60. 帰り道の熟れた果実
※一部、暴力を伴う場面があります。苦手な方はご注意ください。
ミア先輩から仕事を教えてもらい、一区切りがついた時だった。
「これで、一年目で覚えるべきことは伝えられたわ」
「ありがとうございます、ミア先輩」
私は小さく頭を下げた。
ミア先輩の教育係としての役割も、これで終わりだ。
長々と時間を取らせてしまって、ずっと申し訳なく思っていたから、少し気が楽になった。
「仕事が終わったら、一緒に王都へ夕飯を食べに行く?」
「一緒に行きたいんですが……すみません、今日は魔法協会に行く予定があって……」
「魔法協会?」
「八階位の認定を受ける予定なんです」
「……アルクセイは何になるつもりなの?騎士官?」
「……護政官です」
気まずさから、私は目を逸らした。
確かに、護政官はせいぜい六階位で十分な仕事内容だ。騎士官と違って、そもそも戦闘がない。
じゃあ、なぜか?
当然、あの金髪男が私より上にいる事実が許せないからだ。
でもそれを言ったら呆れられてしまうのが目に見えている。
ミア先輩は私の心中を察したようで、軽く溜息を吐いた。
「……最近、物騒な話が多いから帰りは気をつけるのよ。王都では変質者の話題で持ちきりなんだから」
そういえば、だいぶ前にカロンがぼやいていた。
おかげで夜回りが増えたらしい。そのせいで最近は姿を見ていない。
「新聞に載っていましたね。まだ捕まっていないんですよね」
「ええ、何でもちょっと様子がおかしかったらしいわ。きっと違法魔法薬ね」
不埒な輩というのはどこにでもいるものだ。
本来、魔法薬は薬草を掛け合わせて作るもので、強壮剤や回復薬として騎士や傭兵に好まれる。けれど掛け合わせ次第では、強力な毒になる。それが違法魔法薬だ。
「違法魔法薬……依存性が高いんでしたっけ?」
「そう。嫌なことを忘れられるとか集中力が上がるとかで、一時はかなり問題になっていたの。数年前に魔法騎士団がまとめて捕まえたって聞いたけど……まだ出回ってるのね」
ミア先輩は私をじっと見た。
「あなたも女の子なんだから、気をつけるのよ」
「大丈夫ですよ!襲われたら返り討ちにしてやります!」
自信満々に言ったのに、ミア先輩は呆れた様子で額を押さえた。
「……まぁ、いいわ。頑張ってね」
「はい!」
♢
王都にある魔法協会からの帰り道。
私は腹が立っていた。いつもより広い歩幅でずんずんと歩く。
階位は無事に八階位になった。これで護政官の中で八階位は私だけだ。
任せてもらえる仕事の幅も、きっと増える。
「なっんっで!試験官があいつなの……!!」
思い出しても腹が立つ。
しかも、同じく試験官だったユルゲンス先生の隣に座っていた。久しぶりに会えた恩師なのに、素直に喜べなかった。
オーウェンはふんぞり返って足を組み、私が提出した研究書類に目を通すと、
『で?確かに火神の聖霊は鳥と形容されがちですが、神代語では複数形。複数であることに意味があると思うのですが、そこの所、どのような考えで?』
と、まあ偉そうに質問してくるので、私は自分の顔が盛大に引き攣ったのを感じた。粗探しのような質問ばかり。すべて完璧に返してやったけど。先生は呆れた様子で、面倒くさそうに椅子へ深くもたれていた。
全部オーウェンが悪い。
すべて終えて、待合室で試験結果を待っていたら、奴はぬるっと私のところまで来た。
『飯、まだだろ。終わるから待ってて』
『え』
私の返事なんて聞かずに去っていったので、私は先に帰った。
別に『一緒に行く』なんて返事してないし。今は一緒にいたくない。
変に意識したら、勘違いしただの何だのと、馬鹿にしてくるに決まっている。
(あー……イライラする。今日はもう帰って寝よう)
石畳を踵で踏みつけるように歩く。
その靴音と苛立ちで、気がつかなかった。
……ゆっくり近づいてくる気配に。
「……っ!!」
肩を、それも強い力で掴まれる。振り向く暇もなかった。荒い呼気が聞こえ、熟れた果物のような匂いが鼻を掠める。完全な不意打ちだ。
その拍子に、私はバランスを崩して、地面に転がった。
(やば)
すぐに体勢を整えようと顔を上げると、すでにそれは捕らえられていた。
——金髪の男に。
オーウェンは男をそのまま組み伏せ、後ろ手にして、土魔法で出した枝で締め上げた。その様子を、私は呆然と眺めていた。
男は、蛙がひしゃげたような声を出しただけで、あとはヘラヘラと涎を垂らして笑っている。目の焦点は定まらず、瞳が上下左右に忙しなく動いている。
「あひっへひへへははははっ……!」
正気とは思えない笑い声が響く。
心臓がばくばくと鳴る。息をたくさん吸おうと、胸が大きく膨らんでは戻る。
「アルクセイ」
落ち着いた、静かな声だった。
オーウェンが私の名前を呼ぶ。
先に帰ったことを、怒る様子もない。
私はもう一度、大きく息を吸って、吐いた。
「ご、ごめん、ありがとう」
そして改めて男を見た。
髪は乱れ、肌は薄汚れ、身なりも不潔。けれど、その顔に見覚えがあった。
ケヴィン・ゴルダー次席枢機官。
枢機会の上層部と呼ばれる立ち位置にいる。確か貴族派で、最近は無能だと揶揄されているのを小耳に挟んだことがある。
「立てるか?」
「……うん」
私は服の埃を払いながら、ゆっくり立ち上がる。
「ねぇ、オーウェン。この人……」
「近くの詰所に連れて行く」
話を遮られた。
オーウェンは私が立ったのを確かめると、ゴルダー次席枢機官を引き起こした。
すると騒ぎを聞きつけたのか、道の向こう側から黒い制服を着た騎士官が二人、駆け寄ってきた。
「アンブロジオ騎士官!」
「おそらく例の不審者。詰所に連行。俺が調べるから、戻るまで待機で」
「承知いたしました!」
やってきた騎士官に、オーウェンは偉そうに命令をした。きっとこの騎士官は民間出身なのだろう。
騎士官たちはオーウェンからゴルダー次席枢機官を受け取った。
「歩け」
「ふへっへははひゃっ!」
崩れた笑い声に、私の身体は反射的に跳ねた。
暗闇におかしな笑い声が響き渡るのを聞きながら、私はその背中を見送った。
「……大丈夫?」
オーウェンが私の顔を覗き込む。
さっき大丈夫って伝えたはずなのに。
「……大丈夫、びっくりしただけ」
そう、びっくりしただけだ。この心臓も、すぐに落ち着くはずだ。何も問題はない。必死にそう自分に言い聞かせていたら、突然、手を取られた。
「震えてるけど」
「ほ、ほんとだ……」
自覚がなかったから、素直に反応してしまった。けれどもう白状してしまっては、取り繕いようがない。諦めていると、オーウェンは反対の手で何かを探すそぶりをし、それを取り出すと、私の小指に押し込んだ。
金色で小ぶりのそいつは、月の光をきらりと反射して、私の小指に図々しくも嵌っていた。
「なにこれ」
「指輪。やる」
脈絡がなさすぎる。
私はオーウェンを見上げた。辺りが暗くて表情が読めない。
「いや、なんで?」
「あー……階位が上がったから?」
その返答に私は目を細めた。
なぁんか怪しい。
「疑問形?」
「じゃあ誕生日」
「近いけどまだ」
「前祝い」
「いや、さっきからなんなの?」
「何でもいいわ。俺がやったんだから、外したら殺す」
「は、はあ!?ちょっと待って、何で突然、物騒になんの!」
思わず手を振り払おうとしたが、その手を掴まれてしまった。
「震えてない」
「……怒りで震えそうだよ」
「その調子」
オーウェンは笑うと、そのまま私の手を掴んで歩きだした。
その少し後ろを私は歩く。
「今日のこと、忘れとけ」
それが決して指輪ではなく、ゴルダー次席枢機官のことを言っているのはわかった。
「……わかった」
何せ、相手は三機関の身内……それも上層部だ。慎重に進めなくてはいけない。
オーウェンは私を共舎に送り届けると、そのまままた出て行った。
おそらく詰所へ向かうのだろう。
私は何となくそれを見送ってから、お風呂に入り、身支度を終えるとベッドに入った。
左手をかざす。
小指に嵌った指輪を眺めた。
「……無駄に可愛いから、余計に腹が立つ」
物には罪はない。
罪のないものを無下にはできない。
いつも感想やリアクションなどありがとうございます。
ゴルダーは58話でちょろっと出てきた人です。




