55. 確信と確定
※三人称視点です。
※ホラー描写があるので苦手な方はご注意ください。
魔導具でほのかに照らされたアルクセイの顔は、いつもより赤かった。彼女もそれなりに酒は強い。醜態を晒すようなことはしないが、強い酒を一気にあおればこのようにすぐに赤くなる。
「お前、いい加減離れてくんない?歩きづらい」
心底迷惑そうな声でオーウェンは言った。
脇腹にはアルクセイがしがみついている。
「絶対にやだ。道連れにするならオーウェンしかいない」
「良かったじゃん、オーウェン。熱烈ラブコール」
「あんたでもいいんだよ、カロン」
「荷が重ぇわ」
軽率に茶化したカロンをアルクセイがぎろりと睨む。彼は両手を上げてアルクセイたちから少し距離を取った。
「で、階段だっけ?」
階段の前に差し掛かると、キランが振り返った。
「……うん」
アルクセイは小さく頷いた。
キランが階下を覗くが、そこには何の変哲もない、いつもの深夜の階段があるだけだった。
「まあ、雰囲気はあるよね」
「雰囲気があるからいけねぇんだろ」
オーウェンはため息を吐いた。
共舎自体が古い建物で、照明魔導具の頼りない明かりも相まって、やけに雰囲気が出てしまっていた。彼は以前、魔法騎士団にある過去の事件資料を漁っていた時に、似たような案件をいくつも読んだことがある。つまり、怖がりには打ってつけのシチュエーションなのだ。
足を踏み出し、ゆっくりと階段を下りていく。
足音と六人の息遣いが暗闇の中に溶け込んでいく。
——三階。まだ何もない。
——……二階。いつも通り。
——…………そして、一階。
「魔導具の痕跡も魔力香もなし、だな」
カロンは器用に手の中にある小灯魔導具をくるりと回してみせた。
下りていく最中、雑なカロンにメーベルが指示をして隅々まで照らしたが、それらしいものもない。
アルクセイが話していた、迫ってくる無数の手も、声も、終わらない階段も、何も。
「うーん……何もないってことは見間違いか本物かのどっちかなんだけど……」
ちらりとジルベルトはアルクセイを見た。彼女があそこまで取り乱したところをジルベルトは今まで見たことがない。それに身体中に残っていた手形。
(誰かの悪戯であれば、痕跡が残るはず。あるいは彼女に明確な悪意を向ける誰かがいて、痕跡が残らないように徹底した)
本物の幽霊よりは、人間の仕業のほうがまだ平和的な気がする。だが、何も掴めない今、これ以上はどうすることもできない。
「アルクセイ、休み明けにでも局長に報告して神官の派遣依頼を出しましょ」
「……わかった」
メーベルの提案にアルクセイは釈然としない表情を浮かべながらも頷いた。それが今一番の落とし所なのを、彼女もわかったのだろう。やっとオーウェンの服から手を離した。
「じゃあ戻ろっか」
キランが踵を返した時だった。
何を見たのか、彼の表情が強張る。
その異変に気づいた皆が、後方の階段……その先の踊り場へと目を向け、絶句した。
手。
手。
手。
正確に言うと、踊り場は見えなかった。
いつからそこにいたのか。まるで気配がなかった。そこには、無数の手が幾重にも連なり、壁のように面となって、その全てがこちらへ向いていたのだ。
手のひらには、瞳孔がぎょろりと動く目が。
あるいは女のような口が。
あるいは子どものような耳が。
……あった。
魔獣とはまったく異質で、もっと根源的な恐怖が湧き上がるような……そんな見た目だった。
「……っ!」
誰もが動けずにいた中、一番に動いたのはオーウェンだった。
そばにいたアルクセイを片手で乱暴に押しやると、もう片方の手をかざした。
「『白閃』!!」
途端、その場は白い閃光で包まれた。
「呆けてんな、走れ!!」
オーウェンはアルクセイの背中を叩く。
一同はその声に、もしくは雷魔法で我に返り、言われるがまま廊下を走り始めた。
「何!?なになになにあれ!!??」
半泣き状態のキランが、叫ぶように聞くが誰もその答えを持っていない。誰もが必死に廊下を走る。
「……っていうか、廊下こんなに長くないわよね!?」
メーベルが叫ぶ。
体感ではもう食堂の前まで来ていてもおかしくなかった。
おかしい。
あまりにもおかしすぎて、カロンはもはや笑うしかなかった。
「やっべーマジもん来ちまったなぁ!」
走りながらカロンが手をかざす。
「『フィフェルニア神よ、羊飼いの民が御身の獣を借り受ける!』」
するとどこからともなく風が渦を巻いたかと思うと、三本の角を持つ大きな黒山羊がカロンと並走するように出現した。
「……ジル!あとは……えーっとメーベル!文官組は乗っとけ!そいつめっちゃ速いからいけんだろ!」
黒山羊は乗りやすいように、首を低く下げた。
それに慣れた手つきでジルベルトが乗ると、近くを走っていたメーベルの腕を問答無用で掴み、引き上げた。拒否権など全くない一瞬の出来事に、メーベルは声を上げた。
「ちょっと!アルクセイは!?」
「いつも戦闘民族だの何だのって威張ってんだからいーんだよ!なっアルクセ……」
カロンが振り向く。
「ムリムリムリムリムリムリムリムリムリぃ……」
そこには泣きながら、弱々しい声を出すアルクセイがただ走っていた。
いつもはその足の速さを自慢にしていたのに、恐怖からか今にも足がもつれそうだった。彼女の後ろ……その向こうからはあの得体の知れない幽霊が、無数の手を伸ばしこちらを追いかけている。
カロンはその光景を見た後、前へ向き直った。
「ごめん、ダメそうだった!」
「でしょうね!!」
アルクセイの想定外な情けない姿にカロンはさらに笑い、メーベルは額を押さえた。
「けど、黒山羊は定員二名だし、こいつはオーウェンが何とかすっから!!」
「いや何で俺が」
「護衛騎士!!!!」
勤務時間外だと反論したくなったが、オーウェンはその言葉を飲み込んだ。
今はそういう場合じゃない。
『助けて』『辛いの』『おねガァい……』
先ほどは『助けて』だけだったのに、レパートリーが増えている。
それだけでアルクセイを更に恐怖させるのには十分だった。
「なにあれぇ……」
「……聖霊が瘴気を浴びると、瘴気同士が癒着して離れなくなるって、師匠が言ってたな」
「誰、その師匠ってぇ……そんな話、聞いたことも読んだこともないんだけど……!!??」
「……」
オーウェンは口元を押さえた。
無自覚だったが、自分も相当慌てているようだ。じゃなければ、こんなことを口走らない。
オーウェンはアルクセイの質問には答えず、身体を捻ると後方へ人差し指を突き出した。
「『雷刺』!」
指先から紫電が迸る。
それはまっすぐ、幽霊へと走っていった。
(癒着してんなら、どっか楔でも打ち込めば……!)
しかし、その思惑はあっさりと散った。幽霊の無数の手のうち、口のついた一本が伸びてきた。その口は、およそ人の口とは思えないほど大きく開くと、紫電を飲み込んだのだ。
「チッ……」
攻撃魔法が効かない。
今まで大抵の魔獣は攻撃魔法で対処できた。
(せめて鎮静魔導具でもあればな……)
おそらく効果があるのは聖属性魔法。
しかしこればっかりはどうにもできない。
すると、すぐ下の方からアルクセイの震えた声が飛んできた。
「や、やぁい……!天才が聞いて呆れるぅ……!!」
「ビビってんのに無理に煽ってくんな!」
「気が紛れるかと思ってぇぇ〜〜!!」
オーウェンは前に向き直る。
カロンは黒山羊に集中しているから、魔法を打てても精度に問題がある。キランもすっかりビビっていて当てにはならない。
どうするか、オーウェンが思考を巡らせている横で、ベシャッと音がした。
「いだっ!!!!」
アルクセイが転んだのだ。……それも顔面から。
一瞬、呆れかけたが、思えば、いつ転んでもおかしくないくらいに足取りは頼りなかった。時間の問題だったのだ。アルクセイはしまったと慌てて上半身を起こすが、既に遅かった。
身体がグッと引き戻される。
足元を見ると、無数の手が彼女の足を掴んでいた。
「っひ……!!」
もはや悲鳴にもならない。
悪夢の中のように、舌がもたついてうまく言葉が出ない。
「アルクセイ!!」
オーウェンが立ち止まる。
その声に気づいて、カロンとキランも「あいつ転んだの!?」と立ち止まった。
遠くから近づく黒山羊の足音に、オーウェンは気づいた。
おそらくジルベルトたちが異変に気がついて、戻ってこようとしているのだろう。
『おねガァい……』
『グルじぃの……』
『助けて……』
手はどんどんアルクセイの足を締め上げていく。
オーウェンが手をかざした時だった。
「もうっ……!!無理だってばぁ…………!!!!」
アルクセイの情けない声と共に、彼女から白い光が放たれた。
その光は膨らむように広がると、すぐに辺りを包んだ。
雷魔法でも、五属性のどれでもない。それよりも遥かに穏やかで暖かいものだった。
嗅ぎ慣れた柔らかい魔力香が、オーウェンの鼻を掠めた。
彼は咄嗟に風魔法で室内の空気を一気に押し流す。代わりに、オーウェン自身の魔力香が室内を満たした。白い光が徐々に薄くなって、消えていく。
そこにはもうあの幽霊はいなかった。
代わりにあるのはいつもの何の変哲もない廊下だった。
「何、今の……」
黒山羊の上で、メーベルが呆然と呟く。
その声に気づいて、オーウェンが振り向いた。ジルベルトと目が合う。
——見たか?
——見た。
目だけでやり取りができてしまうくらいに、二人にとって何の言い逃れもできない状況だった。
それでも言い逃れはしなくてはいけない。
「俺の雷魔法。一度、目眩しが効果あったからダメ押しでやったら効いたみたいだな」
「え、でも今の雷魔法の魔力練成じゃ……」
「雷魔法」
何でお前がそこに突っ込むんだとオーウェンは自分のこめかみが痙攣するのを感じた。アルクセイに手を差し出すと、彼女は素直にその手を掴んで立ち上がる。自分よりも、華奢で小さな手に、オーウェンは眉を顰めた。
「そういえば、オーウェンは属性魔法を相手に気づかれないようにする研究してたもんね」
ジルベルトはそう言いながら黒山羊から下りると、メーベルに手を差し伸べた。だが、彼女はそれを無視して自分で下りた。
「はぁ?そんなのしてたか?」
「俺は聞いてないけど……」
双子が顔を見合わすが、オーウェンは「言ってねぇから」とぴしゃりと言った。
「とにかく、あの幽霊はもういねぇだろ。あとは王庁の仕事。俺はもう寝るから、お前らも自分の部屋に帰る支度しろ」
オーウェンがそう言い放つと、ジルベルト以外の面々は納得しているような、していないような、そんな面持ちだった。もう飲み直そうと言い出す者はいなかったし、そんな気分にもなれなかったのだろう。渋々オーウェンに従う形となった。
ジルベルトがオーウェンの隣に並び、友人たちの後ろ姿を眺める。
その中の黒橡色の髪に、オーウェンは目を細めた。
「確定しちゃったね」
その声は彼らに聞こえないよう配慮された小さな声だった。
『君の同級生にドラスニール族出身のアルクセイという女子生徒がいるだろう?君には彼女のことをよく見ていてもらいたいんだ』
ロッコ第一騎士隊長の言葉を思い出す。
学生だったオーウェンに、その言葉は青天の霹靂だった。
『彼女は、現聖霊王の娘で、そして聖女だ。……おそらくね』
あの言葉を聞いて以来、どんなにそうであってほしくないと願ったか。オーウェンはため息を吐いたあと、断言した。
「ジル。アルクセイが、聖女だ」
「……うん」
あの白い光。あれは紛れもなく聖属性だった。
瘴気が消え去り、聖霊も通常の姿に戻り見えなくなったのがその証拠だ。
聖霊は、わかっていたのだ。彼女が聖女だと。
だからアルクセイにだけ狙いを定め、助けを求めていた。
——卒業したら仕事を頑張って、普通に恋愛して、結婚して、穏やかに暮らすの。
あの卒業パーティーの日、ふとアルクセイが零した願いを、オーウェンは今でも覚えていた。
それも昨日のことのように、鮮明に。
彼は茶化しながらも、そのささやかな願いを叶えることを、まるで自分の使命であるかのように胸に刻みつけたのだ。
(恩人の願いひとつ叶えられなくて、人間やってる資格なんかねぇよ)
明日からまた、煙草の消費が増えるだろう。オーウェンは、シャグがあとどれくらい残っているか思い出そうとした。
いつもリアクション、ブックマーク、感想などありがとうございます。
最後の校正作業でトラブって前話と同時投稿できませんでした。
二週間ほど、執筆作業とこれまで投稿したお話を見直す時間を頂きたく思います。
読みにくい文章を読みやすい文章に直すだけなので、大幅な改編ではありません。
更新の目処が立ちましたらXでもご報告します。




