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5 神泉苑の雨

舞で雨が降るのか、それとも、ただの偶然なのか。

けれど、この日の雨は、静の人生に確かな変化をもたらしたのです。


 空より華雨り 地は動き

 ほとけの光は夜を照らし

 弥勒 文殊は 問い 答へ

 法華を説くとぞ かねて知る


 鷲の御山の法の日は

 曼陀羅 曼殊の華雨りて

 栴檀 沈水 満ちにほひ

 六種に大地ぞ動きける


 釈迦の法華経説くはじめ

 白亳 光は月の如

 曼陀 曼殊の華雨りて

 大地も六種に動きけり


 この今様には、深い意味があるのかもしれない。しかし、静はそこまでは考えていなかった。今、雨が降ってくれれば、それはきっと、美しい華のように見えるのだろう……そんなことを思いながら、静は舞った。


 磯禅尼は、満足そうに静を見ていた。

 競争相手として、お互いの舞を鋭い目つきで見ていた他の白拍子たちも、静の舞だけは、おだやかな目で見ていた。彼女たちにとって、静が選ばれることは、すでに決まったこととして受けとめられていた。

 それは、静の舞が、自分たちとは別格であることを、彼女たちがすでに認めていたからだった。

 全員が舞い終わると、磯禅尼は言った。


「今から、神泉苑で舞う者の名を言う」


 白拍子たちは、息をのんで、磯禅尼の言葉を待った。

 磯禅尼の口から、白拍子の名前が一人一人呼ばれるたびに、彼女たちは一喜一憂し大騒ぎになった。そんな中で静一人が冷静だった。

 ここまできてしまえば、もう悩む必要はなかった。

 名前を呼ばれれば、精一杯舞うだけ。それで雨が降るとも思えないが、人々の命を救うために自分ができることと言えばそのくらいなのだから、せめて心をこめて舞おう。呼ばれなければ、それまでのこと。そう静は思っていた。


「最後の一人は……この一人は本当に最後。百人の白拍子の中で百番目。大変な役目だよ」


 磯禅尼は、ゆっくりと周りを見回した。そして、言った。


「最後の一人は、静にやってもらう。静、いいね」


「精一杯、舞わせてもらいます」


 静は頭を下げた。白拍子たちは「やっぱり」という顔をしていた。

 静は、一番の舞上手であるるとともに、姿の美しさも一番だった。静が最後をつとめれば、雨乞いの舞全体が引き締まると、彼女たちも思っていた。

 しかも、彼女たちは、静を磯禅尼の娘と信じていた。


「ずっと田舎にあずけていた娘が、年ごろになったので引きとった」


 と言う磯禅尼の言葉を疑う者はいなかった。


 いつもは静かな神泉苑も、この日は人があふれ、にぎやかに沸きかえっていた。それも当然で、百人の白拍子とその付き添い、後白河法皇とその側近たち。公家や武士たち、その雑色……と、人はあふれていた。

 町では、


「雨乞いなんて言ったって、本当は、今様好きの法皇さまが、自分の好きでやっているのさ……」


 などと陰口を言う者もいたが、さすがにこの場でそれを言うものはいなかった。

 池の中央にある舞殿に、白拍子たちは次々と上がって舞う。静の仲間の白拍子も次々と出ていった。

 あがってしまって間違える者もいくらかはいたが、そこはもともと人前で舞うのを仕事としている白拍子、大概は堂々としていた。


 後白河法皇や公家たちは、一人一人を品さだめするように見ている。どうやら気に入った者の名前は、側近に言って書き止めているようだった。

 その様子から見ても、法皇が、純粋に雨乞いをするために、この行事を行ったのではないことは、この世界にきて間もない静にもわかった。たぶん、町の者たちの陰口の方が、真実なのだろう。


『このまま雨が降らなければ、餓死する人も出るかもしれないと言うのに。上に立つ人が、こんなにのんきにしてていいのかしら』


 静は、少し腹立たしく感じていた。法皇にとっては、民衆、一人一人の命など、どうでもいいのかもしれない。「お国のため」というの名のもとに、死んでいった、信一をはじめとするたくさんの若者の命と同じように。


 舞で雨が降るとは思っていなかった。しかし、自分が舞うことで、雨が降るのなら――民衆が死なずにすむのなら、全身全霊をかけて、自分は舞を舞おう、そう静は考えはじめていた。

 静は空を見上げた。百人の舞が半ばを迎える頃から、雲行きがあやしくなっていた。


『降ってほしい』


 静は、心から願った。雨が降ってくれば、この雨乞いの舞は中止になるのだろう。自分が舞う前に中止になっても、雨さえ降ってくれれば、それでいいと静は思った。

 しかし、空は暗くなっても、雨は一粒も落ちてはこなかった。

 ついに、静の番――百番目――となった。

 静は、舞殿の中央に進み出た。その日は、白い袴に白の小袖を着て、その上に浅縹(あさはなだ)色の水干を身に着けていた。多くの白拍子たちが紅い袴を好む中で、白に水色という組み合わせは、静がもっとも好んだものだった。


「空より華雨り……」


 と謡い、舞い始める。

 快い緊張感が全身を走る。しかし、あがってはいなかった。かつて、もっとたくさんの観客を前に舞台に立ったことのある静だった。観衆の目は、静にとっては、むしろ心の支えとなった。

 静の舞が行われている最中に、ついに雨が落ちてきた。雨に気づいた観衆はどよめいた。そして、口々に、


「さすが、静御前。みごと雨を降らせたぞ」


「静御前の舞には、神も感心なされたか」


「北白河随一と言われた舞姫だけのことはある」


 などとささやいた。

 そんな声も耳に入らず、雨の降り始めたことも気づかず、静は夢中で舞っていた。いつもこうなのだ。舞っている時は、他のことはいっさい目に入らない。


 舞殿から下がってきた静を、磯禅尼をはじめとして仲間の白拍子たちが大騒ぎをして迎えた。その時はじめて、静は雨に気づいた。


「よかった」


 静は思わずつぶやいていた。今日一日降ったからといって、それでもう安心とは言えないだろう。だが、とりあえず、今日は降ったのだ。

 そこへ、一人の武士がやってきて、


「静御前、法皇さまのお召しです。磯禅尼どのも、御一緒に……」


 と、言った。

 うろたえる静を、磯禅尼は励ましながら連れていった。


「法皇さまは、大の今様好き。私や私の師匠も、しょっちゅう院に呼ばれて、今様をお教えしたものさ。こわがることはないよ」


 磯禅尼の言ったとおり、法皇は磯禅尼に親しげに話しかけてきた。


「磯禅尼、久しぶりよの。しかし、このように美しく、舞上手な娘を隠しておったとは、許せんぞ」


 そう言いながらも、顔は笑っている。


「隠していたわけではありません。年頃になるまでは、と田舎に預けておいただけでございます」


 磯禅尼も笑いながら言い返す。


「静御前は、誰にもなびかぬ名花と言われているが、本当か?」


「さあ、それはどうでございましょう」


 法皇の問いに、磯禅尼が答えてくれているので、静は安心していた。しかし、突然、法皇は静自身に話しかけてきた。


「静御前。そなたは、やはり都一番の舞手よの。九十九人舞っても降らなかった雨が、静が舞えばたちどころに降ってくる。褒美をとらそう。何がいいか? 望みのものを言うがいい」


 静は顔を上げると、穏やかな声で言った。


「私一人の力ではございません。百人の白拍子が力を合わせたからこそ、天にも願いが届いたのでしょう。たまたま静が百人目だっただけのこと。静一人では、雨を呼ぶことなど、できなかったでしょう」


「では、褒美はいらぬと?」


「賜るのなら、静にではなく、百人の白拍子すべてに……」


 周りの者は皆、息をのんだ。法皇が怒り出すのではないか、と。磯禅尼は心配顔で、静に何か言いたげにしている。法皇の周りの公家や武士たちも同様だった。

 法皇は、自分のすぐそばにいる若武者に声をかけた。


「義経、おまえはどう思う? 儂の言うことと、静の言うこと、どちらが正しい?」


 義経と呼ばれた若武者は、軽く頭を下げ、言った。


「おそれながら、静御前が都一の舞手であることは、法皇さまのおっしゃる通りかと思われます。ただ、天への願いは、やはり百人の白拍子がいたからこそ。そして、その中に、静御前がいたからこそでございましょう。静御前がいなければ、百人舞っても雨は落ちなかったかもしれません。けれど、静御前の言うとおり、静御前一人でも、無理だったのではないでしょうか」


 法皇は大声で笑った。


「義経は相変わらず、真面目で、正直だな。よかろう。百人の白拍子全員に褒美をとらそう」


「ありがとうございます」


 磯禅尼と静が同時に言った。そして静は、義経と呼ばれた若武者が、じっと自分のことを見つめているのに気づき、思わず、うつむいてしまう。しかし、その前に、彼の容姿は見て取れた。

 美しい目の持ち主だった。その優しげな目の輝きは、どこか信一を思い出させた。

 もっとも、彼は信一とは似ても似つかなかったが。信一よりはずっと小柄で、信一よりも綺麗な顔立ちをしていた。


「まったく、静にははらはらさせられるよ。法皇さまに意見を言ったりして」


 家に戻ってから、磯禅尼は言った。


「でも、本当のことですから」


 静が言うと、磯禅尼も、


「まあ、そのおかげで、白拍子たちがみんな御褒美をいただけたんだけどね。だけど、義経さまの進言がなければ、あぶなかったんだよ」


 と言った。


「義経さま?」


「源九郎義経さま! あのとき、助け舟を出してくださったろう?」


 磯禅尼は「あきれた」という風に言った。

 それでは、あのときの若武者が、以前、磯禅尼がほめていた、義経さまだったのか……。

 あらためて義経の姿を思い浮かべた。乱暴者の木曽義仲を追い出したと言うから、もっとたくましい感じの武士を想像していたのだ。だが、静の想像は外れていた。

 義経は、小柄できゃしゃな身体つきをしていた。そして、色白で細面の優しい顔だち――。一番心に残っているのは、信一に似た優しげな輝きの瞳。そして、思い出すのは、よく通る澄んだ声だった。


 静の記憶の中の義経は、心優しい青年だった。だから、その義経が、戦の先頭に立つ姿は、頭に浮かばない。


『たくさんの荒くれの武士を率いて、乱暴者を京都から追い出したなんて……信じられない』


 静は、心の中で何度も繰り返した。


「百人の白拍子全部の力です」


 と静は言い、法皇もそれを認めたにもかかわらず、京での評判は、


「雨をもたらしたのは、静御前の力」


 ということになってしまっていた。それが単なる偶然にすぎないことを、誰よりも静自身が一番よく知っていたのだが……。

 静が否定しようとしても、磯禅尼がそれをさせなかった。むしろ、磯禅尼は、暗にそれを肯定してまわっているような所がある。それが静はいやでならなかった。しかし、恩のある磯禅尼に反抗することはできなかった。

 この評判のおかげで、静は、公家や武士の館に招かれることがさらに多くなった。


「静御前を一目……」


 と、様々な公家や武士たちが静を招いた。それが仕事なので、静は請われるままに出かけ、舞ったが――。

 ほとんどの客が、静の舞が目当てではなかった。美しいと評判の静御前を一目見たいというのはまだかわいい方で、あからさまに、静との情事を要求する者もいた。

 白拍子の一面が遊女であることは、十分承知していたし、磯禅尼の立場もあるだろう。

 以前、「私はかまいません」と磯禅尼に言ったように、ある程度の覚悟もしていた。しかし、誰でもいいとは言えない。せめて少しは心ひかれる男性と……という思いがある。信一との美しい思い出を壊すようなことは、したくなかった。

 自分の気持ちももちろんだが、相手の男性にも、興味本位ではなく、少しは自分をいとおしいと思ってくれる人を選びたかった。


 神泉苑の神事以前、静は仕事を断ることはしなかった。しかし、最近では、一晩に数件の申し込みがあり、自然とその中から選ぶということが増えてきた。自然、しつこくからんでくる男は、断ることになる。

 静が、


「気がすすみません」


 と言えば、磯禅尼は決して無理強いをしようとはしなかった。

 それはありがたかったが、不思議な気もした。時には、明らかに身分の高い人を断って、その人よりも、ずっと身分の低い人の所へ行くこともあったので、磯禅尼の立場が悪くなるのではないか、と心配もした。

 そして、いくら『実の娘』と偽っているとはいえ、自分のわがままをここまで許してくれる理由も、わからなかった。


「今日もまた、猫間さまからお声がかかっているのだけれど……静、どうする?」


 ある日、磯禅尼が静に言った。静はちょっとためらったあと、


「気がすすみません……」


 と、言った。猫間中納言の誘いを断るのはこれで三回目になっていたので、少し気がひけたのだが、「行きます」とは言えなかった。

 猫間中納言のしつこさは、たくさんいる客の中でも一番だったし、どうしても好きになれない相手だった。


「かまわないよ。断っておこう」


「すみません、わがまま言って……」


 と静が頭を下げると、磯禅尼は言った。


「いいんだよ。静は今のままで。それで評判があがるんだし。第一、猫間さまじゃあねぇ。今の静なら、もっといい人を相手にできるよ」


 その時、はじめて、静には磯禅尼の考えが見えた。

 静のわがままを許しているのは、静への愛情や優しさからではなく、白拍子をかかえる家の師匠としての計算からであることを。

 静がたくさんの男を袖にすることによって、静の評判は上がっていく。それが上がりきったところで、静に声をかけている男の中から一番力のある男を選び、関係を結ぼうというのだろう。つまり、静を「高く」売ろうとしている――。

 そう考えてしまった自分に、静の胸は痛んだ。


 磯禅尼の寛容さは、決して愛情からくるものでないと感じていながら、どこか期待していた。この人は、自分を本当の娘のように思って、大切にしてくれているのだ。そう思いたかった。

 静は、淋しかった。前の世界で、静は愛し、愛される人を、すべて失ってしまった。信一、信夫、そして、両親……それゆえに死を選んだのだ。


 愛し愛される人がいる幸せは、二度と自分には訪れない……と思っていた。

 だが、この世界に来て、あきらめていたはずのその希望が、静自身も気づかないうちに、静の中に芽生えていた。誰かを愛したい、そして愛されたい。その気持ちを、母親としての磯禅尼に、知らず知らずのうちに求めていたのかもしれない。


「仕方がないわ」


 静はつぶやいた。磯禅尼は、自分の本当の母親ではないし、前の世界にいた母とは、まるで違う人間なのだ。

 ここは前の世界と違うのだから、多くは望むまい……そう考えて、静は気を取り直した。


 それからというもの、静は磯禅尼に遠慮しなくなった。いやだと思う相手は、たとえ他に誘いがなくても断った。

 磯禅尼はそれをとがめるどころか、むしろ喜んでいるようだった。

 身分の高い人間の誘いを断れば断るほど、静御前の評判は上がっていくのだ。そして、その報酬が、どんどんつり上がっていることも、静は知っていた。


今回、源九郎義経が初めて登場しました。

まだ静との距離は遠いですが、二人の関係は、ここからゆっくりと動き出します。

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