第7話 聖女の加護が弱まったという噂
街の中心へ足を進めると、空気のざらつきがさらに濃くなった。
魔力の乱れが、まるで街の心臓部に集まっているようだった。
広場に近づくほど、耳に届く声は混乱と焦りに満ちていく。
「冷却器が……熱を出してるぞ!」
「浄水器から黒い水が出たんだ!飲めるわけないだろ!」
「聖女様の加護はどうしたんだよ!」
市場の広場は、いつもの賑わいとはまったく違う光景だった。
露店の魔法道具が次々と誤作動し、店主たちが慌てて布をかけたり、水をかけたりしている。
魔力の乱れは、街の奥へ進むほど強くなっている。
私は広場の中央へ向かった。
最初に目に入ったのは、魔法冷却器の店だった。
本来なら冷気を放つはずの装置が、赤い光を放ち、熱を吐き出している。
店主が必死に水をかけているが、熱は収まらない。
「頼む……落ち着いてくれ……!」
冷却器の表面は赤く染まり、触れれば火傷しそうなほどだった。
私は店主の横に立った。
「触れてもいいですか?」
「リリア様……!?は、はい!」
店主は慌てて後ろへ下がった。
私は冷却器の側面にそっと手を添えた。
瞬間。
赤い光が消えた。
熱が引き、冷却器は静かに冷気を放ち始めた。
「……止まった」
「本当に……?」
「触れただけで……?」
周囲の人々が驚きの声を上げる。
だが、驚きはすぐに別の方向へ向かった。
「聖女様の加護が弱まってるんじゃないか?」
「昨日の祈りの儀式、失敗したって聞いたぞ」
「王太子殿下は聖女様を庇ってるけど……この状況で?」
人々の声は、風に乗って広場全体へ広がっていく。
私は冷却器から手を離し、次の店へ向かった。
魔法浄水器の店では、客が悲鳴を上げていた。
「黒い水が出てきたんだ!どう見ても飲めるわけないだろ!」
「店主!どうなってるんだ!」
浄水器の口からは、濁った黒い液体がぽたぽたと落ちていた。
魔力の乱れが、浄化の魔法を逆流させているのだ。
「少し触れますね」
私は浄水器の縁に手を添えた。
黒い水が止まり、透明な水が流れ始めた。
「……戻った」
「リリア様……何をしたんだ?」
「リリア様もすごいけど、聖女様の加護はどこへ行ったんだ?」
人々の声は、次第に怒りと不信へ変わっていく。
「祈りの儀式、昨日は途中で光が消えたらしいぞ」
「それを隠してるって噂だ」
「王太子殿下は聖女様を信じてるけど……街の状況を見てないんじゃないか?」
私は広場をゆっくりと歩きながら、魔力の乱れを感じ取った。
空気は重く、風は方向を失い、魔法灯は弱々しく瞬いている。
街の中心に近づくほど、魔力の乱れは濃くなっている。
「……街全体に広がってるわね」
魔力の乱れは、もはや一部ではない。
街全体を覆い、魔法道具を狂わせ、人々の生活を脅かしている。
その原因を、街の人々は理解し始めていた。
「聖女様の加護が弱まってるんだよ」
「祈りが届いてないんじゃないか?」
「リリア様がいた頃は、こんなことなかったのに……」
その声は、広場の空気を震わせるように広がっていく。
私は空を見上げた。
晴れているはずなのに、どこか濁った色をしていた。
魔力の乱れが、空気そのものを歪ませている。
「……聖女の加護が弱まっているという噂。あながち間違いではないわね」
呟いた声は、ざらついた風に溶けていった。
街の混乱は、まだ始まったばかりだった。
広場の中心を離れ、少し路地へ入ると、空気のざらつきがさらに濃くなった。
まるで、見えない砂嵐が街の中を吹き荒れているようだった。
魔力の乱れは、風の流れだけでなく、人々の心までざわつかせている。
露店の並ぶ通りでは、別の種類の魔法道具が悲鳴を上げていた。
魔法計時器が勝手に針を高速で回し、魔法照明板が青や赤に色を変え続け、魔法音響石が不規則な音を鳴らしている。
店主たちは道具を押さえたり、布をかけたりしていたが、どれも効果はない。
「もうどうにもならない……!」
「こんなこと、今まで一度もなかったのに!」
「祈りの力が届いていないんじゃ……」
人々の声は、恐怖よりも戸惑いが強かった。
街の誰もが、今起きていることを理解できずにいる。
私は音響石の店の前で足を止めた。
石は本来、魔力を流すと柔らかな音を奏でるはずだが、今は耳障りな振動音を発している。
「少し見せてもらえますか?」
店主は驚いたように顔を上げた。
「リリア様……!どうか……!」
私は石に触れず、手をかざした。
魔力の乱れが強すぎると、触れた瞬間に暴走が広がることがある。
石の周囲の空気を感じ取り、乱れた魔力の流れをそっと断ち切る。
すると、石の振動がゆっくりと弱まり、やがて完全に静かになった。
「……音が止んだ」
「触れてもいないのに……?」
「どうしてそんなことが……」
店主は言葉を失い、ただ石を見つめていた。
その様子を見ていた周囲の人々が、ひそひそと声を交わし始める。
「聖女様の祈りより、リリア様の方が……」
「いや、そんなはずは……でも……」
「祈りの儀式、昨日は途中で光が消えたって聞いたぞ」
「王城は“問題ない”って言ってるけど、どう見ても問題だらけだろ……」
声の調子は、前半とは違っていた。
ただの不安ではなく、確信に近い疑念が混ざっている。
私は通りを進み、別の店の前で足を止めた。
魔法乾燥器が、店主の意図とは逆に湿気を吐き出している。
干していた布がしっとりと濡れ、店主が頭を抱えていた。
「どうして逆になるんだ……!これじゃ商品にならない!」
「少し見てもいいですか?」
店主は驚いたように振り返った。
「リリア様……!?どうか、お願いします!」
私は乾燥器の側面に手を添えた。
魔力の流れが乱れ、内部で渦を巻いているのが分かる。
その渦を静かに断ち切ると、湿気が止まり、乾燥器は本来の動きを取り戻した。
「……戻った……」
「本当に……?」
「聖女様の祈りより、よほど……」
人々の視線が私に集まる。
その目には、驚きだけでなく、何かを悟ったような色があった。
「やっぱり、祈りの力が弱まってるんじゃないか?」
「聖女様の加護が届いていないんだよ」
「王太子殿下は庇ってるけど……街の状況を見てないんじゃないか?」
声は広場全体へ広がり、やがてひとつの流れになった。
私は空を見上げた。
晴れているはずなのに、どこか薄い膜がかかったように濁っている。
魔力の乱れが、空気そのものを歪ませているのだ。
「……加護が揺らいでいるのは、どうやら事実みたいね」
言葉は空気のざらつきに紛れ、誰の耳にも届かず消えていく。
私は、広場に満ちる不穏な気配が、これからさらに深まることを直感した。
そして、聖女への信頼は、静かに崩れ始めていた。
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