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栄華を極めた筈の愛の王国の没落記  作者: ふーわ
第2章 公爵令嬢の誕生
17/24

貴族としての名前


「さて」




アシュレイが一度手帳を閉じた。




「次は名前について確認いたしましょう」


「名前?」




セレスは首を傾げる。


名前なら知っている。

セレスだ。


でも。




「正式には、です」




アシュレイの視線がヴィオレッタへ向く。

ヴィオレッタは静かに頷いた。




「ちょうどいい機会ね」




その表情を見て、セレスは少し背筋を伸ばす。

空気が変わった気がした。




「セレス」




ヴィオレッタが柔らかく呼ぶ。




「あなたの正式な名前は、昨日から“セレスティア・フォン・アルヴェイン”よ」




セレスは瞬きをした。




「……フォン?」




聞き慣れない響きだった。

ヴィオレッタは静かに説明する。




「“フォン”は、アルヴェイン家直系を示す言葉なの」




直系。




「つまり、アルヴェイン公爵家の血を直接引く者だけが名乗れる」




セレスは目を見開く。




「じゃあ……ヴィオレッタ様は?」




その瞬間。

サイラスが小さく笑った。




「そこ気づくんだ」




ヴィオレッタは苦笑しながら頷く。




「私は“ヴィオレッタ・トータ・アルヴェイン”」


「トータ?」


「アルヴェイン家へ嫁入り、あるいは婿入りした人間が名乗るものよ」




セレスは少し考える。


つまり。

生まれながらのアルヴェインではない人。




「わたくしは外から来た人間だから、“フォン”は名乗れないの」




ヴィオレッタは穏やかに笑った。

そこに卑屈さはない。

ただ事実として受け入れている感じだった。


「兄さまたちは?」


「もちろん“フォン”」




サイラスが答える。




「ディモン・フォン・アルヴェイン。サイラス・フォン・アルヴェイン」


「へぇ……」




なんだか急に、皆が遠い存在みたいに感じる。


“フォン”。

それは、この国で最上位の血筋を示す名前。


そんなものを、自分が名乗っていいのだろうか。

不安が顔に出ていたのか。




「セレス」




ヴィオレッタが優しく呼ぶ。




「これは、エレノアが望んだことでもあるの」


「……お母さまが?」




ヴィオレッタは頷いた。


そして。

どこからか、一通の手紙を取り出した。


少し古びた封筒。

でも、大切に保管されていたことが分かる。




「エレノアから随分前にもらった手紙」




セレスの呼吸が止まる。




「……読んでも、いい?」


「もちろん」




震える指で受け取り、開けば見覚えのある字が綴られていた。

丁寧で、柔らかな文字。

胸がぎゅっとなる。


セレスはゆっくり読み始めた。




『もし、この子に貴族名が必要となった時は、叶うならば“セレスティア”という名を与えてください』




セレスは目を瞬く。

初めて聞く名前だった。




『この子の現在の名はセレスです。もし、名前が変わったとしても、愛称として“セレス”と呼ばれることに違和感のない名前をと思い、昔から考えておりました』




そこまで読んで。


セレスは小さく息を呑む。

母は、考えていたのだ。

いつか、セレスが貴族社会へ戻る可能性を。




「……お母さま」




ぽつりと零れる。

ヴィオレッタが静かに続けた。




「エレノアは、あなたへ選択肢を残したかったのよ」




村で平民として生きる道。

そして、アルヴェインの娘として生きる道。




「だから、“セレス”という愛称を先に使っていたの」




セレスは手紙を見つめる。


母らしいと思った。

全部決めつけるのではなく。

自分で選べるようにしてくれていた。




「……ずるい」




思わず漏れる。




「こんなの、嬉しくなるに決まってる」




涙は出なかった。

でも胸の奥が熱い。

サイラスが静かに笑う。




「セレスティア、か。綺麗な名前だね」


「……慣れない」


「まあ長いしね」


「そこじゃなくて」




サイラスが肩を竦める。

ヴィオレッタは優しく目を細めた。




「でも、よく似合ってるわ」




その言葉に、セレスは少しだけ照れくさくなる。


アシュレイが静かに頷いた。




「良い名です」




短い言葉だった。

でも確かな肯定だった。




「“セレスティア・フォン・アルヴェイン”」




アシュレイが改めて名を呼ぶ。




「その名は、軽いものではありません」




セレスは静かに顔を上げる。




「はい」


「貴方一人ではなく、“アルヴェイン”そのものを背負う名です」




重い。

でも逃げたいとは思わなかった。


母が残してくれた名前。

アルヴェインの娘としての名前。


セレスこと、セレスティアは、そっと手紙を胸へ抱き締める。




「“セレスティア・フォン・アルヴェイン”」




アシュレイが改めて名を口にする。

静かな声なのに、不思議と重みがあった。




「正式な場では、基本的にこちらを名乗ることになります」




セレスティアは少しだけ緊張しながら頷く。




「長い……」


「慣れます」




即答だった。

厳しい。




「社交界では名前そのものが“家格”を表します。略しすぎるのは好まれません」


「でも愛称はセレス、って呼ぶの?」


「親しい相手はね」




ヴィオレッタが微笑む。




「愛称というのは、“距離の近さ”を示すものでもあるの」




距離。

セレスは少し考える。




「じゃあ、誰でも呼んでいいわけじゃない?」


「当然です」




また即答。




「許可なく愛称で呼ぶ者は、無礼者か、距離感を間違えているかのどちらかです」




貴族社会はやっぱり難しい。

サイラスが苦笑した。




「まあでも、学園とかだと勝手に距離詰めてくる奴いるよ」


「サイラス」


「はい先生」




アシュレイに睨まれ即座に黙る。




「特に貴族女性の愛称は、“親愛”や“庇護”を意味する場合があります」




アシュレイはセレスを見る。




「軽々しく許してはいけません」


「……はい」




何となく分かる。

名前って、思っていたより大事なんだ。




「例えば」




サイラスが面白そうに言う。




「今後どっかの貴族子息が、“セレスティア様ではなくセレス様とお呼びしても?”とか聞いてきたら」


「きたら?」


「距離詰めたいですって意味」


「……」


「ちなみに断ってもいい」


「断る前提?」


「変なの多いからね」




ディモンが無言で頷いていた。


経験談なんだろうか。

少し怖い。




「では逆に質問です」




アシュレイが言う。




「セレスティア嬢。貴方は誰を愛称で呼ぶべきでしょう」


「……家族?」


「ええ」


「あと、親しい人」


「正解です」




ほっとする。


すると。




「まあ、セレスの場合、家族でも最初は難しいかもしれないけどね」


「だ、だってまだ慣れないし……」




サイラスが笑った。


公爵夫妻。

母の兄夫婦。

優しい。

でも、“父上”“母上”なんて簡単に呼べるわけがない。


すると。




「無理に変えなくていいわ」




ヴィオレッタが穏やかに言った。




「呼び方は気持ちが伴うものだもの」




その言葉に、セレスは少し安心する。

そのセレスを見た上で、ヴィオレッタがふっと笑う。




「ただ、いつか自然に呼んでくれたら、嬉しいわね」


「……っ」




その笑顔がずるい。

胸がくすぐったくなる。


セオドアは無言だったが、珈琲を飲む手がほんの少し止まっていた。

聞いていたらしい。




「ちなみに」




サイラスが悪戯っぽく言う。




「正式な場でも愛称で呼び合う家族だと、周囲が面白いことになるよ」


「なんで?」


「だって、形や理由はどうであれ、セレスは養子としてアルヴェイン家に入った。

それなのに、フォンを名乗るし、俺や兄上、父上、母上との関係も良好と来た。」


「……家族、なんだから仲良くて普通じゃない?」


「貴族って実際の家族だとしても意外と距離あるから」




セレスは少し驚く。




「……アルヴェイン家、変わってる?」


「他所の家と比べれば、かなり」




サイラスが即答した。

ヴィオレッタが苦笑する。




「否定できないわね」


「父上も母上も、わりと家族優先だし」


「貴族としては珍しいだろう」




ディモンも頷く。


セレスは周囲を見る。


穏やかな空気。

自然な会話。

笑い声。


確かに、少し不思議なのかもしれない。

貴族のうちで最も高位な筆頭公爵家なのに。


こんなにも温かい。




「……好きかも」




ぽろりと漏れた。

全員が一瞬止まる。


セレス自身も固まった。




「えっ」




何今の。

勢いで出た。




「うんうん」




サイラスが満面の笑みで頷く。




「俺もこの家大好き」


「お前の話じゃない」




ディモンが即座に切る。

ヴィオレッタは嬉しそうに目を細めていた。

セオドアは咳払いを一つ。




「……悪くない家だとは思う」




それだけ言う。


でも、その声音は間違いなく柔らかかった。


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