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第31話 公爵到着

 知らせは、朝の光が街の屋根を照らし始めた頃に届いた。


「公爵閣下の一行が、国境へ向かっている」


 騎士団本部に駆け込んできた伝令の声は、まるで雷鳴のように街全体へ響き渡った。

その瞬間、国境の街はまるで別世界になった。


 普段は穏やかで、どこかのんびりとした空気が流れる石畳の通り。

朝の市場ではパンの香りが漂い、子どもたちが走り回る、そんな日常が一瞬で消えた。


 家々の窓から人々が顔を出し、遠くの街道を見つめる。

店主たちは慌てて店先を整え、街の中央広場では人々がざわざわと集まり始めた。


「本当に来るのか……?」


「公爵閣下が……この街に?」


「リリア様のために……?」


 その声は、期待と緊張が入り混じった震えを帯びていた。


 騎士団本部では、団員たちが慌ただしく走り回っていた。

鎧の金属音が廊下に響き、指示が次々と飛び交う。


「整列急げ!」


「公爵閣下の一行が街道に入った!」


「持ち場を確認しろ!遅れるな!」


 騎士団長は本部前に騎士たちを整列させ、その中央に私を立たせた。

胸の奥が強く脈打っている。

まるで心臓が体の中で跳ね回っているようだった。


 騎士団長が横に立ち、静かに言った。


「リリア殿。公爵閣下は、あなたに会うために来られる。胸を張って迎えるといい」


 私は小さく頷いた。

けれど、胸の奥の鼓動はさらに強くなるばかりだった。


 遠くの街道を見つめると、朝靄の向こうに黒い影が揺れているのが見えた。

それはゆっくりと、しかし確実にこちらへ近づいてくる。


 やがて、街道の向こうに、黒と銀の紋章を掲げた旗が揺れ始めた。


 その旗は、公爵家の象徴。

隣国の軍と政治の頂点に立つ者だけが掲げることを許された紋章。


 街の人々は息を呑んだ。


「……来た……公爵閣下だ……」


「本当に……リリア様のために……」


 その声は震えていた。

誰もがその瞬間を信じられずにいた。


 馬車の列はゆっくりと近づき、街の入口を通過する。

護衛騎士たちが整然と並び、馬車の車輪が石畳を静かに鳴らす。


 その音は、街全体の鼓動と重なっていた。


 私は胸の奥で強い鼓動を感じながら、その光景を見つめていた。

馬車の列は、まるで黒い波のように街へ流れ込んでくる。

その中心には、ひときわ大きな馬車があった。


 街の人々は道の端に寄り、息を止めてその馬車を見つめる。


「公爵閣下の馬車だ……」


「本当に……来られたんだ……」


 騎士団長が小さく息を吸い、私に囁いた。


「リリア殿。心の準備をしておけ。閣下は……すぐにあなたをご覧になる」


 私は喉が乾くのを感じながら、ゆっくりと頷いた。


 馬車が本部前で止まる。

護衛騎士たちが一斉に動き、周囲を固める。

その動きは無駄がなく、まるで訓練された軍の美しさそのものだった。


 街の人々は誰も声を出せなかった。

ただ、その存在感に圧倒されていた。


 馬車の扉が静かに開く。


 深い紺色の軍服を纏い、肩には公爵家の紋章を刻んだ金の飾り。

隣国の軍と政治の頂点に立つ人物が、ゆっくりと姿を現した。


 その瞬間、街の空気が完全に止まった。


 公爵は周囲の騎士や街の人々には目もくれず、まっすぐ私へ視線を向けた。


 その瞳には、驚きでも警戒でもなく、純粋な興味と、評価の光 が宿っていた。


 まるで、ずっと探していた答えを見つけたかのように。


 私はその視線を受け、胸の奥がさらに強く震える。

緊張、不安、期待、すべてが混じり合い、息が少しだけ苦しくなる。


 公爵はゆっくりと歩み寄り、騎士団長の前で立ち止まる。

そして、静かに言った。


「……あれが、リリア殿か」


 その声は、街の空気を震わせた。


 私は、公爵の視線を真正面から受け止める。

その瞬間、自分の未来が確実に動き始めたことを、胸の奥で理解した。


 公爵の視線は、まるで私の内側を覗き込むように深かった。

ただ見られているだけなのに、心臓が強く脈打ち、指先が少し震える。


 けれど、その瞳には敵意も警戒もなかった。

ただ、純粋な興味と、評価の光が宿っていた。


 公爵はゆっくりと私の前へ歩み寄る。

その一歩ごとに、周囲の空気がさらに張り詰めていく。

街の人々は誰も声を出さず、ただ見守っていた。


 騎士団長が緊張した面持ちで一歩前に出る。


「公爵閣下。こちらが……リリア殿でございます」


 公爵は団長の言葉を聞いても視線を逸らさず、私だけを見ていた。

その集中の仕方は、まるで私という存在を一瞬で見極めようとしているかのようだった。


 やがて、公爵は静かに口を開いた。


「初めまして、リリア殿」


 その声は、驚くほど柔らかかった。

威圧感はなく、ただ丁寧で、礼儀正しく、まるで、私を一人の人間として尊重しているかのようだった。


 私は思わず息を呑んだ。


「……は、初めまして……公爵閣下」


 声が震えた。

けれど、公爵は気にした様子もなく、静かに頷いた。


「緊張する必要はない。私はあなたを試しに来たのではない。あなたを“知りに”来たのだ」


 その言葉は、胸の奥に深く響いた。


 公爵は周囲の騎士たちを一瞥し、続けた。


「あなたの力について、すでに報告は受けている。だが……報告書では足りない。私は自分の目で確かめたい」


 その声は真剣で、揺るぎない意志を持っていた。


 私は胸の奥がさらに強く震えるのを感じた。

公爵の視線は鋭いが、そこには敵意はない。

ただ、純粋な興味と評価、そして、期待があった。


 公爵は少しだけ視線を街の人々へ向けた。

その瞬間、街の人々は一斉に頭を下げた。


 公爵は静かに言った。


「この街は……あなたを誇りに思っているようだな」


 私は驚いて、公爵を見つめた。

公爵はわずかに微笑んだ。


「それは、あなたがこの街を守ってきた証だ。私は……その力を見たい」


 その言葉は、まるで私の背中をそっと押してくれるようだった。


 公爵は続けた。


「リリア殿。あなたの力は、国境防衛の構造を変える可能性がある。私はそれを……この目で確かめたい」


 胸の奥が熱くなる。

昨日まで、私はただの追放された少女だった。

けれど今、隣国の頂点に立つ人物が、私の力を“見たい”と言っている。


 公爵は静かに息を吸い、言った。


「あなたの力を……見せてもらえるか?」


 その声は、街の空気を震わせた。


 私は深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。


「……はい。私でよければ……」


 公爵は満足そうに頷いた。


「ありがとう、リリア殿」


 その瞬間、胸の奥で、何かが確かに動き始めた。


 私の未来は、もう昨日の延長ではない。

新しい道が、今まさに目の前に開かれようとしていた。


 公爵は護衛騎士たちに指示を出し、周囲の空気がさらに引き締まる。


「魔法陣の準備を。簡易で構わない。この場で確認する」


 護衛騎士たちが素早く動き、広場の中央に魔法陣が描かれていく。

その様子を見ながら、公爵は私へ視線を向けた。


「リリア殿。あなたは……恐れてはいないようだな」


 私は少し驚いて、公爵を見つめた。


「……恐れていないわけではありません。でも……逃げる理由もありません」


 公爵は静かに目を細めた。

その表情は、まるで私の言葉を深く噛みしめているようだった。


「……なるほど。あなたは、強い」


 その一言は、胸の奥に深く刻まれた。


 魔法陣が完成し、護衛騎士が公爵へ報告する。


「閣下、準備完了しました」


 公爵は頷き、私へ手を差し向けた。


「リリア殿。あなたの力を……見せてほしい」


 私はゆっくりと歩き出した。

街の人々は息を呑み、騎士団長は緊張した面持ちで見守っている。


 魔法陣の前に立ち、私は深く息を吸った。


 公爵の視線が、私の背中を押してくれるように感じた。


 私はそっと手を伸ばし、魔法陣に触れた。


 瞬間、魔法陣は光を失い、跡形もなく消えた。


 街の人々が息を呑む。

騎士団長が目を見開く。

護衛騎士たちがざわめく。


 公爵は、一瞬だけ目を見開き、すぐに深く頷いた。


「……本物だ」


 その声は、確信と評価に満ちていた。


 私は胸の奥が熱くなるのを感じた。

公爵の瞳には、もう迷いはなかった。


 その瞬間、私の未来は、確かに動き始めた。

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