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聖女の力を与えられた悪女は  作者: にゃみ3 @書籍「悲劇の公爵夫人セレスティア最後の祈り」発売中


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5 呪われた力

「フレイア!」


 ルシアンは咄嗟に魔力を展開し、船全体を水色の防御魔法で包み込んだが、弾丸は既に私の右腕を容赦なく切り裂いていた。


 ジリジリと焼き付くような痛みと共に、強烈な不快感が全身を駆け巡る。


 私の肩を力強く抱き寄せたまま、ルシアンは鋭い水色の瞳で銃弾が放たれた方角を睨み据えた。

 彼が手を掲げた瞬間、轟音とともに攻撃魔法が放たれると、遠くから男の苦悶の悲鳴が聞こえた。


 しかし、私にはそんなことはどうでもよかった。

 まるで気が回らず、ただ、彼が怪我をしていないかだけが重要だった。

 ルシアンの頭から足までなぞるように見つめる。

 珍しく取り乱しているようだが、幸い、傷は負っていないようだった。


 その事実に胸を撫で下ろし、小さく息を吐いた瞬間、右腕に再び鋭い痛みが突き刺さる。


 私は顔をしかめ、血の滲む右腕を左手で強く押さえた。


 禍々しい何かが身体の中で蠢いている。

 冷たい泥が血管を伝って全身を這い回るような異物感。

 痛みよりも、本能的に拒絶しようとするそれが不気味でたまらなかった。


「最悪……」


 小さく声を漏らすと、ルシアンの視線が私に戻る。

 すると彼は私の身体を抱き上げ、そのまま船が岸辺へ横付けされるよりも早く地面へと飛び移った。


 着地の衝撃で水しぶきと砂埃が舞い上がり、彼の黒い外套は泥で汚れ、私のドレスもまた血と泥に染まる。


 それでも彼は自分の姿など気にも留めず、近くの大樹の下へ私を降ろすと、辺り一帯に防御魔法を発動させた。


 淡い水色の魔法陣が幾重にも重なり、静かに私たちを包み込む。


 ようやく私へ向き直ったルシアンは、いつになく険しい表情で口を開いた。


「光魔法を使ってください。今、すぐに」


 どこか苛立ったような声色で言い放たれた言葉に、私を眉を下げると、彼から視線を逸らした。


「フレイア!」


 するとすぐに咎めるように名前を叫ばれる。


 彼が私に声を荒らげたのは、これが初めてのことだった。


 私を何よりも大切に扱うと誓った男。

 どれほど私が我が儘を言おうと、どれほど理不尽に当たり散らそうと、彼は貴族らしからぬ誠実さで、いつだって私を丁寧に扱ってきた。


「なぜ、俺を庇うような真似をしたのです」


 私はその問いに答えることができず、ただ視線を逸らしたまま口を閉ざし続ける。


「奴らの狙いは、あなたではなく俺だった。あなたが何があっても光魔法を使うことを拒み続けているからです。まさか、自分が傷つくことになっても、あなたがその力を使わないとは思ってもいなかったのでしょう」


「…………」


「ですから早く光魔法を使ってください。この国に二人しかいない聖女。フレイア、あなたにならできることです」


「……嫌よ、絶対に嫌。こればかりは譲れないわ」


 口を開こうとしたルシアンの動きが止まる。

 私の瞳に滲んだ涙を捉え、驚いたように水色の瞳が大きく見開かれた。


「何があっても、たとえ私が死んだとしても。私は、この呪われた力を使うわけにはいかない」


 震える声で何とかそう言い切ると、ルシアンの端正な顔が苦しげに歪んだ。


 込み上げてくるものを押し殺すように、私は強く下唇を噛み締める。


 感情を押し殺すために身についた癖。

 私の愚かな母親が自ら命を経ったあの日からできた癖だ。


 どいつもこいつも、口を開けば同じことばかり。


 ――聖女ならば、民を救え。

 ――聖女としての自覚を持て。


 一体いつ、私が聖女にしてくれと頼んだというの?



 どうして皆、この忌々しい力を、人の人生を狂わせるだけのこの力を、まるで神から授かった奇跡のように崇めるのだろう。


『フレイア、いい子ね。こっちへいらっしゃい』


 柔らかな声が耳元で響く。


 煌めく淡いピンク色の髪を揺らす美しい女が、優しく微笑みながら、こちらに向かって手を伸ばしている。


 いい子だと言って、頭を撫でてほしい。愛していると言って、強く抱きしめてほしい。


『私の可愛いフレイア』


 淡いピンク色の髪に、甘く蕩けるようなローズピンクの瞳を持つ者は、この世界にただ二人しかいない。


 そこにいるだけで瞬く間に人々の視線を集めるほど美しく、この世のものとは思えないほど儚い女性。


 彼女は私の頬へ手を添えて、額と頬へ限りなく甘い口づけを落とす。


『私の可愛い子、私の愛しい娘』


 誰にでも分け隔てなく優しく、誰よりも深く人を愛し、誰かの幸せを心から願うことのできた人だった。


 あの頃は本当に幸せだった。

 夜が来るのが惜しくて、朝、目を覚ませば胸が弾んだ。

 世界はどこまでも美しく、鮮やかに色づいて見えていた。


 本当の地獄を知る、その時までは。


『お母さまは、いつかこの花々や木々の養分になるの。すべてを吸い尽くされて、身体は朽ち果て、死を迎える――それこそが私の望みよ』


 自らを捧げ、神に愛された女。

 その褒美として、娘である私へ力が授けられた。神聖なる神の力が。


『い、いい子にします。いい子にしますから、そこから降りてきてください……お母さま……』


 木から吊るされた母に縋りつき、必死にその優しい声を求めたが、返ってきたのはいつもの甘い声ではなかった。


 辺り一帯を埋め尽くすほどの異常なまでの魔力量。光魔法の発現。

 誰をも愛し、誰をも救い、慈愛の象徴とまで讃えられた聖女の力。


 母の命と引替えに神から褒美として与えられたもの。

 そんなものは、私にとって呪い以外の何物でもない。



 頭を強く振り、脳裏に焼き付いた光景を振り払う。

 これ以上思い出してしまえば、本当に壊れてしまいそうだった。


 私は鼻をすすり、滲んだ涙を乱暴に拭うと、ルシアンを睨みつけた。


「ただ腕を掠っただけよ。こんなの、痛くも何ともないわ!」


 今にも震えそうになる声を必死に押さえ込み、精一杯の強がりを口にする。

 そんな私を見つめるルシアンは、わずかに眉を寄せた。

 その表情に怯みそうになる心を押し殺し、睨み返した、その時だった。


 遠くから馬が地を蹴る音が響き、聞き慣れた声が辺りに飛んだ。


「フレイア様! ルシアン様!」


 こちらへ駆けてきたのは、私の従者アルセインだった。

 愛馬を全速力で走らせ、そのままこちらへ一直線に向かってくる。

 馬が完全に止まり切るよりも早く飛び降りたアルセインは、転がるような勢いで私たちのもとへ駆け寄った。

 そして私の右腕に滲む血を目にした瞬間、その顔から一気に血の気が引く。


「一体……どこの愚か者が、このようなことを……!」


 怒りと焦りを滲ませるアルセインに、ルシアンは短く指示を下した。


「湖の東側に襲撃犯が倒れている。殺してはいません。卿はそいつを頼みます」

「しょ、承知しました、ルシアン様」

「それと、その馬を少し借ります」

「ジョセフィーヌをですか? もちろん構いませんが、どうして――」


 アルセインが話し切るのを待たずに立ち上がったルシアンは、私の背中と膝裏へ腕を差し入れ、軽々と抱き上げた。

 先程とは違い、まるで幼い子供でも抱えるように持ち上げられ、思わず情けない悲鳴が漏れる。


「彼女の手当を急がなくてはなりません。俺たちは先にアルスハイン公爵邸に戻ります。乗馬が下手でも、これなら問題ないでしょう」


 そう告げると、ルシアンは私を先にジョセフィーヌの背へ乗せ、自らもその後ろへ跨った。


 まさか、このまま馬で帰るつもり?


 足元から伝わる馬の体温と力強い鼓動に背筋が震える。


「嘘でしょう? お願いだから嘘だと言って! 乗馬なんて絶対に嫌よ! 離して、下ろして!」


 私は身を捩りながら傲慢に声を上げた私は、藁にもすがる思いでアルセインへと視線を向ける。


「アルセイン、今こそあんたの役目を果たすときよ! 私を助けなさい!」


 しかし、その視線の先にあったのは瞳を潤ませながら腹立たしく敬礼をする生意気な従者の姿だった。


「この、役たたずが――!」


 そう叫ぼうと口を大きく開けた時だった。


「舌を噛みますので、口を閉じていてください」


 ルシアンが静かに告げるのと同時にジョセフィーヌの腹を軽く蹴る。

 次の瞬間、馬は地面を力強く蹴り、一気に駆け出した。


 悲鳴を上げる間もなく身体が大きく揺さぶられ、歯を食いしばった拍子に下唇の傷口が再び裂けた。

 そのうえ勢い余って舌まで噛んでしまい、じわりと鉄臭い血の味が口いっぱいに広がり、私は顔をしかめた。

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