41. 思わぬ再会
「かしこまりました。では、こちらの内容で承らせていただきます」
王庁のロビー。
カウンター越しに申請書を受け取る。
向かいで、身なりの良い初老の女性がほっと胸を撫でおろした。その表情は疲れからか、陰があった。
私は手元の書類に目を落とした。
『遺産相続申請書』
——相続の放棄に同意する。
その一文と共にサインが書かれている。
「これで兄さんたちと争う必要がなくなるわ。私には父が結婚の時に持たせてくれた指輪とネックレスがあれば思い出は十分。こんなおばあちゃんがお金なんて持っていても仕方ないですもの」
「お力になれて良かったです」
最後に漏れがないか、もう一度、上から順に確認をしていく。
「あなたには何から何までお世話になったわね。死亡届の手続き、遺産相続の手続きまで。途中から他の護政官さんの手助けなしで、一人でできるようになって……まるで孫の成長を見ているかのようだったわ」
「恐れ多いことです、ヴェルドット夫人」
思い出を語るように、穏やかな表情で彼女は私を見た。彼女は私の窓口業務を急かすことなく、いつも優しく見守ってくれていた。
書類の確認を終え、顔を上げると、そこには心配そうにこちらを見つめる夫人がいた。
「だから心配なのよ。……あなた、ちゃんと食べてる?顔が白いわ」
皺の深い夫人の手が、優しく私の手を包む。
「最近は忙しいですが……でもちゃんと食べていますよ」
嘘だった。
昨晩は疲れてそのまま眠ってしまった。
今朝も胃の調子があまり良くなくて、水と野菜を少し食べただけだ。
「さっきから何だ!そのふざけた態度は!!」
突然、ロビーに怒号が響き渡る。
周囲にいる誰もがその声の主へと振り返った。
ロビーの壁際にあるベンチ、そこに腰かけたお腹の大きな女性をかばうように夫であろう男性が怒鳴っていた。……カンザキに。
(またかぁ……)
誰かフォローできる人はいないか、と辺りを見渡すけれど手が離せそうな人はいない。立番をしているカロンと目が合った。
『行くか?』
私は首を横に振った。
「すみません、ヴェルドット夫人。私はこれで」
「……どうか、あまり無理はなさらないでね」
私は彼女の手を握り返すと、カウンターの簡易扉から彼らのもとへ向かった。
よくよく男性を見ると、それなりに顔が整っている。大体の予想ができた。
「どうされましたか」
「どうしたもこうしたもあるか!」
怒りのまま、男性はカンザキを指差した。
後ろから小さく、「やば」と不謹慎な声が聞こえる。
「子どもが産まれるから、産院の紹介をしてもらいに来たというのに!妻の話を聞こうとしないばかりか、俺にべたべたと触るし、挙句の果てには見ろ!」
男性は手に持っていた書類を私に見せた。
そこには未記入の離縁届。
「ちょっと間違えちゃっただけですよぉ」
悪びれる様子がないカンザキ。
女性が泣いている理由はこの書類だろう。
私は心の中で大きく息を吐いた。
「大変申し訳ございませんでした。別室を設けますので、改めてお話をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?」
「……」
男性は何も答えず、ただジッと、私の背後にいるカンザキを見ていた。
「……カンザキ護政官補助」
「……はぁい、すみませんでしたぁ」
絶対に悪いと思っていない、そんな謝罪だった。
♢
「疲れた……」
昼休憩の時間になっても、私は走り回っていた。
午前中は男性をなだめ、女性を安心させ、何度も謝った。
やっと昼休憩と思ったら、今度は書類の不備が判明し、枢機会まで走った。
『君、仕事ができないならせめて愛想を良くすべきだ。愛想が良いっていうのはそれだけで相手への気遣いになる。それこそ、カンザキ護政官補助を見習うべきだと思うがね。彼女から聞いているぞ、嫉妬から彼女に嫌がらせをしているらしいな』
先ほど、枢機会で言われた言葉を思い出す。
渡されたのは、サインした覚えのない私のサインが入った書類。
この筆の独特な感じ、私がなくしたと思い、紛失届も出していた筆記具で書かれている。
「何を見習えっていうんだか」
思わず笑ってしまい、すぐにハッとしてやめる。
幸いにも誰もいなかったが、もし誰かに見られていたらおかしくなったと思われるだろう。
書類と共に胸に抱いた魔導盤を指でなぞる。
(まだ他にも仕事が残っている。一度王庁に戻らないと)
踵を返して廊下を走る。
中庭に差し掛かった頃だった。
カンザキがいた。
……オーウェンやジルたちと一緒に。
メーベルやカロンにキランもいる。
カンザキはオーウェンの腕に抱きついて、私を一瞥したあと何かを話していたが、走っている私には聞こえなかった。少し気になって、振り向いた。
オーウェンと目が合う。
私はすぐに目を逸らして、先を急いだ。
しばらくして気配が遠くなったところで、私は歩を緩めた。
「……ちょっと、しんどいな」
——いけない、弱音が出た。
あの時、もっと話を聞けば良かったかもしれない。
出てきた後悔を振り払うように、首を横に振った。
自分で決めたんだ。
オーウェンともあんなに喧嘩をしたけれど、押し通したのは私だ。
(……最後までやり通せ、弱るな)
ここ最近、胃のあたりが妙に痛む。
ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「アルクセイ」
王庁の入口に差し掛かった時だった。
懐かしい声に顔を上げた。
「ロレンティア!?」
思っていた以上に声が出て、すぐに口を塞いだ。
会うのは卒業式以来だ。
久々に会ったロレンティアは落ち着いたピンク色のドレスを身に纏い、ウェーブのかかった豊かな髪をジェミナの花が彩っていた。少し会わない間に、上品な淑女となっていた。
ここ最近、学生時代の友人たちとは手紙も返せずにいたので、なおさら嬉しい。心がうんと軽くなるのが自分でもわかった。
思わぬ再会に、私は駆け寄った。
「久しぶり、どうしたの!」
「家督を相続するにあたって、領地の範囲を確認しようと思ってきたの。父さまも一緒よ」
ロレンティアはちらりと後ろを振り返る。
その先には中年の男性が従者と話していた。身なりの良い、厳格そうな印象だ。そして何より、誠実そうな雰囲気がロレンティアによく似ていた。
「アルクセイ」
ロレンティアが私の手を握る。
その顔は笑っているけれど、怒っている。
「あの子、なんなの?」
「えっ」
あの子とは。
私は瞬きをした。
私の手を握るロレンティアの手に、力が入る。
「名前なんて知らないわ、あなたに背格好のよく似た子よ!」
「あ〜……」
私が席を外している間に、どうやら会ってしまったらしい。
ロレンティアは自分が大きな声を出してしまっていることに気がついて、ごほんと咳払いをした。
「ここにいる間、あの子、いろんな男の人に声をかけていたから嫌でも目についてしまったわ。それも手当たり次第。いなくなったと思って窓を見たら、オーウェンの腕に抱きついているのを見てしまって……ねぇ、何があったの?」
「喧嘩中というか……」
「喧嘩?いつものじゃなくて?」
「うーん……大喧嘩?」
どう説明するべきか。
そもそも、彼女が仮聖女だということは、まだ世間に公表されていない。ましてや、三機関内でのことを第三者に話すことは禁じられている。
私が言い淀んでいると、ロレンティアは眉尻を下げ、私の頬を撫でた。
「政官だもの、言えないことがあるのはわかるわ。でも、あなたこんなに痩せてしまって、心配よ」
「……そんなに痩せた?」
「肌もガッサガサ」
酷いらしい。
確かに、肌については最近化粧ノリが悪いので自覚していた。
ロレンティアが心配そうな顔で私を見ている。昔から、優しい子だ。
「……大丈夫だよ、今戦ってるとこ。悪く見えるけど、きっと良くなる」
「本当?」
「うん、他の人たちにも助けられているから」
……そう、助けられている。
私は一度目を伏せた。ロレンティアはまだ何か言いたそうな顔をしたけれど、小さく首を振ると、私を優しい目で見つめた。
「……そう。でも、どうか無理しないでね?力になれることがあったら言って?」
「うん、ありがとう」
私はロレンティアに笑ってみせた。
一人じゃない。それがどんなに今の私を支えていることか。
(……不甲斐ないなあ)
ブックマークと、いつも読んでくださっている方々、本当にありがとうございます。励みになります。
ロレンティアは同室の中でママポジです。




