59. 神が眠る国と、聖国
※メーベル視点です。
あの日以降、共舎で幽霊騒動の噂はすっかり聞かなくなった。
あんなに怖がっていたアルクセイも落ち着いてきたようで、最近は魔法階位を八階位に上げるための準備をしたり、仕事の合間に王庁の資料室にこもったりしている。どうやら母親が護政官をしていたようで、その足跡を辿っているらしい。
(ジルもオーウェンも、双子もいない)
中庭の隅で、仕事の合間に煙草を吸いにきては皆で他愛もない話をしていたけれど、今は慣れ親しんだ顔がいない。
ただ、木々の葉が青々と揺れているだけだ。
(ジルとオーウェン、二人は上層部にアルクセイのことは報告しなくちゃいけない立場)
あの白い光。
あれはオーウェンじゃなく、明らかにアルクセイだった。
オーウェンが強く押し切るものだから、あの子は何も言えなかったけれど、今も腑に落ちていない様子だ。
(トランディアとニルスの関係性は表面的には問題はない。でも、ニルスのしていることを、この国が知らないとは思えないわ)
きっと、上層部はアルクセイを好きなようにはできない。
——ドラスニール族。
これが一番のネックになる。長い歴史の中で、この民族は征服することをしなかったし、征服されることもなかった。本気で暴れたら、国一つ簡単に壊れる力を持ちながら。それはきっと、持っているからこその余裕なのだろう。
加えて、ジルとオーウェン。あの二人はどうにかしようと動くはず。
政官に身分は関係ないなんて、建前だ。王の息子と宰相の息子が声を上げれば、無下にされることはない。
「……今のままじゃ母さんは守れない」
中庭を通り過ぎて、たどり着いたのは人気のない古い資材倉庫。
日当たりがよくないからか、足元には苔が生い茂っている。ちらと向こうを見やると、大きな王城がやけに存在を主張してきた。きっとあの城は、こういう場所があるのを把握していない。
(それで、全部見えてるって顔してるんだから、滑稽よね)
一人だから笑いを隠す必要がない。
懐から煙草を取り出して吸う。きっと、母国にいる母が知ったら卒倒するだろう。
「……珍しいな」
低く落ち着いた声。オーウェンだ。
日が出ているからか、騎士官服の上着を脱いで、その腕に掛けていた。
(……来た、予定通り)
この男は一人になりたい時があるのか、人気のないここで静かに煙草を吸っているのを私は知っていた。
警戒をされてはいけない。平静を保ちながら、返事の代わりに煙を吐いた。
私はそっと懐に忍ばせた防音魔導具を起動する。
「あそこ、日陰ができないでしょ。日に焼けるの嫌なの」
それらしい理由を作るのは得意だ。
嫌になるくらい教え込まれた。
「そういうもんか」
オーウェンは私の隣に立つと、懐から銀色のケースを取り出して煙草を出した。ジルもそうだけれど、所々で良い物を持っているので鼻につく。
ただの僻みだから口にはしないけど。
「……そういえば、カロンとキラン。それぞれ単独任務でしばらくいないんでしょ?」
「あぁ、らしいな」
他人事のような口ぶりだけど、おそらくオーウェンは詳細を知っている。
(……最初はジルに取り入って、ほんの少して情を引き出そうとしてた)
ジルがアルクセイを見ていたことは知っていた。あいつなりに諦めようとしていることも。だから、その隙間に入り込んだ。
あっさり乗ってきた時は、クズだなと思ったけど。
(万が一、私のことがバレても王族の一言があれば命くらいは見逃してもらえると思ったんだけど……上手くやれてる実感はなかった)
どうにも色仕掛けというのが苦手だ。
それも長い間、よく見知った相手。下手に態度を変えることはできなかった。
ジルは王族だから、アルクセイのことを知らされているのは予想できた。
でもオーウェンがどこまで知っているか、ずっと見極められずにいた。
けれど、あの時に確信した。
二人とも、知っている。
(ジルは、保険だった。……でも、オーウェンが知っているなら話は別)
オーウェンがアルクセイをどう想っているかはわからない。けれど、この男があの子を本当の意味で粗雑に扱うことはないだろう。むしろ、一番気に掛けてる。
だから、私はアルクセイにそういうふうに接しなかった。
「……バレた時、たぶん一番ブチギレるのはあんただと思うから、事前に言うわね」
「は?何だよ急に」
オーウェンは眉間に皺を寄せ、私を見下ろす。
当然の反応だ。
でも、のんびりしていたら分が悪くなる。
「オーウェン、これは亡命よ」
「……」
金色の瞳が細くなる。
心臓が早鐘を打たないようにするやり方なら叩き込まれていた。
「私、ニルス生まれのナイアス育ちなの。……この意味、わかるわよね?」
オーウェンが目を大きく見開く。
こういう表情を見られる日が来るなんて思わなかった。
オーウェンは取り出したばかりの煙草を吸うことなく、そのまま手を下ろした。
威圧感。
その目は友人に向けるものではなかった。
肌が粟立つ。背中が冷える。なのに汗が滲む。
「……お前、自分が何を言ってんのかわかってんのか」
「もちろん、だからこういうこともしてる」
懐に入れていた防音魔導具をちらりと見せる。
「私はトランディアの生まれじゃない。ニルスで生まれて、ナイアスで暗殺者として育てられた。……アルクセイを見張るためだけに」
——ナイアス。
契約魔法によって場所を秘匿された小国。
あの国は身寄りのない子どもを集め、暗殺者として育て上げて、売る。
そういう国だ。
「言ったでしょ、亡命だって」
ジルではなくオーウェンを選んだのは、この男の信用を得た方が生存確率が上がるからだ。
「私と母を助けてほしい」
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