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第1話 王城を出た直後の静寂 【一章開幕】

このお話は、ここから一章が開幕します。

 背後で、王城の大門が重々しい音を立てて閉ざされた。

まるで、私の人生のひとつの幕が、強制的に下ろされたかのような拒絶の響き。

私は一度も振り返ることなく、ただ前だけを見て歩き出す。


 頬を打つ外気は、じっとりと張り詰めていた大広間のそれとは違い、驚くほど冷え切っていた。

しかし、その風は自然で、ただ静かに私の肌を撫でていく。

胸の奥に広がる静けさは、怒りでも悲しみでもなく、深い空白だった。


「……本当に、終わったんだわね」


 自分でも驚くほど落ち着いた声だった。

王太子アレクシスの冷たい宣告も、聖女エレナの勝ち誇った笑みも、今は遠い出来事のように思えた。


 石畳の道に並ぶ魔法灯がふっと明るくなったり弱まったりしている。

その揺らぎは、私の目にははっきりと見えた。

魔力の流れが乱れているのだとすぐに分かった。


「……やっぱり、乱れてる」


 王城の中でも何度も感じていた不安定さが、今は街全体に広がっている。

私が王城を離れたことで、それが表面化したのだろう。

魔法を無効化するだけではなく、魔法の暴走を抑え均衡を保つ役割を果たしていたのは、他でもない私だった。


「魔法の時代に、魔法を消す君は不要だ」


 王太子アレクシスの傲慢な声が、脳裏で虚しく反響する。

かつてはその言葉に傷つき、存在を否定されたように絶望したこともあった。

けれど、不思議と今はもう、何の痛みも感じない。


 胸の奥から湧き上がるのは、ただ冷ややかな感情だけだった。


――本当に、愚かな人


 吐き捨てた蔑みは、誰に聞かれることもなく夜風へと溶けていった。

誰に聞かれることもなく消えていくその言葉は、私自身の確認のようだった。


 街のざわめきが少しずつ耳に届いてきた。

市場の方からは行商人の声や子どもたちの笑い声が聞こえる。

昼下がりの街はいつも通り賑やかに見えた。


 けれど、その中に混ざる違和感は、私の耳にははっきりと届いていた。


「ねえ、また魔法灯が消えたんだけど」


「最近、魔法道具の調子が悪いよな」


「聖女様の加護が弱まってるんじゃ……?」


 私は足を止めた。

人々の表情がどこか不安げだ。


 魔法灯のひとつがぱちぱちと火花を散らし、次の瞬間ふっと消えた。

周囲の人が驚いて声を上げる。


「うわっ、まただよ」


「これ、ほんとに大丈夫なのか?」


「魔法技師を呼ばないと」


 私はその光景を見つめながら、胸の奥がじわりと重くなるのを感じた。


 明かりの消えた魔法灯の黒い影が、私の足元に長く伸びる。


――これは、私が城を出たせいだ。


 一瞬、胸の奥をちくりと刺すような痛みが走る。

けれど、私はすぐにその痛みを踏み潰すように、強く地面を蹴った。


「違うわ。悪いのは、理解しようとしなかった人たちよ」


 私が王城にいたのは、王太子にとって都合が良かったからではない。

王国の均衡を保つためだった。

それを理解しようとしなかったのは、王太子自身だ。


 私はゆっくりと歩き出した。

魔法灯の揺らぎが背後でまたひとつ弱まった。

街の喧騒の中で、私だけが静かな世界に取り残されているような気がした。


「……静かね」


 その静けさは不思議と心地よかった。

王城の中で押しつぶされそうだった息苦しさが、少しずつほどけていくような感覚があった。

胸の奥にあった重たいものが、風に吹かれて少しずつ軽くなっていくようだった。


「これでいいのよ、リリア」


 自分に言い聞かせるように呟いた。

その言葉は、私の中にあった迷いをひとつずつ消していくようだった。


 私はもう王城には戻らない。

戻る理由も、戻る価値も、そこにはない。


「戻ったところで、また同じことの繰り返しだもの」


 風が吹き、髪が揺れた。

魔力の流れが乱れた空気の中でも、自然の風は変わらず優しく吹いていた。

私はその風を受けながら、ゆっくりと街の中心へ向かって歩き出した。


 街の建物の壁に取り付けられた魔法灯がまたひとつ、弱々しく瞬いた。

その光は、まるで王国の未来を象徴しているかのように頼りなかった。


「……崩れていくのね」


 魔法の乱れは確実に広がっており、王国の崩壊はすでに始まっている。

その恐ろしい事実に気づいている者は、まだ私しかいなかった。


「でも、それでいいわ」


 私は静かにその結末を見届けるつもりだった。


 街の中心へ向かうほどに、人々のざわめきは増えていった。

そのざわめきの中に混ざる不安の声は、私の耳にいやでも届いてくる。

魔法灯の揺らぎは、街のどこにいても目についた。


「ねえ、見た?あそこの灯り、また消えたよ」


「ほんとだ。昨日もだったよな」


「聖女様が何とかしてくれるんだよね……?」


 人々の声は、期待というより不安に満ちていた。

聖女エレナの名を出す者は多いが、その表情はどこか頼りなさげだ。

彼女の力が本物かどうか、街の人々は薄々気づき始めているのかもしれない。


「……聖女様ね」


 私は小さく呟いた。

あの大広間で、王太子の隣に立っていた彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

白いドレスに身を包み、慈愛を装った微笑みを浮かべていたが、その瞳は冷たかった。


「リリア様がいなくても、王国は大丈夫ですわ」


 あのときの声は、今思い返しても薄ら寒い。

自信に満ちていたが、それは本物の力ではなく、王太子に庇護されているという安心から来るものだった。


「……大丈夫じゃないわよ」


 魔法灯の揺らぎを見れば分かる。

王国は、私がいなくなったことで確実に弱っている。

それは、聖女の加護が弱まったからではない。

魔法の均衡を保つ役割を果たしていた私がいなくなったからだ。


 歩きながら、ふと視線を感じた。

振り返ると、露店の前で果物を並べていた女性が、じっと私を見ていた。


「……あの、リリア様?」


 驚いて目を見開いた。

王城を出たばかりの私を、街の人が認識するとは思っていなかった。


「はい。どうかしましたか?」


 女性は慌てて頭を下げた。


「いえ、その……王城で何かあったんですか?最近、魔法が変で……」


 心配そうな表情に、胸が少し痛んだ。

街の人々は何も悪くない。

彼らはただ、王国の魔法に頼って生きているだけだ。


「……ええ。少し、変わったことがありました」


 それ以上は言えなかった。

言えば、混乱を招くだけだ。


「そう、ですか……」


 女性は不安げに魔法灯の方を見た。

その灯りはまた弱まり、かすかに揺れていた。


「気をつけてお過ごしくださいね」


 そう言って私は歩き出した。

女性は深く頭を下げて見送ってくれた。


 街の中心に近づくほど、魔法灯の揺らぎはひどくなった。

まるで、王国全体が呼吸を乱しているようだった。


「……本当に、崩れていくのね」


 呟いた声は、風に乗って消えていった。

その風は、どこか寂しげだった。


 ふと、道の端で子どもたちが騒いでいるのが見えた。

魔法灯の下で遊んでいたらしく、灯りが突然消えて驚いたようだ。


「わっ、消えた!」


「なんで?さっきまで光ってたのに!」


「こわいよ……」


 小さな子が泣きそうになっている。

私は思わず足を向けた。


「大丈夫よ。怖くないわ」


 子どもたちが私を見上げる。

その瞳は不安で揺れていた。


「灯りが消えちゃったの……」


「すぐに直るわ。きっとね」


 そう言って、私は魔法灯にそっと触れた。

触れた瞬間、灯りがふっと戻った。

弱々しいが、確かに光を取り戻した。


「わあ……!」


「ついた!」


「お姉さん、すごい!」


 子どもたちの笑顔が広がる。

その笑顔に、胸が少し温かくなった。


「よかったわね。気をつけて遊ぶのよ」


 そう言って私は歩き出した。

背後で子どもたちの笑い声が弾んでいた。


 けれど、魔法灯が戻ったのは一時的なものだ。

私が触れたことで魔力の暴走が抑えられただけ。

根本的な問題は、王国全体の魔力の乱れだ。


「……私がいなくなった影響が、こんなにも早く出るなんて」


 王城の中で感じていた不安定さは、街にまで広がっている。

このままでは、魔法障壁も弱まり、魔物の侵入が増えるだろう。


「でも、それでも戻らないわ」


 私は静かに言い切った。

王太子の隣に戻る未来など、もう必要ない。


 風が吹き、髪が揺れた。

その風は、まるで新しい道へ進めと背中を押してくれているようだった。


「行きましょう、リリア」


 自分に言い聞かせるように呟いた。

私は、王城とは違う未来へ歩き出す。


 その未来がどんなものかはまだ分からない。

けれど、少なくとも今よりは、きっと息がしやすいはずだ。


 魔法灯がまたひとつ揺れた。

その光は弱々しく、頼りなかった。


 私はその光を横目に見ながら、静かに街の外へ向かって歩き続けた。

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