第41話 光の紋章の正体
展望台に吹き込む風は冷たかった。
けれど、胸の奥の熱はそれを打ち消すほど強かった。
外の一団は整列したまま動かない。
中心の者だけが布を掲げ、その裏側の紋章を光らせている。
淡い光が、布の隙間から脈のように揺れていた。
まるで呼吸しているようだった。
「……あれが、紋章」
私が呟くと、公爵が横に立ち、外を見つめたまま言った。
「リリア殿。あの光、よく見てみろ」
私は展望台の手すりに手を置き、身を乗り出した。
距離はあるが、紋章の形ははっきり見える。
丸い輪のような形。
その中心に、細い線が交差している。
私が魔法を無効化するとき、手のひらに浮かぶ模様と、驚くほど似ていた。
「……これ、私の……」
「そうだ」
公爵は眉をひそめた。
「この紋章は、古代の記録にある“光の守護者”の印に似ている」
「光の……守護者?」
「古い文献にしか残っていない。魔法がまだ体系化される前、魔法の暴走を抑える役割を持つ者がいたとされている。その者たちが使っていた印が、あれだ」
私は息を呑んだ。
「……そんな存在が、本当に?」
「記録は断片的だ。だが、魔法を“消す”力を持つ者がいたことは確かだ」
胸の奥が強く熱くなった。
「魔法を……消す……」
「そうだ。あなたと同じだ」
公爵は静かに続けた。
「研究院は、あなたの力を“魔法の邪魔”と切り捨てた。だが、古代では“守護者”として扱われていた可能性がある」
私は言葉を失った。
王都魔法研究院、私の力を測定し、分類し、“魔法の発展を妨げる体質”と断じた場所。
──その研究院が、古代の記録を見落としていた?
「……研究院は、私の力を正しく理解していなかったんですか」
「理解していなかったどころか、見落としていた可能性が高い」
公爵の声は低く、鋭かった。
「魔法を消す力は、魔法体系の根源に触れる力だ。魔法を使う者よりも、魔法そのものに近い位置にいる」
「魔法そのものに……」
「そうだ。魔法を無効化できるということは、魔法の流れを“掴める”ということだ。魔法を使う者よりも、魔法の本質に近い」
私は手のひらを見つめた。
魔法を消すときに浮かぶ模様、それが古代の守護者の印と同じだなんて、考えたこともなかった。
「……じゃあ、私の力は……」
「ただの体質ではない。魔法の根源に干渉できる力だ」
公爵の言葉は、胸の奥に深く沈んだ。
魔法の根源。
そんなものに触れているなんて、考えたこともなかった。
「研究院は……どうして気づかなかったんでしょう」
「研究院は魔法を“使う側”の視点でしか物事を見ない。魔法を消す力を、魔法の発展を妨げるものとしか捉えなかった」
公爵は少しだけ目を細めた。
「だが、古代の記録を読み解けば分かる。魔法を消す力は、魔法を守る力でもある」
私は息を吸った。
「……守る?」
「魔法が暴走したとき、止められるのは魔法を使う者ではない。魔法を消せる者だ」
胸の奥が強く熱くなった。
「じゃあ……私の力は……」
「王国の魔法体系を支える“根”になり得る」
公爵の声は静かだったが、重みがあった。
そのとき、外の一団が、わずかに動いた。
「閣下!一団の中心が……!」
騎士が声を上げる。
「紋章の角度を変えました!こちらへ向けています!」
私は展望台の手すりを握りしめた。
紋章が、はっきりとこちらへ向けられていた。
まるで、“あなたこそ本物だ”、と言っているようだった。
「……公爵様」
「見ているな」
「私を……呼んでいるんでしょうか」
「呼んでいるのだろう。あの紋章は、あなたの力を象徴している」
私は紋章を見つめた。
淡い光が、規則的に明滅している。
まるで心臓の鼓動のように。
「研究院は……この紋章を知らなかったんですか」
「知っていた可能性はある。だが、重要性を理解していなかった」
公爵は静かに続けた。
「研究院は魔法を使う者を中心に研究してきた。魔法を消す者の記録は、古代の文献の片隅に追いやられていたのだろう」
私は唇を噛んだ。
「……そんな大事な記録を、見落とすなんて」
「研究院は、魔法を使う者こそ価値があると信じている。魔法を消す力を“不要”と判断した時点で、視野が狭かったのだ」
胸の奥が静かに熱くなった。
王都魔法研究院、私の力を測りながら、その本質を見抜けなかった者たちの巣窟。
その研究院が、古代の記録を見落とし、私の力を正しく理解できなかった。
それが、今になって致命的なミスになっている。
「……公爵様」
「なんだ」
「研究院は、私を捨てたことを……後悔しているんでしょうか」
公爵は少しだけ目を細めた。
「後悔しているだろうな。あの紋章を掲げている一団が研究院の者なら、なおさらだ」
私は紋章を見つめた。
淡い光が、規則的に明滅している。
まるで私の力と呼応しているように。
「……私の力を“邪魔”と言った研究院が、今になって私を呼んでいるなんて……」
「皮肉だな」
公爵の声は静かだったが、どこか冷たさを含んでいた。
「だが、事実だ。研究院はあなたを必要としている。魔法の根源が揺らぎ始めているのだろう」
私は胸の奥に手を当てた。
魔法の仕組みを支えているものに、自分の力が触れていたなんて、想像すらしていなかった。
けれど、紋章の光は確かに私へ向けられていた。
紋章の光が強まった瞬間、風がひときわ大きく吹き抜けた。
展望台の空気が揺れ、騎士たちがわずかに身構える。
「……今の、見たか」
公爵の声は低いが、どこか驚きを含んでいた。
「光が……跳ねましたね」
「跳ねたというより、応えたのだろう」
公爵は視線を紋章から離さない。
その横顔は、いつもの冷静さの奥に、読み取れない感情を隠していた。
紋章は、まるで心臓の鼓動のように明滅している。
私が展望台の端へ近づくほど、光は強くなる。
まるで、“もっと近くへ”、と誘われているようだった。
「リリア様!」
騎士の声が展望台に響く。
「一団の後列が……動きました!」
私は思わず身を乗り出した。
「どう動いたの?」
「中心の者を囲むように、円を作っています!整列したまま、乱れなく……まるで儀式のようです!」
公爵が短く息を吸った。
「円陣か……」
「円陣?」
「守りの形だ。中心の者を守りながら、次の動きを準備する時に使う」
公爵の声は淡々としていたが、展望台の空気はさらに張りつめた。
外の一団は、中心の者を囲むように円を描き、
その中心で紋章が光を放っている。
その光は、私の胸の奥に触れてくるようだった。
「……呼ばれている気がします」
自分でも驚くほど、自然に言葉がこぼれた。
公爵は横目で私を見た。
「そう感じるのは当然だ。あれは、あなたを見つけた者の動きだ」
胸の奥がざわつく。
怖さではない。
何かが近づいてくる気配だった。
「リリア殿」
「はい」
「紋章の光が強まったのは、あなたが展望台に出た直後だ。偶然ではない」
公爵の声は静かだが、確信を含んでいた。
「……私の力に反応しているんですか」
「そうだろうな。魔法を消す力は、魔法の流れを掴む力でもある。紋章がそれを感じ取っているのだろう」
それは、事実を告げる声だった。
そのとき、紋章の光が一度だけ強く瞬いた。
「っ……!」
胸の奥が熱くなる。
まるで、光が私の中に入り込んできたような感覚。
「リリア殿、下がれ!」
騎士が慌てて前に出る。
公爵も一歩踏み出し、私の肩に手を置いた。
「大丈夫です……」
私は首を振った。
怖くなかった。
むしろ、光が触れてきた瞬間、胸の奥が静かに落ち着いた。
紋章は、私を傷つける気配をまったく見せていない。
ただ、“見つけた”、と告げているようだった。
「リリア殿」
公爵の声が少しだけ低くなる。
「研究院の者たちが、あなたを探している理由が、少し見えてきたな」
「理由……」
「魔法が乱れ始めている。魔法を使う者では止められない。魔法を消せる者。つまり、あなたが必要なのだ」
胸の奥が強く締め付けられた。
私の力を正しく理解できなかった研究院が、今は紋章を掲げて膝をつき、私を呼んでいる。
なんという皮肉だろう。
「……公爵様」
「なんだ」
「研究院は……私を切り捨てたこと、どう思っているんでしょう」
公爵は短く息を吐いた。
「今ごろ必死だろう。魔法が崩れ始めているのに、頼れるのは“不要”と決めつけた君だけなのだから。自分たちの判断がどれほど浅かったか、嫌でも思い知っているはずだ」
胸の奥が熱くなる。
研究院が私を捨てた瞬間、王国の未来まで捨てていたのだ。
紋章の光が、再び強く瞬いた。
「……また光が」
「あなたに応えているのだろう」
公爵は紋章を見つめたまま言った。
「リリア殿。あれは、あなたを“迎える準備”をしている」
「迎える……?」
「そうだ。中心の者が布を広げたのは、あなたが紋章を確認したからだ。次の段階へ進む合図だ」
胸の奥がざわつく。
何かが近づいてくる気配があった。
「リリア殿」
公爵が私のほうへ向き直る。
「あなたがどう動くかは、あなたが決めるしかない。だが」
公爵は紋章を指差した。
「状況は、確実に動き始めている」
私は紋章を見つめた。
淡い光が、規則的に明滅している。
まるで私の心臓の鼓動と同じリズムで。
胸の奥で、何かが形を持ち始めていた。
恐怖ではない。
期待でもない。
ただ、“向き合わなければならない何か”が、確かにそこにあった。
遠くの隊列は、ひとつの意志を宿したように動きを止め、中央の光だけが風の中で脈打っていた。
その明滅は、私を照らし出すために存在しているかのようだった。
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