第29話 公爵家が動き始める
朝の光が国境の街を照らし始めた頃、私はまだ知らなかった。
遠く離れた隣国の中心地で、私の名前が国家の頂点へ届いていることを。
その知らせは、静かに、しかし確実に広がり始めていた。
隣国の公爵家。
軍と政治の両方を握る最重要人物が住まう場所。
その屋敷は、城と呼んでも差し支えないほどの威容を誇り、朝の光を受けて白い壁が淡く輝いていた。
屋敷の奥にある執務室では、重厚な机の上に一通の封筒が置かれていた。
封蝋には軍の紋章。
国境からの追加報告であることを示していた。
公爵はゆっくりと椅子に腰掛け、封筒を手に取った。
深い紺色の軍服に身を包み、鋭い眼差しで封を切る。
その動作一つ一つが、隣国の軍と政治を同時に背負う者の威厳を示していた。
「国境の追加報告か」
「昨日の調査隊の結果だな」
公爵は報告書を広げ、静かに読み始めた。
重臣たちは少し離れた位置で控え、息を潜めてその様子を見守っていた。
報告書には、私の力について詳細に記されていた。
魔力無効化能力。
魔物核破壊能力。
魔力乱れ感知能力。
既存の魔術体系では説明できない力として、研究官たちが震えながら記録した内容が並んでいる。
公爵の指先が、一行をなぞった。
「魔法陣を触れただけで消滅」
「魔物核を破壊」
「魔力の乱れを事前に察知」
公爵は眉をわずかに動かした。
そのわずかな変化だけで、重臣たちの背筋が自然と伸びる。
「……王国が捨てた人材、か」
静かな声だった。
けれど、その一言だけで執務室の空気が震えた。
「愚かだな」
「この少女は、国境の未来を変えるかもしれない」
重臣たちは息を呑んだ。
公爵が“未来を変える”と言ったのだ。
それは、国家の方針が変わる可能性を意味していた。
「閣下。本当に……この少女が、そこまでの力を?」
「報告書を読めば分かる」
「魔術体系に存在しない力だ」
「魔法陣を触れただけで消す者など、歴史上いない」
公爵は報告書を机に置き、指先で軽く叩いた。
その音が、重臣たちの胸に響く。
「準備をしろ」
「私が直接会いに行く」
その言葉は、執務室の空気を一瞬で変えた。
重臣たちは驚き、そしてすぐに動き始めた。
「閣下が……直々に?」
「国境へ向かわれるのですか?」
「この少女は、それほどの価値が……」
「価値があるかどうかではない」
「この力は、国境防衛の構造を変える可能性がある」
「私が見極める」
公爵の声は静かだった。
けれど、その静けさは誰も逆らえないほどの強さを持っていた。
重臣たちはすぐに準備を始めた。
馬車の手配。
護衛の選定。
公爵が国境へ向かうための道の整備。
すべてが迅速に進められていく。
公爵が動くという事実は、隣国内部に瞬く間に広がった。
軍内部では緊張が走り、参謀たちは追加資料の整理を急いだ。
街の人々も噂をし始めた。
「公爵閣下が動くらしい」
「国境へ向かうって……何があったんだ?」
「リリア様の力が、本当にすごいらしい」
そして、その知らせは国境の街へもすぐに届いた。
国境の空気が静かに揺れ始めた。
まるで、何か大きな波が押し寄せてくる前触れのように。
私はその波の気配を、まだ知らなかった。
けれど、胸の奥が静かにざわめいていた。
何かが動き始めている。
何かが昨日までとは違う。
昼下がりの騎士団本部は、いつもより静かだった。
けれど、その静けさは落ち着いたものではなく、何か大きな波が押し寄せる前のような張り詰めた空気だった。
私はその空気の違いを肌で感じていた。
騎士団長が私を呼び出したのは、その空気が最も濃くなった頃だった。
団長室の扉を開くと、騎士団長は机の前で深刻な表情をしていた。
その表情を見た瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。
「リリア殿。少し話がある」
「……はい」
騎士団長は机の上に置かれた一通の書状を手に取った。
封蝋には、公爵家の紋章。
それを見た瞬間、胸の奥が強く震えた。
「公爵家から正式な連絡が届いた」
その言葉だけで、呼吸が浅くなる。
公爵。
隣国の最高位の人物。
軍と政治の両方を握る者。
「……公爵、閣下が……?」
「そうだ。公爵閣下が、あなたに会うために国境へ向かう」
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
胸の奥が熱くなり、同時に強い緊張が走る。
「わ、私に……?どうして……」
「どうしてかは、報告書を読めば分かるだろう。あなたの力は、国境防衛の未来を変える可能性がある。公爵閣下は、それを自ら見極めるつもりだ」
騎士団長の声は静かだった。
けれど、その静けさはいつもより重く、強かった。
「公爵閣下が動くということは、隣国の方針が変わる可能性がある。あなたの力は、もう国境の街だけのものではない」
私は言葉を失った。
胸の奥が熱くなり、同時に不安が押し寄せる。
「……そんな……私なんて……ただ触れただけで……」
「触れただけで魔法陣を消せる者など他にいない。あなたの力は、国境防衛の未来を変える可能性がある。公爵閣下が動くのは当然だ」
騎士団長の声は、いつもより優しく、そして強かった。
「リリア殿。あなたの存在は、もう国境の街だけのものではない。隣国全体が、あなたの力を知ろうとしている」
胸の奥が熱くなる。
昨日まで、私はただの追放された少女だった。
けれど今、隣国の最高位の人物が私に興味を示している。
騎士団長は続けた。
「街でも噂になっている。公爵閣下が国境へ向かう理由が“あなたのため”だと」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がさらに強く震えた。
外へ出ると、街の空気が明らかに変わっていた。
人々が集まり、ひそひそと話し合っている。
「公爵閣下が来るって……リリア様のためだって?」
「王国が追放した子を、公爵が迎え入れるのか……?」
「本当に……すごい力なんだな……」
「国境の希望って……リリア様のことなんだろう?」
その声は、胸の奥に静かに響いた。
恐怖ではなく、期待と尊敬が混じった声。
昨日までの私では考えられないほどの温かい声。
私は胸に手を当てた。
心臓が、昨日よりもずっと強く脈打っている。
――公爵が来る。
――隣国の最高位の人物が、私を見に来る。
その事実が、私の未来を確実に動かし始めていた。
騎士団長は最後に、静かに言った。
「リリア殿。あなたの力は、もう誰も否定できない。公爵閣下が動くということは、あなたの未来が大きく変わるということだ」
胸の奥で、静かに灯が揺れた。
その灯は、昨日よりもずっと強く、確かな形を持ち始めていた。
公爵が国境へ向かうという知らせは、私の未来が大きく動き始める“前兆”となった。
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