。




「セレス」




ヴィオレッタの声が聞こえる。


優しい声で現実へ引き戻される。


セレスティアは気付く。

拳を握り締めていたことに。

爪が食い込むほど強く。




「……失礼いたしました」




微笑む。


公爵令嬢として。

アルヴェイン家の娘として。


誰にも悟られないように。


けれど、心の奥ではどうしようもなく。

……本当にどうしようもなく全てが嫌だった。


王妃の空っぽな謝罪も。

国王の懐かしそうな視線も。

母の名を口にされることも。


王家への挨拶を終えた後もお披露目会は続いていた。


楽団の演奏。

談笑する貴族たち。

美しく飾られた会場。

誰が見ても成功と言える催しだっただろう。


けれど、セレスティアの心は晴れなかった。

王妃に愛称で呼ばれた瞬間の不快感が、まだ胸の奥に残っている。




「大丈夫?」




隣へ来たサイラスが小声で尋ねた。




「……大丈夫です」


「嘘だね」


「兄さま」


「まあ無理もないけど」




サイラスはそれ以上追及しなかった。


ただ、自然な位置に立つ。

周囲からセレスティアを守るように。


その気遣いがありがたかった。

そして、会場を見渡して気付く。


視線。

多くの視線が自分へ向いている。


その中には。

好意的なものもあった。

興味を抱くものも。


だが、ある一定以上の身分の貴族たちは違った。


侯爵。

公爵。

老伯爵。

王城の重鎮たち。


彼らの目には、奇妙な感情が混じっていた。


哀れみ。

後悔。

そして、気まずさ。




「……」




セレスティアは静かに理解する。

きっと母のことを知っているのだ


エレノア・フォン・アルヴェインのことを。

社交界で何が起きたのかを。


全員ではない。

だが少なくとも今ここにいる高位貴族の多くは知っている。


知っていて何もしなかった。

その視線が物語っていた。


誰も口には出さない。


だが言葉よりも視線は雄弁だった。


申し訳ない。

あの時はどうしようもなかった。

君の母は被害者だった。


そんな声が聞こえてくる気さえした。


お披露目会も中盤へ差し掛かった頃。

セレスティアの周囲には自然と人だかりができていた。


有力貴族たち。

その子息や令嬢たち。


アルヴェイン家の新たな令嬢へ興味を抱く者は多い。

セレスティアは一人一人へ丁寧に対応していた。


完璧ではないが、少なくとも恥をかくことはない。

半年間の努力が確実に実を結んでいた。




「立派ですね」


「エレノア様によく似ておられる」


「流石はアルヴェイン家のお嬢様だ」




そんな言葉を掛けられる。


その中には母を知る人々もいた。

彼らの言葉は不思議と嫌ではなかった。

王家の時とは違う。


懐かしむ声。

後悔を含む声。

そして何より、母そのものを見てくれている気がして。


だからこそ、不意に訪れた沈黙がよく分かった。


周囲がざわめき、道が開く。

人々が一歩退く。


その先にいたのは、国王だった。




「セレスティア嬢」




穏やかな声。


誰もが注目する中、セレスティアは静かに礼を取った。




「陛下」




形式通り。

完璧に。


感情は乗せない。


それを知ってか知らずか、国王は微笑んだ。




「今日は素晴らしいお披露目会だ」


「ありがとうございます」


「君も立派だった」




褒め言葉。

だがセレスティアの心は動かない。


国王は少しだけ間を置いた。


そして手を差し出した。




「もし良ければ、一曲お相手願えないだろうか」




空気が変わる。

周囲が息を呑む。


国王からのダンスの誘い。

本来なら、それは大きな名誉だった。


普通の貴族令嬢なら断らない。

否、断れない。


むしろ誇るべきことだ。


だが、セレスティアは静かに国王を見つめた。


数秒。

沈黙が落ちる。


そして微笑む。

完璧な公爵令嬢の笑み。




「光栄なお申し出ですが本日は主催家の令嬢としての役目がございますので」




柔らかく。

しかし明確に。




「辞退させていただきます」




周囲が凍り付く。

完全な拒絶ではない。

礼も欠いていない。

理由も正当。


だが断った。

確かに断った。

国王の差し出した手を。




「……そうか」




国王も一瞬だけ驚いた顔をした。

だがすぐに笑う。




「残念だ」




社交辞令。


それ以上は何も言わない。

けれど周囲の貴族たちは違った。

明らかに動揺している。


王家からの誘いを断る。

それも本人の前で。


普通なら誰かが止める。

親が。

保護者が。

家庭教師が。

誰かが。


だが、その指摘をできる者は誰も何も言わなかった。


セオドアも。

ヴィオレッタも。

ディモンも。

サイラスも。

アシュレイですら。


ただ静かに見ている。

それが何よりも雄弁な答えだった。


国王もそれに気付いたらしい。

僅かに表情が曇る。


アルヴェイン家は変わっていない。


エレノアの一件以来。

一貫して王家と距離を取っている。


十年以上、決して近付かなかった。

王家から歩み寄ろうとしても、その態度はいっそ頑ななほどに変わらなかった。


そして今。

新たな娘が迎えられてもその方針は変わらない。

変えるつもりがない。


誰も口にはしない。

だがこれ以上なく明確な意思表示だった。




「失礼いたします」




セレスティアは再び礼を取る。


完璧な礼。

非の打ち所はない。


だからこそ距離だけが際立つ。


国王は何か言いたげだった。

だが結局何も言わない。




「……楽しんでくれ」


「ありがとうございます」




それで終わりだった。


国王は去っていく。

王の背中を見送りながらセレスティアは静かに息を吐いた。


その時、隣へサイラスが来る。




「やるねぇ」




楽しそうな声。




「駄目でした?」


「いや?」




サイラスは肩を竦めた。




「むしろ父上も母上も止める気なかったし」




見ると、ヴィオレッタはアシュレイと話をしていて。

セオドアも平然としていた。

ディモンに至っては無表情だ。


セレスティアは少し驚く。




「怒らないの?」


「何故?」




答えたのはディモンだった。




「礼は尽くした」


「でも国王陛下だよ?」


「だから何だ」




即答だった。

その一言に、アルヴェイン家の在り方が全て詰まっている気がした。


セレスティアはサイラスから受け取ったグラスへ視線を落とす。

今まで何度も考えた。


公爵家へ来てからの半年。

時間がある限り調べた。


母のことを。

追放された理由を。

当時の記録を。


噂を。

証言を。


考えたくはなかったけれど、もしかしたら母に非があったのかもしれないと思った。


母は優しかった。

だが、娘だから見えていない部分もあるかもしれない。


そう思って。

だから調べた。


冷静に。

客観的に。


母を信じたいからこそ事実を知りたかった。


そして分かったことがある。

何一つ調べられていなかったということを。


証拠。

証言。

確認。

裏付け。


何もない。


本来必要なはずの手続きも。

調査も。

弁明の機会すら。


ほとんど存在しなかった。


ただ。

誰かが言った。

エレノアが悪いと。


それを信じた。


それだけ。


それだけで。

母は断罪された。

王太子の婚約者だった公爵令嬢は、社交界から追放された。


家から切り離された。

未来を奪われた。

人生を壊された。




「……ふざけてる」




誰にも聞こえないほど小さく呟く。


それは裁きですらない。

ただの処分だ。

都合の悪い存在を消しただけ。


そして、セレスティアが最も許せないのは。


国王夫妻だった。


先ほどの顔。

懐かしそうな視線。

悲しそうな表情。

まるで被害者を悼むような態度。


違う。

違うだろう。


セレスティアは奥歯を噛み締める。


あの人たちは自覚がないのだ。

母を切り捨てたという自覚がない。


もし本当に母を大切な友人だと思っていたなら。

少しでも気にかけていたなら。

追放された後に探したはずだ。

調べたはずだ。

助けようとしたはずだ。


けれど自分は辺境の村で生まれ、育った。


王都から遠く離れた場所で。

つまり母が追放されてから、相応の年月が流れている。


その間。

誰も来なかった。

誰も探さなかった。

誰も助けなかった。


それが答えだ。


エレノア・フォン・アルヴェインは。

その程度だったのだ。

少なくとも王家にとっては。




「……」




胸の奥で何かが静かに形を成していく。


最初は違和感だった。

次は不快感。

そして怒り。


けれど今は違う。

もっとはっきりしている。


輪郭を持っている。


国王を見る。

王妃を見る。


二人は楽しそうに貴族たちと言葉を交わしている。

善良そうな人たちだ。


きっと実際善良なのだろう。

だから余計に質が悪い。


悪意がない。

だから自分が傷つけたことに気付かない。

誰かの人生を壊したことにすら気付いていない。


セレスティアは静かに目を伏せた。


軽蔑。

……そして、憎悪。


今まで曖昧だった感情が明確な輪郭を得る。


母を失った理由。

母が泣いた理由。

母が王都を去った理由。


その中心にいる者たち。


王家。

国王。

王妃。


その存在をセレスティアは生まれて初めて、心の底から軽蔑した。


そして、同時に決して表へ出してはならない感情だとも理解していた。


だから微笑む。

完璧な公爵令嬢として。

誰にも悟られぬように。

胸の奥で芽吹いた黒い感情を、そっと隠しながら。


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