70. 三日三晩の任務
「え、なに。どうしたの、カロン」
何かのホラーかと思った。だって、カロンが窓にべったり張り付いていたから。
慌てて立ち上がり、テラスの戸の鍵を開けて顔を出した。カロンはテラスの存在すら目に入っていなかったようで、よろよろとこちらへ近づいた。黒い騎士官服はよれよれで、顔もくしゃくしゃだ。小脇に抱えた黒山羊は本来の大きな姿を保てないのか、小さくなっていた。
背後では調理場からオーウェンが出てきた気配がした。
「任務ぅ……三日三晩走らせたから、俺も黒山羊も限界……泊まらせてくれ」
「任務なら尚更。さっさとトランディアに帰れ」
私の後ろから話を聞いていたのか、オーウェンが窓枠に腕を掛けながら顔を出した。
仕事に関わるのであれば、護政官の私が口を出すものではないだろう。
「俺のこの姿を見て可哀想じゃねぇのかよ!あーもう!任務は遂行して魔導盤で報告済み!黒山羊も走りまくってもう限界!第一騎士隊のアンブロジオ騎士官が護衛騎士任務でここにいるから、宿泊するよう命令あり!これでどうだ!!」
「……オーウェン、自分の魔導盤見た?」
「……あー……飯を作る前には見た」
オーウェンは一度窓から離れ、テーブルに置きっぱなしだった魔導盤を手に取った。起動すると、盤がぼんやりと光り、ぽろんと音が鳴る。
しばらく読んで、金色の目が、左から右へと文字を追う。
「今来たわ。入っていいけど、玄関から」
魔導盤をテーブルに戻し、玄関を指さした。
カロンは「お前はこまけぇんだよ」とぶつぶつと文句を言いながら、玄関へと向かっていった。
「……騎士団ってこんな急に命令が飛んでくるの?」
「魔導盤が導入されてから特に。組織柄、こればっかりは仕方ねぇな」
オーウェンは淡々と答えると、玄関へと向かっていった。
まあ確かに、魔法騎士団は事件があればすぐに駆けつけなければいけない仕事だ。トランディアにいた頃も、当直だなんだで、騎士官組が明け方に帰ってくる姿を見かけたことがあった。
こいつらも、普段はふざけているけれど、意外と仕事を頑張っている。
そうこうしていると、オーウェンが戻ってきた。後ろにはよろよろのカロンが。カロンはソファを見つけると、そのまま倒れこむように身を投げ出した。
「え、寝た」
秒だった。
秒で寝息が聞こえた。傍らにいた黒山羊も小さく丸まって、静かに寝息を立てた。見た目以上に疲れていたようだ。せめてお風呂に入ってほしいけれど、ここまで疲れているとわざわざ起こすのも忍びない。
オーウェンは溜息を吐いた。
「わりぃけど、このままここで寝かせてやって」
「別にいいけど……」
このままだと寝苦しそうだ。せめて上着だけでもと手を伸ばすと、私の意図を察したのか、オーウェンが腕で遮った。そして雑な手つきで上着を剥ぎ取る。カロンは起きる気配もない。オーウェンは、その上着をそのままカロンにかけた。
「飯、できたからお前は食え」
「う、うん……」
何というか、男同士だなぁと思った。
♢
カロンが目を覚ましたのは、翌日の夜だった。
あの後、私はしっかりと食事をとった。多少けだるいだけで、もう身体は大丈夫な気がしたけど、オーウェンに問答無用で額を触られ「微熱、却下」とベッドに押し込められた。お腹が満たされたのもあり、そのままぐっすりと眠ったのだ。
喉が渇いてリビングでお茶を飲んでいると、オーウェンが自室から降りてきた。
「熱は?」
二言目にはこれだ。
「もう大丈夫」
そう返すと、オーウェンは眉根をわずかに寄せて私へ近づいた。
(またおでこを触られる流れじゃん)
そう思って身を避けるけれど、オーウェンは私の腕を掴んで、有無を言わさず額に手を当てた。
「まだ微熱。何度目だよ、自分の体調くらいわからねぇの?馬鹿かよ」
「ぐ……」
絶対にもう熱は治まっている気がするのに。
言い返せずにいると、ソファの辺りでもぞりと影が動いた。カロンだ。半身を起こしてこちらを見ていた。
「……ふぁーあ……お前ら、なにイチャついてんの?」
大きな欠伸をしながら、とんでもないことを言うものだから、手近なものを投げつけてやろうかと思った。けれど片手はカップ、もう片方はオーウェンに掴まれていて、それも叶わない。
「イチャついてない!!」
代わりにオーウェンの腕を振り払った。
不機嫌そうなオーウェンに見下ろされたけれど、関係ない。私の尊厳に関わる。オーウェンは小さく溜息を吐いた。
「こいつ、風邪ひいてぶっ倒れたんだよ。やらなくていい仕事はしたくねぇの」
「え、ドラスニール族って風邪ひくの?」
「ひくわ」
人を何だと思っているんだ。失礼にもほどがある。
私が本当にキレそうだったのを見て、カロンは「風呂借りるな〜」とオーウェンに頼み、そそくさと上へ行った。相変わらず空気を読むのがうまいやつだ。
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