第10話 沈みゆく王国と、空に走る兆し
街の空気は、昨日よりもさらに重く沈んでいた。
魔力の乱れは収まるどころか、街の隅々へ染み込み、建物の壁を微かに震わせている。
風は方向を失い、魔法灯は弱々しく揺れ、昼間なのに影が濃く伸びていた。
そんな中、広場の掲示台の前に人々が集まり始めた。
ざわつく声が重なり、通りの空気がざらつく。
「また通達だってよ……」
「昨日の内容で懲りてないのか……」
「どうせまた“問題ない”だろ……」
人々の声は、期待ではなく諦めに近かった。
王城が何を言おうと、街の現状は変わらない。
それを誰もが理解している。
掲示台の前には、役人が立っていた。
手に持った書状を何度も確認し、落ち着かない様子で視線を泳がせている。
その肩はわずかに震え、紙の端がかすかに揺れていた。
役人は深く息を吸い、震える声で書状を読み上げた。
「え、えー……王城より街の皆様へ。現在の魔法の不安定な状態は、聖女エレナ様の祈りによって収束する見込みであるため……街の者は王城を信じ、落ち着いて待つように……とのことです」
読み上げた瞬間、広場の空気が大きく揺れた。
「祈りで収束する?だったら昨日の儀式は何だったんだよ!」
「見込みって……またそれか!」
「王太子は聖女様に夢中で、街の状況を見てないんだろ!」
怒りの声が一斉に上がる。
昨日よりも強く、鋭く、迷いがない。
役人は紙を握りしめたまま、困ったように視線を落とした。
彼自身も、王城の言葉を信じているわけではないのだろう。
その口は固く閉ざされ、ただ書状を読み上げるだけだった。
「祈りでどうにかなるなら、どうして魔法灯が消えるんだよ!」
「家の魔法炉が止まったんだぞ!」
「王城は街を見捨てたんだ!」
人々の声は止まらない。
その声は、広場の空気を震わせるように広がっていく。
私は広場の端でその様子を見つめていた。
怒りの波が街全体へ広がり、魔力の乱れがさらに強くなっていくのを感じる。
空気が重い。
胸の奥に、ざらりとした感触が残る。
――王城は、状況を理解していない。
魔力の乱れは、自然現象ではない。
聖女の祈りでどうにかなるものでもない。
それを理解しないまま「待て」と言い続ける王城は、街を守るどころか、混乱を広げている。
広場の端にある魔法灯が、また弱々しく明滅した。
光が途切れ、影が揺れる。
「ほら見ろ!全然収まってないじゃないか!」
「祈りがあるなら、どうしてこんなことになるんだよ!」
「王城は嘘ばっかりだ!」
怒りの声が広場を満たす。
その中で、ついに、今まで誰も口にしなかった言葉が漏れた。
「……リリア様を追放したせいだろ」
その一言は、広場の空気を一瞬で変えた。
周囲の人々が振り返り、声の主を見つめる。
誰も否定しない。
むしろ、言葉にできなかった本音が、ようやく形になったようだった。
「そうだ……あの方がいた頃は、こんなことなかった……」
「聖女様より、リリア様のほうが重要だ……」
「王城は間違ったんだよ……」
声は次々と重なり、広場の空気を震わせていく。
私はその声を聞きながら、広場を離れた。
怒りの渦の中にいるより、街の外れの方が魔力の流れを感じ取りやすい。
街の外れへ向かうほど、空気のざらつきは濃くなっていった。
風は渦を巻き、魔法灯は弱々しく瞬き、空気は重く沈んでいる。
そして、空に、異変が現れた。
薄い光の筋が、空を横切るように走った。
まるで空そのものが裂けたような、細い亀裂。
魔力の乱れが限界を超えたときにだけ現れる、最悪の兆し。
空に走った細い裂け目は、ほんの一瞬の現象だった。
だが、その一瞬が街の空気を決定的に変えた。
誰もが気づいていないようで、しかし本能的に理解している。
“何か取り返しのつかないことが起き始めている”と。
私は街の外れに立ち、空を見上げたまましばらく動けなかった。
魔力の流れが、まるで巨大な川が逆流するように乱れている。
風は渦を巻き、地面の影が不自然に揺れ、魔法灯は弱々しく明滅している。
そのとき、遠くから人々のざわめきが聞こえてきた。
「見たか?空が……裂けたように見えたぞ」
「魔力が限界を超えると、ああなるって聞いたことがある……」
「祈りでどうにかなるなら、なんで空が割れるんだよ!」
怒りと恐怖が混ざった声が、街の中心から波のように広がってくる。
私はゆっくりと街へ戻った。
通りの空気は、先ほどよりもさらに重く沈んでいる。
人々の顔には、怒りよりも“諦め”が浮かんでいた。
広場では、役人がまだ掲示台の前に立っていた。
だが、彼の表情は完全に青ざめている。
人々の怒りの矛先が自分へ向かっていることを理解しているのだろう。
「王城は……本当に祈りで収まると思ってるのか?」
「昨日の儀式、途中で光が消えたんだぞ!」
「聖女様は何をしてるんだ!」
「王太子は聖女様に夢中で、街のことなんて見てない!」
声は次々と重なり、広場の空気を震わせていく。
役人は震える声で言葉を絞り出した。
「わ、私は……ただ通達を……」
「通達なんてもういらないんだよ!」
「街の状況を見ろ!魔法が壊れ続けてるんだぞ!」
「祈りでどうにかなるなら、なんで空が割れるんだ!」
怒号が広場を満たす。
その声は、王城への不信を通り越し、もはや“怒りの証明”だった。
私は広場の端でその様子を見つめていた。
人々の怒りが魔力の乱れをさらに増幅させているのが分かる。
魔力は感情に反応する。
それは、魔法の基礎を学んだ者なら誰でも知っていることだ。
怒りが街を満たせば、魔力はさらに暴れ、暴れた魔力は街を壊し、壊れた街はさらに怒りを生む。
悪循環が始まっていた。
そのとき、広場の中心で誰かが叫んだ。
「全部……リリア様を追放したせいだろ!」
広場が静まり返った。
風の音さえ止まったように感じた。
人々が一斉に声の主を見つめる。
その視線には、否定ではなく“納得”が宿っていた。
「……あの人がいた頃は、街がこんなふうに乱れたりしなかった」
「聖女様より、よほど頼りになる存在だったじゃないか」
「王城は、肝心なところで判断を誤ったんだよ」
「もしあの方がまだ街にいてくれたら、ここまで酷くはならなかったはずだ」
声は次々と重なり、広場の空気を震わせていく。
私はその声を聞きながら、静かに息を吸った。
――王城の愚かさは、もう隠しようがない。
街の人々は、王城が“間違った判断”をしたことを理解し始めている。
そしてその判断が、街を破滅へ導いていることも。
空を見上げると、先ほどの裂け目が薄く残っていた。
まるで空が傷つき、その傷がまだ癒えていないようだった。
魔力の流れが、空の傷口へ吸い込まれるように乱れている。
私はその光景を見つめながら、静かに呟いた。
「……この国は、自分で滅びを選んだのね」
その言葉は、風に紛れて誰にも届かない。
だが、胸の奥に沈んだ確信は揺らがなかった。
王城の愚かさは、街全体に知れ渡った。
そして、崩壊の足音は、もうすぐそこまで来ていた。
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