57. 鳥はさえずる、ただ困ってる
王庁の資料室は学園の図書館よりも紙とインクの匂いが強く立ち込めていた。私はその隅で椅子に座っていた。膝の上に二十年以上前の資料を置き、ページをめくる。
ここ数日、私はシェラウザ局長に許可を取って、昼休みに母さんの足跡を辿っていた。母さんの筆跡、どういう仕事をしていたか、どう生きていたのか。その一端に触れていた。
「ドラスニール族との外交に同席……あ〜……ここで父さんと知り合ったんだ?」
口元がにやけるのが自分でも分かった。
子どもの頃からどんなにせがんでも、頑なに父さんは話してくれなかった。
あそこまで一途になれる相手ってどんな人なんだろう。けれど、それはここには書いていない。
「私が生まれる五年前……ここで名前がなくなってる」
王庁の護政官名簿を指でなぞる。さすがに退職理由はどこにも載っていない。
「……ここまでにするかぁ」
私は伸びをしたあと、資料を棚に戻した。
カンザキがいた頃は、昼休みなんて余裕がなかった。
「今日は早上がりだしね」
脚立を降りて、扉の前まで進むと私は振り向いた。
「……また来るね、母さん」
♢
魔導列車に乗り、時計の針が半周すると、ロレンティアのトルドー領に着く。
駅から出ると、王都とは違うのどかな街並みが続いた。彼女が住むトルドー領は、至る所で花が咲き誇っていて、ついつい目を奪われてしまう。
ロレンティアの発案で、オルヴァッキが里帰りする前に学生の頃のように、みんなでベッドの上でお喋りしようとなった。夕方ごろにみんなが集まると、ロレンティアは嬉しそうに出迎えてくれた。
広めの部屋に、ベッドを二つくっつけた天蓋付きのベッド。内側も彼女の魔法で花で綺麗に飾られていた。
ロレンティアがみんなに用意した寝巻きは柔らかくて肌触りも良く、品よくフリルやレースがあしらわれている。相変わらずセンスが良い。
「とにかく、アルクセイが元気そうで良かったよ」
ソナはベッドの上で胡座をかき、頬杖をついていた。とても不機嫌そうだ。
原因は先程までしていたカンザキの話題だ。春の式典には、ソナも師匠と一緒に招かれていて、あの騒動を目の前で見ていた。
「本当よ、王庁に行ったらびっくりするくらいやつれてたんだから」
優雅に腰掛けたロレンティアはワイングラスに口をつけ、私を呆れたような目で見た。どうやら既に酔いが回っているようだった。
「もう解決した話だから……」
話を早く切り上げたい。最近は思い出すだけで、胃のあたりがぎゅっとなる話ばかりだった。あの幽霊騒動も何だか納得できない終わり方だったし。
私はベッドの上で後退りをして、別の話題を探した。
「そ、それよりソナ。恋人とはどうなったの?」
「……別れましたけどぉ?」
「ご、ごめぇん……」
どうやら私は話題のチョイスを盛大に間違えたらしい。ソナは私をジトっとした目で見返した。
「まっ、もういいけどね!カロンに思う存分愚痴ったし」
ソナはため息を吐きながら、後ろに手をつく。
私たちは顔を見合わせた。
「……ソナってカロンのこと、どう思っているの?」
不安げにクッションを抱え、おずおずと顔色を窺いながら、オルヴァッキが核心をついた。皆がなかなか聞けないことを聞くのは、いつもオルヴァッキだ。
「うーん男友達?いい奴だよね、ノリが合って楽しいし」
「でも、でもさ?卒業パーティーで踊ってたよね……?」
「それ、オルヴァッキが言う〜?」
ニヤニヤと悪い笑みを浮かべると、ソナは四つん這いになってオルヴァッキのおでこをつんと突いた。そういえばこの子もキランと踊っている。
ここで口を挟むと面倒なことになると悟ったので、私は黙ることにした。
「……ちょーっと気になってた時期はあったけどね」
「へぇ、初耳」
それまで仰向けになって天井を眺めていたメーベルが、寝返りを打ち、上半身を起こした。
「私が近づこうとしても、あっちは距離を詰めてこないんだよね。気付いてるはずなのに。多分向こうも女友達としか見てないんじゃないの?」
「あいつが?」
「うん。カロンって軽いじゃん?だから、んー……何ていうか……私じゃないんでしょ」
——それは、ない気がする。
だって卒業パーティーで、カロンはあんなにもソナと踊りたがっていたのだから。
これはそのうち、カロンに問いただす必要がありそうだ。
「私のことはいいのよ、楽しい話になんないし。それより、ロレンティアは?新しい恋の話とかないの?」
ソナはその辺に散らばっていた花を摘むと、ロレンティアに向けて指で弾いた。ロレンティアはそれを見事にキャッチする。意外な行動に私は驚いた。顔をよく見ると、心なしか目が据わっている気がする。皆、それなりにお酒は入っているけれど、ロレンティアだけは、まだ飲み続けているのだ。
「……あんまり言えないけど婚約話は出てるわね」
「「「「え」」」」
初耳だった。
思わず顔を上げると、みんなも同じような顔をしていた。
ソナが混乱した顔でロレンティアに詰め寄った。
「え、何、誰、待って、そもそもジルはどうしたの!?」
「「ジル!?」」
今度は私とオルヴァッキが混乱する番だった。
この話の流れで別の人の名前が出るって、それは、つまり、そういうことだ。
呆然と口を開けた私の顔は、さぞ間抜けだったのだろう。ロレンティアは少し困ったように笑って、髪を耳にかけた。
「少しね、好きだったのよ。でも、ほら。立場的に言えないでしょ?」
そういえばロレンティアは、初めて出会った時には、既に家を継ぐことを決めていた。伯爵令嬢の彼女が王族に嫁ぐことはあっても、その逆は……おそらく難しい。
学生の頃、私はロレンティアの一番近いところにいると思っていたが、どうやら何もわかっていなかったらしい。
(何やってんだ、私……)
一人自己嫌悪をしていると、視界の端のメーベルは、いつもと同じ顔をしていたけれど、どこか気まずそうに見えた。もしかしたらメーベルも、私と同じなのかもしれない。
「貴族の長子だもの。恋愛結婚なんて最初から期待してないわ」
何て返せば良いか、わからなかった。
だって私は彼女の立ち位置にはいないから、同じ目線で話ができない。どんなに励まそうとしても、きっと真面目なロレンティアは私の気持ちしか受け取ってくれない。
「私のことより、アルクセイ」
ロレンティアが顔を上げた。目が合う。
嫌な予感がする。
「あなた、オーウェンのことはどう思ってるの?」
「はぁ?オーウェン?」
何でここでオーウェンが出てくるのか。ロレンティアの意図がまったくわからない。
「今、恋の話じゃないの?」
つまり、オーウェンは関係ないはずだ。
私がたじろいでいると、ロレンティアは半目でメーベルを振り向いた。
「……メーベル」
「もうここまで来ると、罪深いわよね」
「はぁ?」
「オーウェンが可哀想……」
「オルヴァッキまで!」
そっちだってキランとはどうなんだと口を開こうとしたら、ソナが立ち上がり私に人差し指を突きつけた。
「オーウェンは!アルクセイが好きなんだよ!!」
あんぐりだった。おそらく見事なまでのあんぐりだった。
開いた口が塞がらないとは、このことだ。
「あー……」
私は一度天井を眺めた。
天蓋って、私の部屋でも置けるのかなあと関係ないことを考えた後、現実に向き合った。
「ないでしょ。向こうだって、貴族だし。あいつ、自分のことはあんまり話さないけど、ロレンティアみたいに婚約話とかもあるんじゃない?それなのに、おちおち恋愛とかしないでしょ」
「それは建前でしょ!本音は、」
「いやいやっ……ははっ、ないない!あいつが私を?ありえないってば……!」
あまりにも突飛すぎて私は吹き出してしまった。
ベッドの上でお腹を抱えて転がる。
「面倒見が良いだけでしょ!それにいまだに猿とか言ってくるし!!」
「オーウェン……まだそんなことを……」
視界の端で、ロレンティアが額を押さえているのが見えた。
「あー……笑ったら疲れて眠くなってきた。端っこで寝かせてもらうね」
私は四つん這いで端まで行き、シーツをめくった。花の良い匂いふわりと香る。潜り込んですぐに目を閉じた。シーツの向こう側でソナの「逃げた!」という声が聞こえたけれど、気にしない。気にしないったら気にしない。
(あいつが私を好き?……いやいや、ないでしょ。…………うん)
そういうのは、なんか、ちょっと。
うん。
やめてほしい。
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久々のアルクセイ視点でした。
トルドー領は花の産地です。




