52. 噂話
「あ゛〜〜〜〜……」
浅めに張られた湯船に寝転びながら、私は思わず声を漏らした。
自分でも驚くほど気の抜けた低い声だったが、今はどうでも良かった。
仕事終わり、王都の中央区に新しくできた市民向けのスパへ、メーベルと共に来た。背の低い建物が多い街並みにできた高層の建物は誰の目にも留まるため、前から気になっていたのだ。
経営者はオブライアン商会。
エマの実家だ。
工夫を凝らした湯船が数種類もあり、追加料金を払えば最新のマッサージも受けられる。手が届かないわけではないが、ちょっとだけ高級路線で市民にとってご褒美感覚だ。
予約制で人がごった返すことはないのでゆっくりできる。
そんな場所に来られたのは、エマのおかげだった。
『春の式典では大変心配しましたわ。私は女官として働いておりましたので、大広間での顛末は他の方からよぉく聞き及んでいます。小言は多々ありますが、まずは労いを』
そんな内容の手紙と共に同封されていたのはこのスパへの招待券だった。
『メーベルと一緒に』の一言と共に二枚入っていたので、お言葉に甘えてメーベルを誘ったわけだ。
エマも来ればいいのに、と思ったけれど、貴族は公衆浴場には慣れていないらしい。
「毒素という毒素が抜けたわ」
隣でそれまで湯船に浮かんでいたメーベルは、半身を起こして、すっかり気の緩んだ声で言った。
「煙草なんて吸わなければいいんだよ」
休み時間になると、メーベルはすぐに中庭の隅へ行き、他の政官たちと煙草を吸う。私はそれをいつも遠巻きに見ている。
「あれがないと仕事にならないの」
「終わってる」
「仕事がね」
否定をする気が起きなかった。
ひとつ片付けては三つ増えていく仕事は何かの呪いではないかと疑うほどだ。
「そういえば」
ふと、ずっと気になっていたことを思い出した。
あの時は余裕がなくなって特に気にしていなかったことが、今になってやっと気になってしまったのだ。
「メーベルの部屋に何度かジルが来てたの、なんで?」
それまで手のひらで湯を掬ってはこぼしていたメーベルの手が一瞬止まった。
「野暮用よ」
そしてすぐにまたお湯を弄びはじめた。
「野暮用って?」
「カンザキ関係」
そんなの、ジルから聞いたことない。
私が訝しんでいると、メーベルはニヤリと笑ってお湯を私の顔へ引っ掛けた。
「わっ」
「そんなことより、あんた大丈夫?」
「っは!?何が!!」
突然、お湯をかけられたものだから、私は驚いて目に入ったお湯を手の甲で拭っていた。
そして視界に入ったメーベルは、実に意地悪そうな顔をしていた。
「共舎に幽霊が出るって噂」
「……は?」
にやにやと面白そうに笑うメーベル。
幽霊という単語に、私は思わず後ずさった。それに合わせてお湯が跳ねる。
「共同浴場前の廊下、あそこに出るって話よ?夜中に歩いていたら、ペタペタって後ろから誰かの足音が……」
「ちょ、ちょっとやめて」
耳を塞いでメーベルから距離を取る。
「アルクセイってこういう話、学生の頃から苦手よね」
「だって、幽霊ってニルスの神官でも対処が難しいって話だよ?殴れない、魔法も効くかわからないって、遭遇したらどうすんの」
幽霊というのは一説によると、神々の子どもたちである聖霊が瘴気を受けて変貌した姿らしい。聖魔法で鎮静した話も大昔にはあったそうだけれど、今では聞かない。
学者たちがその正体を解き明かそうとしているけれど、未だ解明されていない。
幽霊なんて、こうやって眉唾物として噂が飛び交うことがあるけれど、その噂というのが私には厄介で、どうにも怖がらせるためにあれやこれやと話を盛るのだ。悪戯に恐怖心を煽るので、私は嫌いだ。大嫌いだ。
「もうやだ、メーベル、責任持って今日は一緒に寝てよね」
決めた。
断られても絶対にベッドに潜り込んでやる。
私は立ち上がった。ちょうどのぼせてきた所だ。
メーベルは私を見上げて、面白そうに笑っていた。
「あんたの部屋ならいいわよ。帰りに商店に寄ってお酒でも買ってく?」
「……買ってく」
「あんたならそう言うと思った」とメーベルはけらけらと笑った。
♢
紙袋に酒瓶を二本抱えて、私とメーベルは帰路についた。エマのおかげで、肌はつやつやで、身体も心も軽い。ついでに明日は休日なので、足取りも弾む。
すっかり暗くなった道は雰囲気がある。さっきの話もあって、共舎へ続く並木通りが悪い仕事をしている。
「……あんた、さっきの話、まだ引きずってる?」
いつもより私の口数が少ないことに気がついたのか、メーベルが少し呆れたような声で言った。
「……引きずってない」
「悪かったわよ」
「引きずってないってば!」
「はいはい、わかったわよ」
その時だった。
「おい」
「っぎゃああああああっっ!!!!」
後ろから突如聞こえた声に、私は隣にいるメーベルに抱きついた。地面に酒瓶が転がる。
「おばけむりむりむりっっ!!!!」
「おい、馬鹿力。メーベルが死ぬ」
腕を掴まれ、引き剥がされる。顔を上げると見知った男がいた。
「……オーウェン?」
「お前な、自分の腕力を自覚しろ」
それまで腕の中にいたメーベルは喉元を押さえて、げほげほと苦しそうに咳き込んでいた。
「っあーー!!ごめん、メーベル!!私、やった!?殺しかけた!?ごめん!!!!」
「けほっ……いや、あんたが戦闘民族なの、うっかり忘れてた私も悪いから……」
慌ててメーベルの肩を抱く。
メーベルは何度か深く呼吸を繰り返すと持ち直したらしい。
「でも助かったわ、オーウェン」
「さすがにな……」
「うわーんごめん、メーベルぅぅう……!!!!」
強く抱きついてしまったところを何度もさすると、メーベルは「もういいから」と私の手を剥がした。
「それより、こんな時間にどうしたの?」
なおもメーベルに抱きついて、べそべそと鼻をすする私を諦めたのか、メーベルはオーウェンを見上げた。
「ジルが来たから、双子が呑もうって騒ぎだしたんだよ。だから買い出し」
ちらとオーウェンを見ると、確かにその手には紙袋があった。
「双子に行かせれば良いじゃない」
「くだらねぇもん買ってくんだよ、誰も呑めねぇような香辛料入りの辛い酒とか」
「なるほどね」
「お前らも呑むなら混ざる?」
オーウェンは地面に転がった酒瓶を拾いながら、何の気なしに言った。
「どうする?アルクセイ」
メーベルは私の頭を撫でた。
「あんた、今日は人が多い方がいいんじゃない?」
本当はメーベルと二人でのんびり呑みたかったけれど、あんな話を聞いてしまったらその通りだった。
私はオーウェンを見上げる。
「……一緒に呑む」
こんな日はどんちゃん騒ぎをして忘れるに限る。私はその話に素直に乗ることにした。
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女子同士の風呂シーンがヘキです。
たぶんこれから何か始まります。




