第32話 公爵の深い観察
魔法陣が消えた瞬間、広場の空気が、まるで別の世界になった。
光を失った魔法陣の跡地を見つめながら、重臣たちはざわめき、護衛騎士たちは互いに顔を見合わせていた。
街の人々は息を呑み、誰もがその場から動けずにいた。
「……消えた……」
「触れただけで……本当に……」
「リリア様……すごい……」
その声は震えていた。
驚きと興奮が混じり合い、街全体が大きな波に揺られているようだった。
けれど、公爵だけは、誰よりも静かだった。
魔法陣が消えた瞬間から、公爵は一度も視線を逸らさず、ただ私を見つめていた。
その瞳は鋭く、深く、まるで私の内側を覗き込むようだった。
「……なるほど」
公爵が静かに口を開いた。
その声は低く、深く、確信に満ちていた。
「報告書では到底伝わらぬ力だ」
その言葉は、広場の空気を震わせた。
重臣たちは息を呑み、騎士団長は目を見開く。
公爵はゆっくりと歩み寄り、私のすぐ近くまで来た。
その距離は近すぎず、遠すぎず、私を尊重する距離だった。
公爵の視線は、私の指先、呼吸、立ち姿まで細かく観察していた。
まるで、魔法陣を消した瞬間の私の動きまで記憶しているかのようだった。
「リリア殿」
公爵が静かに呼ぶ。
その声は、私の胸の奥に直接届くようだった。
「あなたは……今、恐れてはいないのか?」
私は少し驚いた。
公爵は力そのものではなく、私の“心”を見ていた。
私はゆっくりと息を吸い、正直に答えた。
「……怖い時もあります。でも、誰かを傷つけたことはありません。だから……使うことを、拒む理由はありません」
公爵はその言葉を聞き、わずかに目を細めた。
その表情は、まるで私の言葉を深く噛みしめているようだった。
「……なるほど」
公爵は静かに頷いた。
「力を持つ者が最も危険なのは、力そのものではない。それをどう扱うかだ。あなたは……扱い方を知っている」
その言葉は、胸の奥に深く刻まれた。
王国では一度も言われなかった言葉。
誰も、私自身を見ようとしなかった。
公爵は続けた。
「魔法陣を消した瞬間……あなたは驚かなかった。怯えも、興奮も、誇りも見せなかった。ただ、静かに受け止めていた」
私は息を呑んだ。
公爵は、私の“心の動き”まで見ていた。
「それは……偶然ではない。あなたは、自分の力を理解している」
街の人々はその言葉を聞き、そっと囁き合った。
「公爵閣下が……リリア様を認めている……」
「こんな扱い、王国ではされなかっただろうな……」
公爵は重臣たちを一瞥し、静かに言った。
「この力は……国境防衛の要となる。詳細な検証が必要だ」
重臣たちは慌てて頷き、護衛騎士たちは緊張した面持ちで周囲を固める。
公爵は再び私へ向き直った。
「リリア殿。あなたは……自分の力を恐れていない。それは、非常に重要なことだ」
私は少しだけ視線を落とした。
胸の奥が熱くなる。
「……怖さはあります。でも……それより、向き合う理由のほうが強いんです」
私がそう言うと、公爵はほんのわずかに眉を上げた。
驚きではない。
“理解した”ときに見せる、静かな変化だった。
そして、微笑みではなく、深い納得の息をひとつ落とした。
「……逃げずに立つ者は、力の有無では測れぬ強さを持つ」
その声は、褒めるでも慰めるでもない。
ただ事実を述べるような、重みのある言葉だった。
公爵の瞳は、私の揺れる指先や呼吸の速さまで見ていたはずなのに、それでも、私が“立っている”ことを評価していた。
「リリア殿。あなたは……折れない心を持っている」
その言葉は、胸の奥に静かに沈んでいった。
誰にも言われたことのない種類の“強さ”だった。
公爵はゆっくりと周囲を見渡し、街の人々へ視線を向けた。
その瞬間、街の人々は一斉に頭を下げた。
「この街は……あなたを誇りに思っているようだな」
私は驚いて、公爵を見つめた。
公爵はわずかに微笑んだ。
「それは、あなたがこの街を守ってきた証だ」
胸の奥が熱くなる。
昨日まで、私はただの追放された少女だった。
けれど今、隣国の頂点に立つ人物が、私の力を“認めている”。
公爵は静かに息を吸い、言った。
「リリア殿。あなたの力を……正式に評価したい」
その言葉は、広場の空気を震わせた。
私は深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
公爵は満足そうに頷いた。
「ありがとう、リリア殿」
その瞬間、胸の奥で、何かが確かに動き始めた。
私の未来は、もう昨日の延長ではない。
新しい道が、今まさに目の前に開かれようとしていた。
公爵は重臣たちを手で制し、広場の中央に残ったのは私と公爵だけになった。
その距離は近すぎず、遠すぎず、私を威圧しない、しかし逃がさない距離だった。
公爵は魔法陣が消えた地面を一度見つめ、そして再び私へ視線を戻した。
その瞳は、ただの興味ではなく、もっと深い何かを探っているようだった。
「リリア殿。あなたの力は……“魔法を消す”だけではないな?」
胸の奥が少しだけ強く震えた。
公爵は、ただの現象としてではなく、私の力の“本質”を見ようとしている。
「……はい。魔物核にも……同じように作用します」
公爵の瞳がわずかに揺れた。
重臣たちが息を呑む気配が背後から伝わる。
「魔物核を破壊できる者は、歴史上ほとんど存在しない。それを“触れただけ”で行えるというのは……」
公爵は言葉を切り、私の指先を見つめた。
「……世界の戦力図を変える力だ」
その言葉は、広場の空気を震わせた。
街の人々はざわめき、騎士団長は息を呑む。
私は胸の奥が熱くなるのを感じながら、公爵の言葉を静かに受け止めた。
公爵はさらに踏み込む。
「あなたは……魔物と戦った経験があるのだな?」
私は少しだけ視線を落とした。
「……はい。この街に来てから、何度も……魔物核に触れれば、魔物は消えるので……それで、皆を守ってきました」
公爵は深く頷いた。
「恐れながらも前に出る者は、力の有無では測れぬ価値を持つ。あなたは……その価値を持っている」
街の人々はその言葉に胸を熱くし、「公爵閣下が……リリア様を……」と静かに囁き合う。
公爵は少しだけ表情を曇らせた。
「……王国は、この力を理解しなかったのか」
その声は低く、怒りを押し殺したような響きを持っていた。
私は小さく息を吸い、正直に答えた。
「……“魔法を消す体質”は邪魔だと言われて……魔法学園でも、王宮でも……触れるだけで魔法が壊れるからと、避けられて……最後は、役立たずだと決めつけられて……それで、追放されました」
公爵の瞳が鋭く揺れた。
重臣たちが息を呑む。
公爵は静かに言った。
「愚かだ。力を見ようともしない者が、国を導くなど……危うい」
その声は静かだったが、底に深い怒りがあった。
私は胸の奥が強く震えるのを感じた。
自分のために怒ってくれる人がいる、その事実が、胸の奥を温かく満たしていく。
公爵は重臣たちへ指示を出す。
「この力は国境防衛の要となる。詳細な検証を行う。準備を進めろ」
そして私へ向き直り、静かに告げた。
「リリア殿。あなたの実力、しかとこの目で確かめさせていただきたい。これは、あなたの未来を決めるための“第一歩”だ」
胸の奥が熱くなる。
昨日まで、私はただの追放された少女だった。
けれど今、隣国の頂点に立つ人物が、私の力を“未来”と呼んでいる。
私は深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。
「……お願いします」
公爵は満足そうに頷いた。
「よろしい。では、次の段階へ進もう」
その言葉とともに、広場の空気が再び動き出した。
重臣たちが走り、護衛騎士たちが配置につき、街の人々は息を呑んで見守る。
公爵は私の横に並び、静かに言った。
「リリア殿。あなたの力は、まだ“始まり”に過ぎない。私は……その全てを知りたい」
その声は、未来への扉を開く合図のようだった。
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