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7 心に響く舞

舞は、言葉よりも雄弁に、心を伝えることがあります。

静が謡った今様は、誰に向けたものだったのでしょうか。

そして、それを受け取ったのは——。


 釈迦の御法はただ一つ

 一味の雨にぞ似たりける

 三草二木は品々に

 花咲き実なるぞあはれなる


 母親の身分が違うと嘆く義経への、これは静なりの答えだった。


 雨の水は、どの一滴をとっても同じであるように、人間は誰でも平等である。草や木は、大きさ形が違っても、育てば、みな花が咲き実がなる。人も、素質や能力が違っても、いつかは花が咲き、実がなるのだ。


 これが、この今様の意味だった。

 白拍子や、義経の郎等が楽しそうに静の舞を見ている中、義経一人が、真剣な顔をしていた。


『義経さまは、私がこの今様を選んだわけを分かって下さっている』


 そう思うと、静は力が湧いてくるような気がした。

 静は、さらに謡を続けた。


 無量義経に莟む花

 霊鷲の峰にぞ開けたる

 三十二相は木の実にて

 四十二にこそなりにけれ


 無量義経とは、法華経の開経の教典の名前だが、静は「義経」のことを指していた。

 義経は、まだ二十六才。つぼみの花と考えられる。三十二才、四十二才になるころには、きっと花開いているだろう。そんな思いをこめていた。


 静は舞い終わり、ふたたび義経の側に座った。他の者たちは、また話したり、酒を飲んだりを始めていた。

 しかし、義経は考え事をするように、押し黙ったまま、酒にも手をつけようとしなかった。


『おせっかいだったのだろうか』


 と、静は不安になり始めた。ただの白拍子に過ぎない自分が、説教めいた今様を舞ってしまった。源氏の御曹子である義経の、自尊心を傷つけてしまったのかもしれない。

 もう、帰った方がいいのかもしれない……と静が思い始めたとき、義経は不意に言った。


「……礼を言う、静」


「え?」


「私のために、今の舞を舞ってくれたのだろう」


 静はうなずいた。


「今夜、一人になったら、もう一度よく考えてみる」


 義経は立ち上がった。


「また来て、舞を見せてくれ」


「はい」


 静の返事に義経は笑顔を見せた。そして、そのまま自室に戻って行った。

 義経が、いきなり引き上げてしまったので、郎等たちはあわてたようだった。義経の後を追う者、片づけを指示する者、白拍子に別れを告げる者とあわただしい動きを見せた。

 そんな中、磯禅尼は、帰り支度を始めた静のもとに飛んできた。


「いったい、何があったんだい? 義経さまのご機嫌を損ねるようなことを、言ったんじゃないだろうね」


「だいじょうぶです」


 静は、義経の別れ際の表情を思い出しながら、言った。


『義経さまは、怒ってはいらっしゃらない。また、舞を見せてくれ、ともおっしゃっていた』


 静の心をこめた舞の意味を、義経は理解し、真摯に受けとめてくれた。静はそのことが、何よりもうれしかった。


 その二日後、静は右大臣九条兼実の館に呼ばれた。はじめてのことでもあり、身分の高い人でもあったので、静は出かけていった。


「静にございます」


 と挨拶をして顔を上げたとき、静は、九条兼実の隣に、義経の姿を見つけた。

 驚きとうれしさに、次の言葉が出ない静に、義経は優しく微笑みかけてきた。


「義経どのは、静御前と面識があるのかな?」


 兼実が尋ねた。


「はい」


 義経は、静から視線をはずさずに答えた。


「神泉苑の雨乞いの舞の際に。その後も何度か」


「そうか」


 兼実は、静と義経と半々に見ながら言った。


「戦の天才、時代の寵児の源氏の御曹子。神仏をも感動させる、都随一の舞上手の白拍子。この二人を、同じ時に屋敷に呼ぶ――そんな贅沢をしてみたくてな」


 豪快に笑う兼実に、つられるように義経も笑い、言った。


「私はともかく、静御前の舞は、確かに都随一と思われます。右大臣さまも、ご覧にならなければ」


「うむ」


 その言葉を受けて、静は立ち上がった。


 万劫 年経る亀山の

 下は泉の深ければ

 苔ふす岩屋に松生ひて

 梢に鶴こそ遊ぶなれ

 

 万劫 亀の背中をば

 沖の波こそ洗ふらめ

 いかなる塵の積もりゐて

 蓬莱山と高からん


 特に深い意味のある歌ではない。ただおめでたい言葉を連ね、この家の繁栄を願うというだけの歌だった。

 義経は、かすかに微笑んでいる。

 しかし、彼の目が『実力を隠しているね』と言っているのが分かる。

 もちろん、彼は静を責めているのではない。堀川館の義経の前で舞ったような、深い意味のある舞を、そうそういつもするわけではないことは、義経も充分承知しているはずだった。

 つまり、義経は、兼実の知らない二人の世界の話を、兼実に分からない合図で送ってきているのだ。


「いやぁ、素晴らしい。さすがだ」


 何も知らない兼実は、それでも静の舞に満足して言った。


「ありがとうございます」


 静は、中央で頭を下げた。だが、そのあとの行動をどうとったらいいのか、静は迷った。

 この館の主は兼実で、自分は兼実に招かれたのだから、兼実の隣に座るのが当然なのだろう。

 いつもの静なら、ためらわずそうしたはずだ。しかし、その当然の行動が、義経の前ではどうしてもできない。

 他の男の酒の相手をする姿を、義経だけには見られたくない。そんな静の感情が、彼女の動きを止めてしまった。


「静!」


 一瞬の静寂を、磯禅尼の厳しい言葉が破った。


「はやく、右大臣さまのお側へ」


「は、はい」


 有無を言わせぬ磯禅尼の物言いに、静はしかたなく、兼実の隣に座った。


「いやぁ、近くで見ると、一層美しい」


 そう言って、盃を差し出す兼実に、酒をつぎながら、静は、自分とは反対隣にいる義経の顔をそっと見た。

 義経の表情はとくに変化なく、優しげな微笑みを浮かべたままだった。

 静は、ほっとしたような、淋しいような気持ちになった。自分が他の男の相手をしていても、平然としていられるのは、静のことを何とも思ってないからなのではないか……そんな不安が心の中をよぎった。


「それは、本当なのか?」


 兼実に訊かれて、静ははっとした。先程から、しきりに何か話しかけていたのだが、静は義経に気を取られて、まるで聞いていなかったのだ。


「それは……」


 静は口ごもった。

 困っていると、義経がさりげなく助け船を出してくれた。


「その噂は、私も何度も聞きました。私も、知りたいと思っていたのです。静御前、あの噂……あなたは、誰にもなびかない名花だというのは、本当ですか?」


 そういう話だったのかと静は内心ほっとしながら、答えた。


「名花かどうかは……。静はただの白拍子ですから」


 兼実が、声を上げて笑った。


「うまく、はぐらかされたな。では、違う訊き方をしよう。静御前には、恋しい男がいるのか?」


「それは……」


 静は、とっさにうつむいた。義経の方を見たら、自分の気持ちが悟られてしまうかもしれない。自分はかまわないが、義経に迷惑がかかるかもしれない。


「どうなんだ?」


 兼実は、しつこく訊いてくる。


「右大臣さま、あまりいじめないでやって下さいましな」


 磯禅尼が話に入ってきた。


「この娘は、まったくうぶでございまして。舞にしか、興味がないんでございますよ」


「ほほう」


 兼実は、静の顔をうかがった。


『まったく、空々しい』


 静は、磯禅尼に腹立たしさをおぼえた。二人きりの時には「子どもも産んだことがあるくせに、うぶなまねをするんじゃない」などと言っておきながら、よくも空々しくああ言えるものだ。

 もっとも、彼女はああやって、静を高く売ろうとしているのだろう。夫を持ち、子どもも産んだことのある女より、清い乙女である方が、喜ばれるに違いないのだろう。


 何人かの白拍子が舞を舞った。

 そうなってくると、兼実の郎等や、義経が連れてきた郎等たちもそれぞれ気に入りの白拍子を見つけ、座は乱れてきていた。

 しばらくは、静を隣に置いていた兼実も、静がいっこうになびく様子がないのが分かると、他の白拍子を呼び寄せるようになった。

 兼実から解放されたからといって、すぐに義経の側に行くのもはばかられ、静は居場所をなくしてしまった。


 酒の臭いが充満している座敷にいるのもいやになり、静は人目をしのんで、庭に出ていった。庭を歩き、静は水辺にたたずんだ。涼しい風が吹いている。水面に月が影を映していた。


「向こう側に行くと、蛍が見られますよ」


 後ろから声をかけられ、静はゆっくりとふりかえった。声だけで、それが義経であることは分かっていた。


「行ってみませんか?」


 暗闇の中で、義経の表情はよく分からない。

 だが、静は、


「はい」


 と答えた。義経が、自分を追って庭に来てくれたことが、うれしかった。

 池の反対側に行くと、確かに蛍がたくさん飛び交っていた。


「きれい」


 静は思わずつぶやいた。


「あんな所で、酒におぼれているよりは、ここでこうしている方が、ずっといい」


 義経はそう言って、静に笑いかけた。今度は、月明かりでその表情がよく分かった。


「ええ」


 二人は、黙って蛍の動きを見つめていた。


 突然、その静寂を、破る声があった。


「子どもが……小さい子の泣き声が……」


 静が言うか言わないかのうちに、茂みから、まだたどたどしい歩き方をしている男の子が飛び出してきた。


「おっかぁ! おっかぁ!」


 男の子は泣き叫んだ。

 静は、無意識のうちに、その子を抱き上げていた。

 女の柔らかい胸に抱き留められて、その子は一瞬泣き止んだ、しかし、母親でないと分かると、ふたたび泣き出し始めた。


「おっかぁ! おっかぁ!」


 泣き止まない子どもに、静よりも、義経の方がうろたえていた。


「どこの子なのだろう」


「身なりからして、こちらの下働きの者の子どもではないでしょうか」


 静は、落ち着き払って言った。


「さあ、泣かないでね。私が、あなたのお母さんを、さがしてあげますからね」


 静が優しく声をかけると、子どもは泣き止み、こくんとうなずいた。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を、静の水干にこすりつける。しかし、静はまったく気にしなかった。


「おかあさんは、御厨(みくりや)でしょうね。どこかしら」


「私が分かる。案内しよう」


 静と子どもの様子を不思議そうに見ていた義経が言った。


「いいえ」


 静は子どもの背中を優しくたたきながら答えた。


「場所だけ教えて下さいませ。義経さまが御厨などに姿を見せたら、下働きの者が、驚いてしまいます」


「では、近くまで」


 義経はそう言うと、静の返事を待たずに歩き始めてしまった。静はしかたなく、義経のあとをついていった。

 途中で、義経はふとふりかえり、言った。


「重いだろう。その子は、私が抱こうか」


 静は、首を横に振った。


「もうすぐ、寝てしまいそうなのです。起こしてはかわいそう」


 二人が御厨に着かないうちに、


「三太ー!」


 と叫びながら、真っ青な顔をして走ってくる女の姿が見えた。


「ここですよー」


 静が声をかけた。


「三太!」


 大声を出す女を、静は「しっ」と制した。


「寝てしまっているの」


「も、申しわけありません」


 女は、深々と頭を下げた。


「てっきり、寝ているとばかり思っていましたら、いつの間にかいなくなっていて」


「お母さんを探し回っているうちに、庭で迷子になってしまったのね、きっと……」


 そう言うと、静は子どもを女の手の中に、そうっと返した。子どもを抱きとめながら、女は何気なく訊いた。


「赤ん坊の扱いに、慣れていらっしゃる。お子さんがいるのですか?」


「いたんだけど……病で、死んでしまったの」


 後ろに立っている義経が、その言葉に驚いているのが感じられる。しかし、静はかまわずに続けた。


「ちょうど、この子と同じくらい。男の子だったわ」


「お気の毒に……」


 女は、言葉につまった。静の目に浮かぶ、涙に気づいたからだった。


 子どもを抱いた女が、去ってしまってからも、静はその方向をずっと見続けていた。

 子どもがいたことを知った義経が、自分をどう思っているのか、静は不安だった。

 しかし、隠しておくのは、もっといやだった。いつかは話すつもりだった。

 なるべく早い方がいいと感じたのは、磯禅尼が、兼実に「この子はうぶで……」と言ったときだった。あの嘘を、義経が信じてしまうのが、恐かった。

 嘘で固めた自分ではなく、本当の自分を、義経には見てほしかった。


「静、戻ろう」


 義経は、静の背中に声をかけた。

 静はふりかえり、うなずいた。


「一つだけ訊いていいか?」


 庭を歩きながら、義経は言った。


「はい」


「子どもの……亡くなった静の子の父親は……」


 そのあとに続く言葉を思いつかなくて、義経は困っていた。


「死にました、戦で。子どもの顔も見ずに」


 そこまで言うと、静は座りこみ、泣き出していた。

 今まで、信一や信夫のことを忘れたわけではない。ただ、思い出さないように、心の奥にしまい込んでいた。それが、一気に吹き出した感じだった。


「すまない、つらいことを思い出させて」


 義経は、静の側に座った。そして、ややためらったあと、静の肩をそっと抱いた。

 信一とは違う手の温かさを静は感じていた。

 だが、違っていても、そのあたたかさは、静の心に染み渡っていった。



静にとって、舞は生き方そのものです。

その舞を「心に響く」と言われたとき、彼女の中で、何かが確かに動き始めました。

次回も、どうぞよろしくお願いいたします。

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