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栄華を極めた筈の愛の王国の没落記  作者: ふーわ
第2章 公爵令嬢の誕生
14/24

『真実の愛の物語』


目が覚めて、ぼんやりと天井を見上げる。


暖炉の火は弱くなっていた。

窓の外はまだ暗い。


どれくらい眠っていたのだろう。




「……」




静かだった。

静かすぎて、逆に落ち着かない。


セレスはゆっくり身体を起こす。


慣れない寝台。

慣れない天井。

慣れない屋敷。


疲れているはずなのに、頭だけ妙に冴えていた。




「……寝れない」




ぽつりと呟く。


村にいた頃は、夜中に目が覚めても母がいた。


母が家事をしている音。

本をめくる音。


気配があった。


でも今は違う。

静寂だけだ。


セレスはしばらく膝を抱えていたが、やがてそっと寝台を降りた。


……少しだけ。

本当に少しだけ。

屋敷を見てみたい。

そんな出来心だった。




廊下は薄暗かった。

壁の燭台だけがぼんやり周囲を照らしている。


セレスは音を立てないよう歩く。


不思議な気分だった。

昼間は大きく感じた屋敷が、夜になるとまるで別の場所みたいに見える。


静かで。

広くて。

少し怖い。


でも同時に、わくわくもした。

探検みたいだ。




「……子どもっぽい」




小さく呟きながら歩く。


その時、ふと開きっぱなしの扉が目に入った。


中は暗い。

けれど、ずらりと並ぶ本棚が見えた。




「図書室……?」




セレスの目が少し輝く。

母の影響で、本は好きだった。


そっと中へ入る。




「……すごい」




思わず声が漏れる。

天井まで届く本棚。


ぎっしり並ぶ本。

革張りの装丁。

古い紙の匂い。


村では絶対見られない光景だった。

セレスは恐る恐る本棚へ近づく。


歴史書。

地理。

神話。

戦術論。


難しそうな本ばかりだ。




「読めるかな……」




背表紙を眺めながら歩く。


すると、一冊の本が目に入った。




「……?」




妙だった。


大きな本棚の一番下の段の端。

まるで“見えないように押し込められている”みたいに、雑に突っ込まれている。

しかも周囲の本だけ妙に綺麗に並んでいるせいで、逆に浮いていた。


セレスは首を傾げ、そっと引き抜く。




「……『真実の愛の物語』?」




知ってる。

村でも見たことがある題名だった。

平民向けに流行っていた本だ。


“真実の愛によって困難を乗り越え、国王と王妃が結ばれた感動の物語”。

そういう触れ込みだったはず。


けれど。




「……なんか違う」




装丁が豪華だった。


村にあった、量産されていたものとは別物。


分厚い。

しかも、ところどころ紙片が挟まっている。

誰かが読んでいた跡みたいだった。


セレスは近くの机へ座り、ぱらりとページを開いた。

最初は、村で読んだものと似ていた。


身分違いの恋。

愛し合う二人。

困難。

涙。


でも。




「……え?」




読み進めるうちに、違和感が強くなる。

平民向けの話では省かれていたであろう部分が、やけに詳しかった。


王太子妃候補。

派閥争い。

失脚した令嬢。


そして。

“嫉妬深く陰湿な公爵令嬢”。


セレスの指先が止まる。




「……これ」




まるで、母のことみたいだった。

でも描かれている人物像は、セレスの知る母とも、ヴィオレッタ達の話すエレノアとも、何もかも違う。


冷酷で。

狡猾で。

執念深い悪女。




「……嘘」




喉が乾く。

ページをめくる手が速くなる。


断罪。

追放。


そして最後は、“真実の愛に敗れた哀れな女”として締め括られていた。




「……なに、これ」




気持ち悪い。

吐きそうだった。


母を知らない人間が好き勝手に作り変えた物語。


なのに。

これを“感動話”として皆読んでいたのか。


セレスは唇を噛む。

怒りで手が震える。


その時。




「……それ、見つけちゃったんだ」




後ろから声がした。




「っ!?」




セレスが勢いよく振り返る。


暗闇の中。

揺れる灯り。

ランプを片手に立っていたのは、サイラスだった。


灰青色の瞳が、静かにこちらを見ている。

その顔に、たった一日で何度も見た軽い笑みはなかった。




「……サイラス様」




セレスは反射的に本を閉じた。


ばたん、と大きな音が響く。

静かな図書室にはやけに大きく聞こえた。


サイラスは怒るでもなく、呆れるでもなく、小さく息を吐いた。




「眠れなかった?」


「……うん」


「そっか」




揺れるランプの灯りが、彼の横顔を照らす。


昼間とは違う。

穏やかだけれど、どこか静かだった。


サイラスはゆっくり近づいてくる。

そしてセレスの手元の本を見た。




「それ、嫌いなんだよね」




ぽつりと言う。




「じゃあなんで置いてあるの?」


「父上が残してる」


「……どうして?」




セレスには理解できなかった。


こんなもの……母を悪女として描いた本なんて、それこそ燃やしてしまえばいいのに。

するとサイラスは、少しだけ困ったように笑った。




「忘れないため」


「……?」


「王家が、叔母上に何をしたのか」




静かな声。

セレスは息を呑む。

サイラスは椅子を引き、向かいへ座った。




「平民向けの話ってさ、“真実の愛”しか描かれないんだよ」




ランプの灯りが揺れる。




「恋に落ちた二人は素晴らしい。身分差を乗り越えた愛は美しい。悪役令嬢は嫉妬で暴走した」




淡々とした口調。

でもその瞳は冷えていた。




「その方が、分かりやすいから」




セレスは黙って聞く。




「でも実際は違う」




サイラスは本へ視線を落とす。




「恋をしたのは事実。けど、その裏で踏み潰された人間がいた」




ページをめくる。

そこに描かれている“悪女”。

セレスの知る母とは似ても似つかない。




「叔母上は、本当に優しい人だったらしいよ」


「……らしい?」


「俺、小さかったから。ちゃんと覚えてない」




少し寂しそうに笑う。




「でも母上も父上も、兄上も、皆同じこと言う」




優しくて。

賢くて。

誰より真面目だった、と。




「だから俺、この本嫌い」




サイラスの指先が、本の表紙を軽く叩く。




「踏み潰された叔母上なんていなくて、婚約者だった令嬢は極悪非道な悪役だった。だから、追放されても、晒しものにされてもしょうがない、って言いたいみたい。」




セレスは俯く。

自分も同じだった。


胸の奥がどろどろする。




「……皆、これを信じてるの?」


「信じたい人はね」




即答だった。




「“恋愛のために犠牲が出ました”なんて現実より、“悪女を愛が打ち破りました”の方が綺麗だから」




綺麗。

その言葉に、セレスはぞっとする。


誰かの人生を壊しておいて。

それを美談にするのか。




「最低」




また口から漏れる。

サイラスは少し笑った。




「うん。ほんとに」




静寂が落ちる。

雪の音は聞こえない。

でも、外が白いことだけは分かった。




「……ねぇ」




セレスは小さく尋ねる。




「お母さま、どうして何も言い返さなかったのかな」




サイラスは少しだけ目を伏せ、そして静かに言う。



「たぶん言い返しても、誰も信じないって分かってたからじゃない?」


「……っ」




胸が痛む。




「王太子殿下は、恋に夢中だった。王宮も、“真実の愛”を邪魔する悪女が欲しかった。平民は感動話を求めた」




灰青色の瞳が静かに細められる。




「叔母上を悪役に仕立て上げて、追い出すことは、全部にとって都合が良かったんだよ」




悪役として。

断罪される存在として。


その言葉は、あまりにも残酷だった。




「……許せない」




セレスの声は震えていた。


サイラスは何も言わない。

否定もしない。


ただ静かにランプの火を見つめていた。




「セレス」




しばらくして、彼は穏やかに口を開く。




「君は優しいから、叔母上に似てる」


「……似てない」




即座に否定する。




「私、お母さまみたいに優しくない」




だって今、胸の中には怒りしかない。

王家への憎しみばかりが渦巻いている。


すると。




「それでいいんじゃない?」




サイラスはさらりと言った。

セレスが目を瞬く。




「え?」


「優しいだけじゃ、壊れるから」




その言葉は妙に静かだった。

まるで実感がこもっているみたいに。




「叔母上は優しすぎた。だから誰も止められなかった」




サイラスは本を閉じる。




「でも君は違う」




その灰青色の瞳が、まっすぐセレスを見た。




「ちゃんと怒れる」




それは。

褒め言葉なのか、分からなかった。

でも不思議と、少しだけ救われた気がした。


図書室には変わらず静かな空気が流れていた。

ランプの灯りだけが揺れている。


セレスは膝の上へ視線を落としたまま、小さく息を吐いた。




「……私ね」




ぽつりと声が漏れる。




「王家の話聞くと、すごく嫌な気持ちになるの」




サイラスは急かさず待っていた。




「お母さまは、“憎まないで”って言ったのに」




なのに無理だった。


王妃の話。

王太子の話。

“真実の愛”。


その全部が、セレスの胸をざらざらさせる。




「私、お母さまみたいになれない」




サイラスはしばらく黙っていた。

それから、小さく笑う。




「ならなくていいよ」


「……え?」


「叔母上は叔母上。セレスはセレス」




あっさりした声だった。




「別の人間なんだから、同じになる必要ないでしょ」




セレスは目を瞬く。




「でも……」


「それに」




サイラスは頬杖をつく。




「俺、優しいだけの人ってちょっと危ういと思うんだよね」


「危うい?」


「うん。自分を後回しにしすぎるから」




その言葉に、セレスは母を思い出す。

最後まで、自分より周りを優先した人。


きっと、アルヴェイン家へ助けを求めるのだって、ずっと迷っていた。




「叔母上は強かったけど、自分に厳しすぎた」




サイラスの声は静かだった。




「だから君まで同じにならなくていい」




セレスは黙り込む。

そんなふうに考えたことはなかった。




「……サイラス様って、変」


「急に悪口?」


「なんか、もっと適当に生きてる人かと思ってた」


「ひどくない?」




サイラスが笑う。

でも怒ってはいなかった。




「まあ否定はしないけど」


「しないんだ……」


「でも、ちゃんと見てるよ。色々」




その瞬間、セレスは少しだけ理解する。

この人は、軽薄そうに見えて、実はものすごく周囲を見ている。


相手が困らないように。

傷つかないように。

空気を作っている。




「……考えすぎ?」


「母上にもよく言われる」




全然反省してない顔だった。


セレスは思わず小さく笑ってしまう。

するとサイラスが目を細めた。




「その顔の方がいい」


「?」


「昼間より、今の方が自然」




セレスは少しだけ気まずくなって視線を逸らす。


まだここへ来て一日なのに。

もう何度も“笑え”と言われている気がした。




「……ねぇ」




サイラスがふと思い出したように言う。




「その本、最後まで読まない方がいいよ」


「どうして?」


「もっと気分悪くなるから」




即答だった。

セレスは本を見る。


分厚い物語。

そこに書かれているのは、母ではない。


誰かが勝手に作り上げた“悪女”。




「……でも、知りたい」




サイラスは少し驚いた顔をした。




「皆がどうやってお母さまを見てたのか」




胸が痛む。


でも、知らなきゃいけない気がした。


サイラスはしばらくセレスを見ていたが、やがて小さく肩を竦めた。




「じゃあ止めない」




そして立ち上がる。




「ただ、一人で抱え込まないで」


「……え?」


「もし辛くなったら、読むのを辞めてもいいし、誰かに言ってもいい。」




灰青色の瞳が柔らかく細められる。




「家族なんだから」




その言葉に、セレスは少し息を止めた。


家族。

セレスにとって、エレノア以外を指す言葉としては、まだ慣れない響き。

でも嫌じゃなかった。




「……うん」




小さく頷く。

サイラスは満足そうに笑った。




「よし。じゃあ今日はもう寝ようか」


「サイラス様は?」


「夜更かし仲間を探しに来た」


「何それ」


「ちょっとは、成功したかな」


「成功、なの?」


「うん。っていうか、昼から気になってたんだけど、サイラス様って堅苦しくない?家族なのに。」


「だって、貴族には、」


「昨日からセレスだって貴族だよ。」


「じゃあ、……兄さま?」


「ん、それで。」




サイラスの分かりやすい反応に、セレスは呆れたように笑う。


図書室の外は静かだった。


深夜の屋敷。

冷たい雪の夜。

なのに不思議と、もう怖くはなかった。


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