53. 共舎の幽霊
※ホラー描写があるので苦手な方はご注意ください。
共舎の部屋は全て同じ間取りにはなっていない。
希望者は部屋が空いていれば広い部屋に住むことができる。もちろん、毎月の支払いは増える。稼ぎの良い政官か、実家からの支援が厚い政官が住んでいるのだ。
オーウェンの部屋は広い。
私の部屋より広い。
いつぞやに「どうせ実家からの支援でしょ!」と言ったら「ガートルードさんがそういうことをすると思うか?」と返された。思わない。
オーウェンが私より稼ぎが良いのは、薄々わかっていた。上から目をかけられているし、仕事量も圧倒的に多い。当然といえば当然なんだろうけれど、憎たらしい。
一人で暮らす部屋に椅子は何脚も必要ないので、オーウェンはいつも私たちを雑に床やソファに座らせる。私たちも特に文句はなく必要であれば自分の部屋からクッションなり持ってくるので、この男の部屋は自分の物だけでなく私たちの置き土産があちこちにあった。
「共舎に幽霊?それが本当なら神官の手配が必要だね」
片手にグラスを持ったジルが床に座り、特段驚く様子もなく言った。問題があるならすぐに対処すれば?と言わんばかりの事務的な返答だった。
「……神官って本当にどうにかしてくれるの?」
ソファに座った私は隣のメーベルにくっついていた。今日は文字通り、離れるつもりはない。
「ニルスの神官って、仕事が雑だしね。この前も加護の力量が狂ったって報告受けて行ったら、結局原因は必要な供物がなかっただけって聞いたし」
メーベルは私を振り払うことなく、乾き物を噛んだ。
ここ一年仕事をして得た神官への所感は『仕事ができない』。
この一言に尽きる。
とにかく雑で適当なのだ。他国からの使者だから仕方ないのかもしれない。
「さあね?でも放置してる方がよっぽど問題じゃない?」
確かに、このまま放置すれば生活に支障をきたすだろう。
ただ気が重い。
施設の管理は王庁がまとめて担当しているのだ。ジルは枢機官だから、簡単に正論を言うけれど、対応するのはこっちだ。仕事だからもちろんやるけど。
私とメーベルは何も言わず、酒を一口飲んだ。
「ていうか、いつまでアルクセイはメーベルにくっついてんの?」
つまみの燻製魚を黙々と食べていたキランが、ふと顔を上げた。おそらく彼のことだから、会話の切れ目を見つけたら聞くつもりだったのだろう。
端で行儀悪く椅子の背もたれを前にして座っていたオーウェンが、からかうように意地悪く笑った。
「幽霊が怖いんだってよ」
「怖いですけど、何か?問題でも?」
即座に返した。たぶん早口だったと思う。
きっとこの男の中では私が噛みついてくると思ったのだろう。虚を衝かれたような顔をした後、呆れたようにグラスを傾けた。
「じゃあ、肝試しでもやってみる?」
酔いが回ってきたのか、カロンは後ろに手をつき、だらけた姿勢で意味のわからないことを言い始めた。
「何でそうなるの」
半眼で睨むけれど、カロンは意に介すことなく、酒を飲む。
「余興。アルクセイがどんだけ怖がるか」
「ふざけんな」
私は思いっきり手元にあったクッションをカロンに投げつけた。容赦のない一投だったので、カロンが「ぶふぉ」と間抜けな声を出しながら、体勢を崩す。それでも酒は零さないので立派だ。隣のキランが楽しそうに笑った。
「出たら出たで、お前ら護政官組も報告しやすいんじゃねぇの?」
「まあ、そうね」
隣に座るメーベルが淡々と答えた。
「えっ、やだよ?私行かないからね?」
「いいんじゃない?ただこの部屋に残る人、いる?」
誰も手を挙げない。
「俺は水取りに行くからついでに」
オーウェンが立ち上がる。
さすがに「馬鹿らしいから」とか何とか言うかと思ってたのに。
オーウェンに続いてジルが立ち上がる。その顔はどこかワクワクしていた。
「俺は楽しそうだから」
そうだ、ジルは学生の頃から楽しそうと思ったことには腰が軽い。
「俺はアルクセイと二人で部屋にいるの無理だから」
「おいこらキラン」
あまりに正直な物言いに突っ込むと、「クッション投げられたくないんだもん」と返されたので口ごもる。
頼みの綱であるメーベルに、ゆっくりと目を向ける。一度目が合うとメーベルは立ち上がった。
「あんたがずっと引っ付いてるせいで、煙草吸えないのよ」
「禁煙しよ!!??」
オーウェンの部屋で私は叫んだ。
♢
深夜の共舎では、壁際に掛けられた照明魔導具が僅かに明滅を繰り返している。何となくいつもとは違う。そのおかげで雰囲気たっぷりなのが恨めしい。
私はメーベルの腕にしがみついて、余計なものを見なくて済むように足下をずっと見ていた。
「それにしても意外。君、こういうの苦手なんだね?」
前を歩くジルが面白そうに笑った。
「物理でどうにもならない相手は嫌なんですって」
「あぁ、そういう苦手ね」
少し臍を曲げている私を見抜いて、メーベルが代わりに答えた。
「……ふん」
敵としての対処法がわからないという怖さもあるけれど、何より子どもの頃におじさんたちがふざけて怖い話をして脅かすものだから、すっかり苦手になってしまったのだ。
あの時は父さんが珍しく止めてくれたのを今でも覚えてる。
「幽霊騒ぎの大半は勘違いだろ。お前みたいに変に怖がるから見間違える」
「オーウェンうるさい。何もないところで転んでしまえ」
「ダメだよ、オーウェン。彼女、今は気難しいから」
ジルはオーウェンの肩を愉快そうに叩いた。オーウェンは「そうしとく」と少し馬鹿にしたような言い方をしたので、私は前を歩く二人の踵を黙って睨んだ。
言い出しっぺであるカロンが小灯魔導具を持ち、廊下の先を歩く。
途中、食堂で水をピッチャーに注ぎ、ロビーまで差し掛かったあたりだった。
「なんもねぇな、つまんね」
興が醒めたような態度だった。
酔いが少し抜けたのだろう。
「やっぱりただの噂だったんだねぇ。どうする?戻って飲み直す?」
キランの提案に、私は首をぶんぶんと縦に振った。
「アルクセイのこれにも飽きたから、私は賛成。そもそも幽霊とか興味ないし」
「飽きたって」
私は必死なのに。
メーベルの腕をぎゅっと掴む。口では辛辣な物言いだけれど、彼女が私の腕を振り払うことはなかった。
「じゃ、そうしようっか」
ジルの言葉に私は胸を撫で下ろした。
ロビーで折り返して、オーウェンの部屋へと、みんなで来た道を引き返す。
ひた……
階段に差し掛かった時だった。
静かに、けれど何か確実に異質な音が聞こえたのだ。
——待って。
「え?」
反射的に振り向く。
そこには何もない。ただ、静寂に包まれている。
魔導具で照らされているはずなのに、踊り場の向こう、その足元は暗闇に沈んでいる。
ジジジと魔導具の動作音と共に、灯りが揺れる。
「ね、ねぇ、今」
前に向き直った時、私はその続きを言えなくなった。
……誰もいない。
掴んでいたはずのメーベルの腕も、いつの間にか手から離れていた。
(何で、どうして?)
事態を飲み込めずに立ち尽くしていると、暗闇の奥から音が聞こえた。
ひた……ひた……
素足で冷たい床を踏むような音が、徐々に大きくなってくる。
暗闇の向こう、そこから薄くぼんやりと、青白い手が浮かぶ。
なぜか、身体が動かなかった。
これ以上、見ない方がいい。すぐに走って、みんなに合流しなきゃ。
頭の中で警報が鳴り続けているのに、動かない。
青白い手が、その指先が、ぐっと壁を掴む。
『みぃつけた』
「……っ」
息を呑む。
手は壁をひたりと掴んだと思うとこちらに向かって伸びてきたのだ。
「っぎゃああああああああああああ!!!!」
もう耐えられなかった。
自分でも驚くほど大きい声を上げた。深夜だろうと関係ない。誰が起きようとも関係ない。むしろ起きて、駆けつけて、私を助けてほしい。
やっと動いた身体で、私は手すりを掴んで飛び越え、階段を駆け上がる。
足の速さには自信がある。きっとすぐに追いつける。
「何で……!踊り場が続くの……!!」
上っても上っても、あるはずの階に辿り着けない。見えるのは踊り場だけ。
『助けて』
『助けて』
声がどんどん増える。
さっきまで遠かったのに、ぐんぐん近づいてくる。
『助けて』
『助けて』
『助けて』
『助けて』
『助けて』
『助けて』
『助けて』
耳元で無数の声。それも全部違う声だった。
視界の端から伸びる青白い手が、私の腕を、足を、首を掴む。
無我夢中でそれらを振り払い、やっと現れた階に辿り着いた。そのまま廊下を全力で走り、見えてきた人影のどれかに私は抱きついた。
「出た!!!!!!!!!!!」
顔を上げると、オーウェンが「はぁ?」と顰めっ面で私を見下ろしていた。
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