第36話 訪問者と揺れる夜の気配
応接室の扉が閉じられた瞬間、外のざわめきは完全に遮断された。
広場の喧騒が嘘のように消え、部屋には静けさだけが残る。
その静けさは落ち着きを与えるはずなのに、胸の奥に残る余韻と不安を逆に際立たせていた。
私はソファに座り、両手を膝の上に置いた。
指先が少し震えているのが自分でも分かる。
広場での出来事は、あまりにも大きすぎた。
魔法陣が消え、魔物核が崩れ、人々が驚き、そして公爵が私を連れ出した。
そのすべてが、まだ胸の奥で渦を巻いている。
「……落ち着かないな」
思わず小さく呟いた。
誰もいない応接室に声が吸い込まれていく。
公爵は重臣から報告を受けるため、席を外していた。
扉の向こうで誰かが話す声は聞こえない。
ただ、邸内の静けさが広がっているだけだった。
私は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
落ち着こうとしても、胸の奥のざわつきは消えない。
広場で聞いた“見慣れぬ一団”という言葉が、頭の中で何度も反響していた。
「街の外で、一団……」
呟くと、胸の奥が少しだけ強く揺れた。
その正体は分からない。
けれど、広場での出来事を見た者が王都へ知らせた可能性は十分にある。
「もし……王都が動いたんだとしたら」
言葉がそこで止まった。
王都での扱いを思い出すと、胸の奥が冷たくなる。
距離を置かれた日々。
触れれば壊れると言われた声。
役に立たないと言われた言葉。
それらが、静かな応接室の中で鮮明に蘇ってくる。
私は窓の外を見た。
庭園の木々が風に揺れ、夕陽が葉を照らしている。
その光景は穏やかで、心を落ち着かせてくれるはずなのに、胸の奥の不安は消えなかった。
そのとき、扉の向こうでかすかな足音がした。
その音が近づくにつれ、胸の奥が少しだけ強く揺れた。
扉が静かに開き、公爵が戻ってきた。
その表情は落ち着いているが、どこか慎重さを帯びていた。
広場で見せた厳しさとは違う、静かな緊張がその瞳に宿っている。
「リリア殿」
公爵が私の前に立ち、静かに言った。
私は姿勢を正し、彼の言葉を待った。
「お待たせした」
「いえ……大丈夫です」
公爵はゆっくりと椅子に座り、私と目を合わせた。
「街の外で確認された一団について、報告を受けた」
「……どんな人たちなんですか」
私の声は少し震えていた。
公爵はそれに気づいたように、言葉を選びながら続けた。
「まだ確証はない。だが……王都からの使者である可能性が高い」
「王都……」
胸の奥が強く揺れた。
予感していたことが、現実味を帯びていく。
「広場での出来事が伝わったのだろう。魔法陣が消えたこと、魔物核が崩れたこと……あれほどの現象が起きれば、誰かが報告しても不思議ではない」
「……そう、ですよね」
私は視線を落とした。
自分の力が特別だと言われても、まだ実感が湧かない。
けれど、公爵の言葉は否定ではなく、ただ事実を述べているだけだった。
「リリア殿。心配させるつもりはない」
公爵はそう言った。
その声は優しく、私を安心させようとしていた。
「でも……王都の人たちが来るかもしれないんですよね」
「可能性はある」
「私の力が……また、王都の目に触れるかもしれない」
「そうだ。だが、それを恐れる必要はない」
「……恐れますよ。王都では、私は……」
言葉がそこで止まった。
公爵は私の言葉を遮らず、ただ静かに聞いていた。
「リリア殿。あなたが王都でどう扱われてきたか……私は知っている。だからこそ、同じことを繰り返させるつもりはない」
「……公爵様」
「あなたは一人ではない。ここには私がいる。騎士団もいる。街の者たちも、あなたを恐れてはいなかった」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
けれど、不安は簡単には消えない。
「一団はまだ街の外に留まっている。すぐに邸内へ来るわけではない。状況を見極める時間はある」
「……はい」
私は小さく頷いた。
けれど、胸の奥の揺れは静かに続いていた。
「リリア殿。あなたを不安にさせたくはない。だが、状況は慎重に見なければならない」
「それは……分かります」
「街の外にいる一団の目的を探る。それが分からなければ、動きようがない」
「目的……」
「そうだ。王都からの使者であれば、何らかの意図があるはずだ」
公爵は私のほうへ向き直り、静かに言った。
「リリア殿。あなたを守るために、必要なことはすべて行う」
「……ありがとうございます」
その言葉は、胸の奥に静かに沈んでいった。
温かくて、優しくて、涙が出そうになるほどだった。
けれど、恐怖は完全には消えない。
王都の影が、静かに近づいている気がした。
「リリア殿。何か気になることはあるか」
「……気になること、というか……」
私は少しだけ言葉を探した。
「もし……王都の人たちが私を見たら、どう思うんでしょう。また……怖がられたり、距離を置かれたり……」
「その可能性はある。だが、それはあなたの責任ではない」
「でも……」
「リリア殿」
公爵は少しだけ声を強めた。
怒っているわけではない。
ただ、私の不安を断ち切ろうとしている声だった。
「あなたは誰かを傷つけたわけではない。今日の広場で、あなたを見ていた者たちは……恐れてはいなかった。驚き、そして感謝していた」
「……感謝」
「そうだ。あなたがいたから、魔法陣は暴走しなかった。あなたがいたから、街は守られた」
胸の奥が静かに震えた。
広場での人々の声が思い出される。
「リリア様、すごかった……」
「怖くなかったんですか?」
「光が全部、ふわって消えて……!」
あの声は、恐怖ではなく驚きと感動だった。
「……私、誰かの役に立てたんでしょうか」
「立てたとも。今日のあなたを見て、そう思わぬ者はいない」
公爵の声は揺るぎなかった。
応接室の空気は静かで、柔らかかった。
けれど、その静けさの奥に、わずかな緊張が漂っていた。
私は深く息を吸い、胸の奥の揺れを押しとどめた。
「公爵様……私は、どうしたらいいんでしょう」
「今は何も決めなくていい。状況が見えてからで構わない」
「……はい」
公爵は少しだけ目を細め、穏やかに言った。
「リリア殿。あなたはここにいていい。それだけは、確かだ」
その言葉は、胸の奥に深く沈んでいった。
王都では決して得られなかった安心が、静かに広がっていく。
けれど、街の外にいる一団の存在が、その安心を揺らす小さな影となって残っていた。
私は窓の外の庭園を見つめながら、静かに息を吐いた。
――街の外にいる一団は、何者なのだろう。
その問いが、応接室の静けさの中で静かに響いていた。
応接室の空気は静かだった。
公爵の言葉が胸の奥に残り、私はしばらく何も言えなかった。
窓の外では夕陽が沈みかけ、庭園の影がゆっくりと伸びていく。
「リリア殿」
公爵が静かに声をかけた。
私は顔を上げる。
「ここでの暮らしに、不便はないか」
「……不便は、ありません。むしろ……落ち着きます」
「そうか。それなら安心した」
公爵は少しだけ目を細めた。
その表情は、広場で見せた厳しさとは違い、どこか柔らかかった。
「ただ……」
私は言葉を探しながら続けた。
「街の外にいる一団のことが……気になってしまって」
「当然だ。状況が分からない以上、不安になるのは自然なことだ」
「……怖いんです。王都の人たちが来るかもしれないって思うと」
公爵は私の言葉を遮らず、静かに聞いていた。
「リリア殿。あなたが王都でどう扱われてきたか……私は知っている。だからこそ、同じことを繰り返させるつもりはない」
「……ありがとうございます」
「あなたは、ここにいていい。それだけは確かだ」
その言葉は胸の奥に深く沈んでいった。
けれど、街の外にいる一団の存在が、安心を揺らす影となって残っていた。
公爵は立ち上がり、窓の外へ視線を向けた。
庭園の木々が風に揺れ、影がゆっくりと揺れている。
「リリア殿。邸内の警備を強化する。あなたを守るためだ」
「……守る、ため」
「そうだ。街の外にいる一団の目的が分からない以上、備えておく必要がある」
公爵は扉のほうへ向かい、軽く手を振った。
すぐに騎士が現れ、静かに頭を下げる。
「邸内の警備を増やせ。特に外周だ。不審な動きがあれば、すぐに報告しろ」
「はっ。すぐに手配いたします」
騎士は足早に部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、私は胸の奥が少しだけ強く揺れるのを感じた。
「……そんなに、危ないんですか」
「危険と決まったわけではない。だが、慎重に動くべき状況だ」
「私のせいで……街に迷惑がかかるかもしれないって思うと……」
「リリア殿」
公爵は少しだけ声を強めた。
怒っているわけではない。
ただ、私の不安を断ち切ろうとしている声だった。
「あなたのせいではない。広場で起きたことは、あなたが望んだわけではない。むしろ、あなたがいたから街は守られた」
「……でも」
「リリア殿。あなたは誰かを傷つけたわけではない。それを忘れてはいけない」
私は視線を落とし、静かに息を吸った。
公爵の言葉は温かかったが、不安は簡単には消えない。
「リリア殿」
公爵が少しだけ声を落とした。
「今夜は……邸内で休むといい。部屋を用意させている」
「部屋……ですか」
「そうだ。応接室では落ち着かないだろう。あなたが安心できる場所を用意した」
胸の奥が静かに震えた。
誰かが私のために部屋を用意してくれるなんて、今までなかった。
「……ありがとうございます」
「案内を呼ぼう」
公爵が扉のほうへ向かい、軽く手を振った。
すぐに侍女が現れ、静かに頭を下げる。
「リリア様のお部屋をご案内いたします」
「……はい」
私は立ち上がり、公爵へ向き直った。
「公爵様。その……本当に、ありがとうございます」
「礼を言う必要はない。あなたを守るのは、当然のことだ」
その言葉は胸の奥に深く沈んだ。
温かくて、優しくて、涙が出そうになるほどだった。
「リリア殿」
公爵は少しだけ目を細め、穏やかに言った。
「何かあれば、すぐに知らせてほしい。私はここにいる」
「……はい」
私は静かに頷いた。
侍女が扉を開き、廊下へ案内する。
応接室を出ると、邸内の空気が少しだけ変わっているのが分かった。
騎士たちの姿が増え、廊下の角には見張りが立っている。
その姿は緊張を帯びているが、私を守るためのものだと分かった。
「リリア様。こちらです」
侍女は柔らかい声で言い、廊下を進んでいく。
私はその後ろを静かについていった。
廊下の窓から見える庭園は、すでに薄暗くなっていた。
夕陽が沈み、夜の気配がゆっくりと広がっていく。
「……夜になるんですね」
「はい。今日は長い一日でしたでしょう」
「……そうですね」
侍女は静かに微笑んだ。
その笑顔は、緊張を少しだけ和らげてくれた。
廊下の突き当たりにある扉が開き、部屋が姿を見せた。
柔らかな灯りが灯り、落ち着いた色合いの家具が並んでいる。
窓には薄いカーテンがかかり、風が静かに揺らしていた。
「こちらがリリア様のお部屋です」
「……こんなに、綺麗な部屋を」
「閣下がご用意されたものです。ご不便があれば、すぐにお申し付けください」
私は部屋の中へ足を踏み入れた。
柔らかな空気が広がり、胸の奥の緊張が少しだけほどけていく。
「……落ち着きます」
「それはよかったです」
侍女は静かに頭を下げ、部屋を出ていった。
扉が閉じられると、部屋には完全な静けさが広がった。
私はベッドの端に座り、深く息を吸った。
広場での出来事、応接室での会話、公爵の言葉、それらが胸の奥でゆっくりと揺れている。
「……守られているんだ」
小さく呟いた。
王都では決して得られなかった安心が、胸の奥に静かに広がっていく。
けれど、街の外にいる一団の存在が、その安心を揺らす小さな影となって残っていた。
「……外で何が起きているんだろう」
私は窓の外を見つめた。
庭園は薄暗く、風が木々を揺らしている。
その音が、静かな部屋に優しく響いていた。
胸の奥の揺れはまだ消えない。
けれど、公爵の言葉が心を支えてくれていた。
「私は……どうなるんだろう」
その問いが、静かな部屋の中で静かに響いていた。
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