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第14話 城内に広がるリリアの名と王太子の激怒

 丘を降りて街へ戻る途中、風のざらつきがさらに濃くなった。

魔力の乱れは、街だけでなく王城全体を包み込んでいる。

そのざわついた空気は、まるで誰かの不安を吸い込んで膨らんでいるようだった。


 街の中心へ戻ると、広場の空気が妙にざわついていた。

人々が集まり、何かをひそひそと話している。

その声の断片が、風に乗って私の耳へ届いた。


「……リリア様がいた頃は、魔法灯がこんなふうに揺れたりしなかったよな」


「障壁が安定してたのって、あの方がいたからじゃ……」


「追放なんて、どう考えても間違いだったんだよ」


 私は足を止めた。

その声は、怒りでも悲しみでもなく、ただ“事実を思い返しているだけ”のようだった。


 街の人々は、私を特別扱いしていたわけではない。

ただ、魔法が安定していた時期を思い返すと、そこに私がいたというだけだ。


 しかし、その噂は街だけに留まらなかった。


 王城の内部でも、同じような声が広がり始めていた。


 侍女たちが廊下の隅で布を抱えながら囁く。


「リリア様がいた頃は、魔法障壁が揺れたりしなかったよね……」


「祈りより、あの方の存在の方が……安定してたんじゃ……」


「追放したのは、やっぱり……」


 騎士たちも、鎧の音を立てながら小声で話していた。


「障壁がここまで薄くなるなんて、前代未聞だ」


「リリア様がいた頃は、魔物の気配も今ほど濃くなかった」


「殿下は、どうしてあの方を……」


 側近たちでさえ、書類を抱えながら互いに視線を交わし、ため息を漏らしていた。


「祈りが失敗続きなのに、殿下は聖女様しか見ていない」


「リリア様がいた頃は、魔法水晶が濁ることなんてなかったのに」


「追放した判断が、今の混乱を招いているのでは……」


 その噂は、静かに、しかし確実に城内へ広がっていった。


 そしてついに、その声が王太子の耳へ届いた。


 大広間の空気が張り詰める。

侍女たちが息を呑み、騎士たちが背筋を伸ばす。

側近たちは書類を抱えたまま固まっていた。


 王太子アレクシスは、怒りで顔を赤くしながら叫んだ。


「リリアの名を出すな!あれは裏切り者だ!」


 その声は、広間の壁に反響し、魔法灯の揺らぎをさらに強めた。

侍女たちは肩を震わせ、騎士たちは目を伏せる。


 しかし、誰も反論しなかった。


 その沈黙は、恐怖からではない。

王太子の怒りを恐れて口を閉ざしたわけではない。


 ただ、誰も王太子に“期待していない”だけだった。


 反論しても意味がない。

何を言っても聞き入れられない。

その諦めが、城内の空気を静かに冷やしていた。


 王太子はその沈黙を“従順”だと勘違いしたのか、さらに声を荒げた。


「リリアの名を出すなと言っている!あれは王国を裏切ったのだ!」


 しかし、誰もその言葉を信じていなかった。


 むしろ、王太子の叫びが、城内の空気をさらに冷え込ませていく。


 そのとき、聖女エレナが王太子の腕にそっと触れた。

その仕草は優雅で、王太子の怒りを宥めるように見えた。


「殿下……どうか落ち着いてくださいませ。皆、混乱しているだけですわ」


 その声は柔らかく、甘く響いた。

しかし、その瞳の奥には焦りが宿っていた。


 祈りの力が弱まっていることを、彼女自身が一番理解している。

昨日の儀式も失敗し、今日も魔法陣が崩れた。

祈りが届かないことを、誰よりも知っている。


 それでも、王太子の前では弱さを見せられない。


「大丈夫ですわ、殿下。私の祈りは必ず届きます。どうか信じてくださいませ」


 その言葉は、王太子を安心させるためのものだった。

しかし、城内の者たちには、ただの“空虚な言葉”にしか聞こえなかった。


 侍女たちは互いに視線を交わし、そっと囁く。


「聖女様……顔色が悪い……」


「祈りが弱まってるのを隠してる……?」


「殿下は、何も見えてない……」


 騎士たちは鎧の音を立てながら、静かにため息を漏らす。


「祈りが届いていないのに、殿下は信じ続けている」


「このままじゃ、城が……」


「誰も殿下を止められない……」


 側近たちは書類を抱えたまま、互いに視線を交わした。


「殿下は、現実を見ようとしない」


「聖女様の力が弱まっているのは明らかなのに……」


「このままでは、王城が……」


 城内の空気は、完全に王太子から離れていた。


 誰も彼を信じていない。

誰も彼の判断を支持していない。

ただ、崩れゆく城の中で、どうすることもできず立ち尽くしているだけだった。


 その空気は、王太子の怒りよりも冷たく、聖女の微笑みよりも重く、魔力の乱れよりも不穏だった。


 王城は、静かに、確実に、王太子から離れていった。


 その流れは、もはや誰にも止められなかった。

誰も声を荒げたりはしない。

誰も反乱を起こすわけでもない。

ただ、城に仕える者たちの心が、ひとりの人物からそっと距離を置き始めている、その変化が、空気の温度を変えていた。


 王太子の怒声が響いた大広間は、しばらくの間、誰も動けないほどの沈黙に包まれていた。

その沈黙は、怒りを恐れてのものではなく、「もう何を言っても無駄だ」という諦めの重さだった。


 侍女たちは、王太子の背中を見ることを避けるように視線を落とし、騎士たちは、鎧の継ぎ目を指でなぞりながら、ただ静かに息を吐き、側近たちは、書類を抱えたまま、誰とも目を合わせようとしなかった。


 その空気の中で、ただひとり、王太子だけが気づいていない。


 自分が城内の中心ではなくなったことに。


 自分の言葉が、誰の心にも届いていないことに。


 自分が信じている“祈り”が、もはや城を支える力ではないことに。


 聖女エレナは、王太子の腕に寄り添いながら、必死に笑顔を保っていた。

その笑みは、王太子を安心させるためのものだったが、その裏側には、深い焦りが滲んでいた。


 祈りの力が弱まっていることを、彼女自身が一番理解している。

昨日の儀式は途中で光が消え、今日の祈りは魔法陣が崩れ、魔力は彼女の言葉に応じなくなっている。


 それでも、王太子の前では弱さを見せられない。


 王太子が自分にすがっていることを、彼女は知っている。

その依存が、彼女をさらに追い詰めていた。


「殿下……私は大丈夫ですわ。祈りは必ず届きます。どうか信じてくださいませ」


 その声は震えていた。

しかし、王太子はその震えに気づかない。

ただ、安心したように頷くだけだった。


「そうだ。エレナの祈りがあれば、王国は守られる。誰が何と言おうと、私は信じる」


 その言葉は、城内の者たちの心をさらに冷やした。


 侍女たちは、互いに視線を交わしながら、そっと囁く。


「殿下……本当に何も見えていないんだ……」


「聖女様の祈りが弱まってるのに……」


「このままじゃ、城が……」


 騎士たちは、鎧の音を立てながら、低く呟いた。


「祈りが届かないのは明らかだ。障壁は崩れかけている」


「殿下は、聖女様の言葉しか聞いていない」


「誰も殿下を止められない……」


 側近たちは、書類を抱えたまま、深くため息を吐いた。


「魔法水晶は濁り、通信具は止まり、障壁はひび割れている」


「祈りではどうにもならない状況だ」


「殿下は、現実を見ようとしない……」


 その声は、誰も大きくは言わない。

しかし、城内の隅々まで広がっていく。


 王太子の怒りは、もはや誰の心にも響かない。

聖女の微笑みは、誰の不安も和らげない。


 城内の者たちの心は、確実に、王太子から離れていった。


 そして、その空白を埋めるように、ひとつの名前が囁かれ続けていた。


「……リリア様がいた頃は、魔法障壁が揺れたりしなかった」


「今思えば、あの方の存在が城を落ち着かせていたのかもしれない……」


「殿下があの方を手放したのが、混乱の始まりだったんじゃ……」


 その声は、王太子の耳には届かないように囁かれていたが、城内の空気を確実に変えていた。


 王太子は、自分が孤立していることに気づかないまま、聖女の肩を支え、祈りを信じ続けている。


 しかし、城内の者たちは、もう誰もその祈りを信じていない。


 魔法障壁はひび割れ、魔法水晶は濁り、魔法扉は暴れ、魔法暖炉は火花を散らし、通信具は沈黙し、城内の魔力は、もはや祈りでは抑えられないほど乱れている。


 その現実を見ているのは、王太子以外の全員だった。


 そして、城内の者たちの心は、静かにひとつの方向へ向かい始めていた。


――リリア。


 私の名は、王城の中で、誰も大声では言わない。

しかし、誰もが心の中で思い出している。


 魔法障壁が安定していた頃。

魔力が静かに流れていた頃。

魔物が街に近づかなかった頃。

魔法道具が正常に動いていた頃。


 そのすべての時期に、私は王城にいた。


 その事実が、城内の者たちの心に静かに刻まれていく。


 王太子がどれほど怒鳴ろうと、聖女がどれほど微笑もうと、その流れは止まらない。


 城内の空気は、完全に王太子から離れ、静かに、確実に、私の名へ向かっていた。


 その変化は、王城の崩壊の前触れだった。

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