54. 酒と勢い
※三人称視点です。
オーウェン・アンブロジオは昔から聡かった。
『君の同級生にドラスニール族出身のアルクセイという女子生徒がいるだろう?君には彼女のことをよく見ていてもらいたいんだ』
クロエ・ロッコ第一騎士隊長は朗らかな表情を崩さずに、目の前の少年に告げた。
六年生の初め頃。
オーウェンは魔法使いとしてその才覚を認められ、騎士団から異例のスカウトを受けて、周りから騒ぎ立てられた。だが、その言葉を聞いた時、なぜ自分が呼ばれ、今ここにいるのか、瞬時に理解した。
『彼女は、——』
薄い唇が、その言葉を紡いだ時、オーウェンは何かの間違いであってほしいと願わずにはいられなかった。無意識に拳を握りこむ。窓の外で鳥が飛び立つ。やけに羽音が耳に残った。
学園を卒業し、しばらくしてからそのことはジルベルトにも告げられたようだった。この国の第二王子だ。そのよく回る機転と口車で、既に枢機会でも一目置かれていた。上に行くべき人間。そして自分と同じく、彼女にとって身近な友人。
『上に言われたからやるけどさ、君はどう思う?』
真夜中の共舎の中庭。ジルベルトは煙草の煙を吐いた。
細く長い紫煙は暗闇の中に溶け込んでいく。
——どう思う?
何を、とは聞かなかった。ジルベルトは誰かに聞かれる可能性を考えて、言葉を選んだのだろう。
『……もし、あいつがそうなら』
墨をこぼしたかのような夜に、大きな満月が浮かんでいた。
黒橡色の髪をした、自分を睨む青い瞳を思い出す。そういえば今日も煙草を吸っている自分を見て、眉間に皺を寄せていた。
『世も末だろ』
オーウェンは煙草の火をもみ消した。
背中の皮膚の下が、妙にちりちりする。
♢
その青い瞳はいつにも増して必死だった。
何なら涙さえ溜めていた。
「出たの!!ひたひたって!!!!階段はずっと踊り場のターンで!!!!見ぃつけたって!助けてって!!手が十本?二十本!?わかんないけどたくさん!!!!」
血相を変えて、アルクセイはオーウェンに縋りついていた。
いつの間にかいなくなったと思った彼女が、階段を駆け上がり、全力疾走でこちらへ戻ってきたかと思えば、なんとオーウェンに抱きついてきたのだ。
あまりの勢いだったので、彼の身体は少しバランスを崩した。
「え、マジで?」
カロンが目を輝かせ、身を乗り出した。
「嘘ついてるように見える!?いたの、階段!!上ってきたの!!!!」
アルクセイにしては珍しく支離滅裂で、取り乱しているのは一目瞭然だった。
だがその場にいた者たちは彼女が何を伝えようとしているのか、単語の組み合わせである程度は理解できた。
「お前な……ビビりすぎて幻覚でも見たんじゃねぇの?」
よくある話だ。
恐怖心から、何でもないものがソレに見えてしまう。
本来なら引き離すべきところだが、よほど怖かったのだろう。
オーウェンは落ち着かせようと、背中に手を回しかけて、ふと、震える彼女の首に目が留まった。
「何だこれ」
「ぐぇ」
オーウェンはアルクセイの顎を掴み、上を向かせた。突然のことにアルクセイは間抜けな声を出したが、からかう暇はなかった。
小灯魔導具で僅かに照らされた首には、人の手で掴まれたような赤い痕がくっきりと残っていたのだ。
「ちょっと……洒落にならないわよ」
メーベルが険しい顔で、アルクセイの手を取る。手首や腕にも同様の痕がくっきりと残っていた。
「だから言ってるんじゃん〜〜……!出たんだってばぁ……!!」
身体は小さいが態度だけ無駄に大きいアルクセイが、この時ばかりは小さな子どものようだった。
オーウェンたちは顔を見合わせた。……双子だけは妙に目が輝いていたが。
「わー、こうなるといよいよだねぇ」
ジルベルトが膝を折ってアルクセイを覗き込む。彼は時折、彼女の手を取っては丁寧に痕を観察した。
「しかも男の手から子どもの手までよりどりみどり」
「ヒュッ」
アルクセイの喉の奥から変な空気の音がした。その顔は今までにないくらい青ざめていたが、恐怖が臨界点を超えたのか、今度は目が据わり始めた。
「さっきまでの記憶を消したい。正気なんて保ってられない。狂いたい」
妙に早口だった。
どう声をかけるか、一同が顔を見合わせる中、キランだけが少し困ったような顔をした。
「えぇ〜……じゃあ酒飲む?」
「飲む」
即答だった。酒で良いらしい。
オーウェンが静かに肩透かしを食らう中、キランがオーウェンの部屋から、酒とグラスを取ってきた。
持ち寄った酒の中で、一番強いものだった。キランらしい。
アルクセイは礼を言ってそれを受け取ると、すぐに口をつけた。よく確かめもしなかったようで、二口三口と飲んでから、ようやく口を離した。
「誰かがふざけて魔導具を設置したとかじゃないの?」
「あ、それはない。起動音は一切なかったから」
少し落ち着いたのか、メーベルの疑問にアルクセイは即座に返した。動物のように五感の鋭い彼女がそう言うのなら、間違いないのだろう。
「でも誰かの悪ふざけって線はありそうだね」
「……言っとくけど、俺らじゃねぇよ?」
ジルベルトの考えに、カロンがすかさず釘を刺したので、ジルベルトは笑った。
「わかってるよ、君らはちゃんと一線は越えない」
それはかつて城で一緒に過ごしたことがある友人としての信頼だった。幼い頃は何度も一線を越えようとして、ロレンティアに酷く叱られた。
彼女が本気で怒ると怖い。
そのトラウマがしっかりと今でも根付いていることを、ジルベルトはよく知っていた。
「悪戯だったら、まだ魔力香の匂いが残ってるかもな」
オーウェンの発言にアルクセイが顔を上げて、彼を睨んだ。酒を飲みつつも、もう片方の手はしっかりとオーウェンの服を掴んでいる。その手に僅かに力が入っているのがわかった。
「……私、嫌だからね?」
「嫌も何も、もし本当に幽霊だったら目をつけられてるお前がいなきゃ話になんねぇだろ」
オーウェンの物言いに、ジルベルトは苦笑した。
突き放すような言い方をしているけれど、この合理的な男は幽霊なんてそもそも信じていない。夏女神の季節になると風物詩のように新聞の片隅に載る幽霊話を、鼻で笑うやつだ。
おそらく、アルクセイをあえて連れて行って、何かの見間違いで、誰かの悪戯だったのだと本人に納得させるつもりなのだろう。昔から優しくないようで、優しいやつだ。アルクセイが掴んでいるその手も振り払わないのが何よりの証拠だ。
(ただ、アルクセイの顔をもう少しよく見てほしいな)
アルクセイは酷い顰めっ面で、オーウェンを睨んでいた。それをこの男はまた性懲りもなく嘲笑うのだ。
そんな彼の様子にジルベルトは嫌な予感がした。傍にいるメーベルも、呆れたと言わんばかりにため息を吐いた。
「もしかしたら自分の仕事の領分かもしれねぇのに、感情でやるやらないを決めんの?」
アルクセイは真面目だ。特に何かを任されたら責任持ってやり遂げようとする。加えてカンザキの件もあり、無責任な言動を忌避するようになった。
彼女はぐいっとグラスを傾けて、残っていた酒を全て飲み干した。
「んなわけないでしょ!やってやろうじゃん!!」
悪い意味でオーウェンはアルクセイの扱い方を心得ていた。
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KURUITAI!




