34. 辞令
季節がひとつ過ぎ去り、秋女神の季節となった。
今年の夏女神の季節は、早かった。
元来、夏女神の性質は早くて短く過激。
それは人間関係だったり食べ物だったりと、ありとあらゆるものに作用する。
——あの時のカンザキのことを、私は誰にも話せないでいた。
正確には、どうやって話せばいいかわからなかった。
頭を掻き乱し、意味のわからない独り言、成り代わりがどうとか。
……いつも通りに振る舞う彼女を見るたびに、あれは何だったのかとわからなくなっていったのだ。
「はぁ……」
書類くらい大きい魔導盤を人差し指でなぞる。
カンザキが持ち込んだ、誰も見たことがない魔導具——彼女はスマホと呼んでいた——は、王都の魔導具師の興味を大いに刺激したらしい。
彼女から提供された魔導具とその使い方をもとに、魔導具師たちは新たに組合を結成した。
彼らの興奮は凄まじかったようで、試作品がなんと十日で完成するという驚異のスピードだった。
……と、魔導具師見習いのソナから手紙で教えてもらった。
魔導盤と呼ばれるそれは、書類を作ったり、メールや通話と呼ばれる機能で遠くの人とやり取りしたり、見ているものを絵として残すカメラなる機能まで備えている。
仕事に役立つとのことで、スケジュールにはこの魔導盤を有効活用するための研修が詰め込まれていった。
「報告書は?」
「これから」
石碑の前で座り込む私に、聞き慣れた少し低い声が問いかけた。
ここ最近は王庁での業務は少なく、護衛騎士であるオーウェンを伴っての王都での加護調査や小規模の瘴気孔の鎮静が多い。
つるつるとした表面を指で二度叩くと、魔導盤から一筋の光が出て何もない空間に絵が映し出される。魔導盤に表示される文字をなぞると、そこに投影される仕組みになっている。
「えぇと……『夏女神の、加護が、残っており、』」
「喋りながらじゃないとできねぇのかよ」
「うるさいなあ、ほっといてよ」
確かにこの魔導盤は便利だ。
王庁の外でも報告書を作れるし、すぐに送れる。何か困ったことがあれば、ミア先輩やシェラウザ局長に指示を仰げるのだから。
ただ、どうにも慣れない。私には向いていないようで、手書きの方が早いのが現状だ。
オーウェンがため息を吐きながら横に座る。
腰に下げている剣の鞘ががたんと石畳に当たる音が隣でした。
「未だに指一本でやってんの」
「……横からごちゃごちゃ言わないで。集中できない」
「やだね」
「護衛騎士は護政官の仕事の護衛もしてください」
「お前の書類仕事を護衛するつもりはない」
「ああ言えばこう言う!」
呆れて横目でオーウェンを見ると、彼は魔導盤の投影よりも、私の指先を見ていた。
最近、怪我が多い。
「黙ったままか?」
頬杖をついたオーウェンの、金色の長い睫毛に縁取られた瞳が、私を見る。
あの時ほどではないけれど、声も低い。
「……証拠を掴むまでは。今動いても気のせいで終わるでしょ」
私は魔導盤に目を戻し、細い包帯が巻かれた薬指を見下ろした。
♢
——話は少し遡る。
あの中庭での一件以降、妙な出来事が増えた。
まず、カンザキが私を真似るようになった。
例えば髪型とか、化粧とか、持ち物とか。
『ミア先輩、これ教えてくれませんか?』
そして人間関係までも。
彼女は私の親しい人たちに、私の口調を真似て話しかけるようになった。
その一方で三機関内を歩けば、陰からじろじろと見られ、ひそひそと声を潜められることが増えた。
『気のせい』というのは重なれば重なるほど、そう思うのは難しくなる。
——それは時間までに仕事が終えられず、夜遅くまで王庁にいた日のことだった。
「っ」
机に向かい、書類の束が入ったラックに手を差し込んだ時だった。
指先に鋭い痛みが走った。
思わず手を引っ込めて見ると、指先から既に血が出ていた。深く切ったらしい。机の上に血がぽたりと垂れた。
こういう妙なことが、最近増えた。
「どうしたの?」
近くに座っていたメーベルが椅子ごと近づき、私の肩越しに指先の傷に気づくと、眉根を寄せた。
「これでいいから止血して」
そう言うと、メーベルは黒地に赤い花の刺繍が施された手巾をスカートのポケットから取り出して、私の手を掴み、指に巻きつけて押さえた。
「え、ごめん。これ買って返すよ」
「いらない」
ぴしゃりと断られてしまい、少し身が固まった。
「ねぇ、こんなに深く切れる紙なんてあった?」
メーベルが目だけで私を見上げる。榛色の瞳に嫌悪感が宿っていた。心配しているのだと気づき、私は少し苦笑いをした。
「書類に紛れ込んでたみたいよ」
背後の机にある書類棚に目を向けると、メーベルも私の目線を追った。
棚から銀色に光る小さな刃物の欠片を見つけると、さらに顔を歪めた。
せっかくの美人が台無しだなあと、ちょっと呑気なことを考えてしまうのは疲れているからかもしれない。
「……コナーズ護政官には?」
「相談済み。シェラウザ局長にも」
私の返答が意外だったのか、メーベルは顔を上げた。
「学生の時からこういうのはあったけど、ここまで悪質なのは初めてだったから、さすがにね」
肩を竦めて笑ってみせると、メーベルは目を大きく見開いた。
「……あんた、気づいてたの!?」
その声は人気のないロビーに響いた。
珍しくメーベルが大きな声を出すので私も驚いてしまった。
先輩たちも帰ってしまった後だったから私たちしかいなくて良かった。
大声を出した拍子に手が緩んでしまい、手巾が落ちた。
血は止まったらしい。
メーベルはそれを確認すると、気を取り直しながら自身の机から治療用の綿と幅の狭い包帯を取り出した。
「これでも戦闘民族だよ、人の敵意に鈍感でどうすんの」
「……待って。じゃあアルクセイがオーウェンの家に住み込みで侍女をしに行った後の……、あれも気づいてたの?」
「あぁ、そんな事もあったね」
あれは仕方なかったと思う。アンブロジオ家の馬車から、私があいつと一緒に降りたのだ。
あいつのことが好きな女の子は心中穏やかでいられるはずがない。
メーベルは唖然とした顔で、細い指で器用に私の指に包帯を巻いていく。
「嫌だやめてなんて言うのは簡単だけれど、全寮制だよ?もしも人間関係が拗れたらって考えたら、気づかない振りをして、いなしていくしかなかったんだよ」
「……何それ」
「私の実家って移動式だから」
「移動式」
「流浪の民なので」
あまりにメーベルが顔を歪ませるので、おどけてみたけれど、効果はなかった。
諦めて、小さく息を吐いた。
「……だから、学園にいづらくなったから辞めますとか、親に頼るとかそういうのできなかった。ああやって流すしかなかったんだよ」
正直に言えば、『あなたたちには帰ろうと思えばすぐに帰れる家も、相談できる大人もいるんだから、攻撃しないでほしい』という恨み言もあった。
けれど、誰も責められなかった。
オーウェンにはそもそも私もやり返していたし、あの女の子たちだって、結局悪い子じゃなかったから、最後は友達になれた。
メーベルは包帯を巻き終えると、そっと手を離した。
「ねぇ、その刃物」
「うん」
「ちゃんと保管しときなさいよ」
「もちろん」
♢
オーウェンと共に王庁へ帰ると、すぐにミア先輩に声をかけられた。シェラウザ局長が私とオーウェンを呼んでいるらしい。何かまた変なことが起こったのかと、胃が痛んだ。
「失礼します」
局長の執務室をノックすると中から「入りなさい」と返された。
扉を開けると、そこにはシェラウザ局長とカンザキ、そしてなぜかカロンがいた。
シェラウザ局長は中央の机で椅子に座っていた。
額を押さえ、酷く疲れている様子だった。
局長の右手側に立つカロンは、気まずそうな顔で、カンザキと目を合わせないよう壁を見ている。
しかし、そんな二人と対照的にカロンと反対側に立つカンザキだけが、機嫌良さそうにニコニコと笑っていた。
「まずは加護調査、ご苦労だった。報告書も届いている。さすがアルクセイ護政官だ、抜けも不備もなく、読みやすかった」
「はぁ……」
普段、こんなに褒められることなんてないので、思わず気のない返事をしてしまった。
「単刀直入に言おう。辞令だ。アンブロジオ騎士官はアルクセイ護政官の護衛騎士を解任、代わりにカンザキ護政官補助の護衛騎士に任命する。この辞令はロッコ第一騎士隊長から改めて下る。隊長は任務で不在、ちょうど調査帰りで二人まとめて説明する方が良いと判断し、俺から話をさせてもらった」
「……アルクセイ護政官の護衛騎士は?」
オーウェンが声を低くして返すと、それまで気まずそうにしていたカロンがおずおずと片手を上げた。
「俺でーす……」
オーウェンはカロンを一瞥すると、再び局長に向き直った。
「理由を伺っても?」
「あ、私から説明しますね!」
軽やかな足取りで、カンザキは私たちの前に進み出た。
「私、聖女だから王城や王庁で保護していただいているんですけど……。慣れない環境で頼れる人もいなくて、心細くて……ずっとお願いしていたんです。一番強い方に護衛をお願いしますって。でもロッコ騎士隊長はお忙しいって伺っていたので……歳も近くて、オーウェンさんが良いなって思っていたんです」
私には一切目を向けることなく、カンザキは嬉しそうにオーウェンに話した。
だが、オーウェンはカンザキに声をかけることはなく、その向こうの局長に話しかけた。
「つまり、上の意向、ですか」
「……悪いが、そうだ。アルクセイ護政官も急な辞令となって申し訳ない」
シェラウザ局長は目の下が僅かに陰っていた。
思い返せば、カンザキは気の多い子だけれど、中でもオーウェンを特に気に入っていたような気がする。何か思惑があるのかもしれない。
「いえっ全然!!」
そう、全然だ。
何なら渡りに船だ。
「むしろ腐れ縁がやっと切れたと思うと、ホッとするというか……。いやウェッダーバン騎士官も腐れ縁と言えば腐れ縁なんですけど、マシっていうか!これで仕事のたびにイライラすることがなくなって、ほんっと〜〜に良かったです!!!」
あまりに嬉しそうに言うものだから、局長や目の前にいるカンザキも驚いたように目を丸くした。オーウェンの反応は知らない。なんだかさっきから声が低いから、様子を見たくない。
視界の端でカロンが吹き出していた。
「では、私は次の仕事の準備があるので失礼します!」
私は深々とお辞儀をすると執務室を後にした。
最近は嫌なことが多かったけれど、いい出来事もあってよかった。




