歓迎されない来訪者
午後。
アシュレイの淑女教育が一段落した頃だった。
外が妙に騒がしいことに、セレスは気づいた。
屋敷の前庭。
馬の足音。
使用人たちの慌ただしい気配。
「……何かあったの?」
セレスが窓の外を見ようとした、その時。
コンコン、と扉が叩かれる。
セオドアの許可で入ってきた執事は、普段通り落ち着いていた。
けれど、その表情は少し硬い。
「旦那様」
「どうした」
セオドアが視線を向ける。
「王城より遣いが」
部屋の空気が、ぴたり、と静まる。
ヴィオレッタの笑みが消える。
ディモンの目が細められた。
サイラスだけが、小さく「あーあ」と呟く。
「……前触れは?」
ヴィオレッタの声は穏やかだった。
でも冷たい。
「ございません」
「そう」
それだけ。
けれどセレスにも分かった。
母が、怒っている時にそっくりな雰囲気。
「どうされますか」
執事が尋ねる。
セオドアは一瞬だけ考え。
「通す必要はない」
淡々と言った。
「門前で最低限で対応する」
「かしこまりました」
執事が頭を下げ、去っていく。
セレスはぱちぱち瞬きをした。
「……入れないの?」
「入れないわ」
ヴィオレッタがにっこり笑う。
怖い笑顔だった。
「礼儀を知らない相手を屋敷へ通す必要はないもの」
「嫌がらせだね」
サイラスが楽しそうに言う。
「この程度、嫌がらせにもならん」
ディモンが即答した。
その横で。
「よく見ておきなさい」
アシュレイが静かに言った。
セレスはそちらを見る。
「たとえ目上であったとしても、前触れもなく訪ねるのは大変失礼なことです」
厳しい声。
「まして相手は筆頭公爵家。正式な手順を踏まぬ時点で、“礼を軽んじている”と見なされても仕方ありません」
セレスは少し驚く。
身分が重要であることは、散々教えられた。
けれど、最高位の王家の人間なら、好きにできるわけじゃないらしい。
「普通なら最低でも数日前には使者を送る」
ディモンが補足する。
「相手側が予定を空ける必要があるからな」
「突然来るのは、“お前たちはこちらを優先し、歓迎して当然”って態度なんだよ」
サイラスが肩を竦めた。
「あの方々は、昔からそういうとこあるの」
ヴィオレッタの笑みが更に深くなる。
……あ、かなり怒ってる。
「見に行く?」
サイラスが小声で言う。
「え」
「面白いよ」
「絶対怒られるやつじゃない?」
「大丈夫大丈夫」
「お前の大丈夫は信用できん」
ディモンが冷静に切る。
しかし。
「……窓からなら構いません」
セオドアとヴィオレッタが部屋を出た後、アシュレイが言った。
「社交の実例を見るのも勉強です」
許可が出た。
「よし、行こう」
サイラスが早い。
セレスは慌てて後を追った。
応接室を出てすぐの二階の窓。
前庭が見下ろせる場所。
そこから、屋敷前の様子がよく見えた。
私室の窓からの景色とは随分違う。
アルヴェイン家の巨大な門。
その前に止まった王家の馬車。
白地に金の紋章。
「……すごい」
初めて見る王家の馬車だった。
「中には入れてもらえないんだ」
セレスがぽつりと言う。
「当然。むしろ門前対応してるだけ温情」
サイラスのその言葉に、ディモンは腕を組んだまま首を縦に振る。
辛辣だった。
視線の先。
セオドアとヴィオレッタが門前へ現れる。
二人とも完全に“公爵夫妻の顔”だった。
セレスの知っている二人の空気が違う。
柔らかな家庭の雰囲気は消えている。
凛として。
圧倒的だった。
「……かっこいい」
思わず漏れる。
サイラスが笑った。
「でしょ」
どこか誇らしげだ。
王家の遣いらしき男が何か言っている。
ここまでは聞こえない。
ただ、何故かヴィオレッタの笑顔だけははっきり見えた。
綺麗で。
優雅で。
そして、ものすごく怖い。
「うわぁ」
サイラスが引いた声を出す。
「母上、本気で怒ってる」
「何で分かるの」
「完璧な淑女ほど、笑顔で全てを語るんだって」
経験則らしい。
セレスは窓越しにその光景を見つめる。
冬の冷気の中。
王家の遣いは明らかに不満そうな顔をしている。
だが、セオドアもヴィオレッタも、一歩たりとも退かなかった。
「……すごい」
セレスは思わず呟く。
離れていても分かる。
空気の主導権が完全にアルヴェイン側にある。
「父上、ああ見えて交渉めちゃくちゃ強いからね」
サイラスが面白そうに言う。
「王城の文官泣かせらしい」
「容赦ないね~」
ディモンが淡々と補足した。
視線の先、王家の遣いが何かを差し出す。
書状らしい。
セオドアは受け取らない。
代わりに、後ろに控えていた執事へ目配せし、執事が前へ出て受け取る。
「……直接受け取らないんだ」
「当たり前」
サイラスが頷く。
「今のは“礼儀知らずの貴方がたへ従う気はない”って意思表示でもありあます。」
アシュレイがそう付け加える。
「たかだか王家の犬が、アルヴェイン家に礼を欠く態度が取れる度胸だけはすごいね。」
少し目を細めて、サイラスがそんなことを言った。
何も聞こえていないのに、まるで話している内容が分かるかのように。
ヴィオレッタが何かを言う。
遣いの顔色が変わった。
「うわ」
サイラスが笑う。
「何言ったんだろ」
「読唇できなかったのか」
「だって母上こっちに背向けてるから見えない」
聞き覚えのない言葉。
背が向いていると、ドクシンができない、らしい。
「ドクシンってなに?」
「唇の動きから、話してる内容をなんとなく読み取れるんだよ。」
軽くサイラスは言う。
けれど、アシュレイの反応を見て、そう簡単にできる技術ではないことをセレスは察した。
視界の端で、王家の遣いが一歩前へ出る。
何か食い下がっているようだった。
その瞬間。
セオドアの空気が変わった。
静かだった威圧感が、一気に鋭くなる。
窓越しなのに、セレスは息を呑んだ。
「……怖」
「父上怒ると怖いよ」
サイラスが頷く。
「滅多に怒らない分」
遣いが明らかに怯んでいる。
けれどセオドアは怒鳴らない。
ただ、低く何かを告げただけだった。
「……父上って声荒げないよね」
「……必要ないからな」
ディモンの返答は簡潔だった。
確かに、怒鳴るより静かな方が怖い人もいる。
そしてセオドアは完全にそっちだ。
しばらくして。
王家の遣いが頭を下げた。
来た時よりずっと小さく見える。
そのまま馬車へ戻っていった。
「終わったね」
サイラスが呟く。
馬車が出た瞬間に門が閉じられる。
その光景を見ながら、セレスはぽつりと言った。
「……アルヴェイン家って、王家にも強く出るんだ」
「当然です」
答えたのはアシュレイだった。
変わらず、ぴしっとした姿勢で後ろに立っている。
「筆頭公爵家とは、王家へ盲従する存在ではありません」
静かな声。
「国を支える柱の一つです」
セレスは振り返る。
「王家が誤れば、諫める義務もある」
その言葉にセレスは少しだけ胸が痛くなった。
母の時は誰も止められなかった。
そんな考えが浮かんだのかもしれない。
ヴィオレッタたちが屋敷へ戻ってくる姿が見えた。
アシュレイは静かに続ける。
「……ですが、人は常に正しい選択ができるわけではありません」
セレスは目を伏せる。
「後悔を抱えながら、それでも前へ進むしかないのです」
その声音は、どこか苦かった。
やがて。
部屋の扉が開く。
戻ってきたヴィオレッタは、先程までの冷たい空気を綺麗に消していた。
「やっぱり、外は寒いわね。」
穏やかな声。
でも。
「お疲れさま、母上」
サイラスが妙に優しい声音で言った。
「疲れたわ」
ヴィオレッタが微笑む。
本当に疲れた顔だった。
セオドアは静かに手袋を外し、外套を執事に渡しながら言う。
「しばらく面倒なことになりそうだな」
「……何かあったの?」
セレスが恐る恐る尋ねる。
ヴィオレッタは一瞬だけ迷い。
それから、優しく笑った。
「王妃様が、“ぜひセレスティアへお会いしたい”そうよ」
その瞬間。
セレスの心臓が、嫌な音を立てる。
「……私に?」
声が少し硬くなる。
ヴィオレッタは静かに頷いた。
「ええ。“ぜひ一度、エレノアの娘へ会いたい”って」
エレノアの娘。
その呼び方に、セレスの胸がざわつく。
王妃。
母を冤罪で追い詰めた側の人間。
なのにその娘であるセレスに“会いたい”?
「セレスは何も迷わなくていい。その誘いは断った」
セオドアが短く言った。
即答だった。
セレスは少しだけ目を丸くする。
「……いいの?」
「いいも何もない」
セオドアが淡々と言う。
「前触れもなしに使者を寄越した時点で全ての決定権はこちらにある。不敬だ、と何も聞かず追い返しても、何も問題はない。」
「うわ、“近いうちに王城へ招待したい”だって」
執事が受け取っていた書状をいつの間にか開いたサイラスが肩を竦めた。
「面倒くさい匂いしかしない」
完全同意だった。
セレスは小さく唇を噛む。
「……王妃様って、どんな人なの?」
その問いに、一瞬だけ空気が止まった。
誰もすぐには答えない。
やがて。
「悪い人ではないわ」
ヴィオレッタが静かに言った。
「むしろ、善良な方でしょうね」
セレスは少し驚く。
結果として冤罪で蹴落とすような人な以上もっと冷酷な人を想像していた。
「ただ」
ヴィオレッタの笑みが薄くなる。
静かな声だった。
「“善良であること”と、“正しいこと”は別なの。王妃様は、国王陛下を深く愛しておられるわ」
愛している。
国中で有名な『真実の愛』。
昨日読んだ本の言葉が頭をよぎる。
「だからこそ、見えなくなってしまったものもある」
セレスは目を伏せる。
それは、母のことだろうか。
「叔母上の件、たぶん本気で知らないんだと思うよ」
サイラスが珍しく真面目な声で言った。
「……知らない?」
「正確には、“知ろうとしなかった”かな」
その言葉が妙に刺さる。
「貴族が勝手に動いて、叔母上を追い詰めて、それを誰も止めなかった」
サイラスは窓の外を見る。
「でも王妃様本人は、“そんなことになってる”って気づいてなかった」
「気づけなかった、じゃなくて?」
セレスの問いにアシュレイが低く言う。
「いいえ。気づこうとしなかったのです」
厳しい声だった。
「時に人は、自分に都合の悪いものから目を逸らします。きっと王妃様はエレノア様にかけられた冤罪の全容すらご存じでない。」
セレスは静かに手を握る。
母は泣かなかった。
苦しくても。
辛くても。
最後まで、誰も恨まないようにしていた。
でも、その結果があの話で、今の状態なのだとすれば。
「……嫌い」
ぽつりと漏れ出た言葉に、部屋が静まる。
セレスは俯いたまま続けた。
「知らなかったから仕方ない、なんて思えない」
声が少し震えた。
「お母さまは、一人で苦しかったのに」
ヴィオレッタが静かに目を閉じる。
セオドアは何も言わない。
ただ、静かにセレスを見ていた。
「セレス」
ヴィオレッタが優しく呼ぶ。
「無理に許さなくていいのよ」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。
許せないと思ってしまう自分が、どこか悪い気がしていた。
でも、そう思ってもいいのだと、言ってくれた。
「ただ」
ヴィオレッタは続ける。
「憎しみに飲まれてはいけないわ」
セレスは顔を上げる。
「それは、きっとエレノアも望まないから」
母の顔が浮かぶ。
優しい人だった。
誰かを呪うより、誰かを助ける人だった。
だから余計に、どうしてあんな目に遭わなければならなかったのか、分からない。
「……会う必要、ある?」
小さな声で尋ねる。
王妃に。
王家に。
ヴィオレッタは少し考えた。
「今すぐはないわ」
「ですが、社交界へ出る以上、いずれ避けては通れません」
アシュレイがヴィオレッタの言葉に続ける。
そして、それがまごうことなき現実だった。
セレスティア・フォン・アルヴェイン。
その名前を持つ以上、王家と無関係ではいられない。
「まあ、今はまだ大丈夫だよ」
サイラスが軽い調子で言う。
「そのために俺たちいるし」
「兄さまたち」
「うん?」
「……ありがとう」
小さく言うと。
サイラスはふっと笑った。
「どういたしまして、妹君」
ディモンも静かに頷く。
その様子を見て、セレスはほんの少しだけ安心できた。




